宮武外骨『面白半分』編輯後記で80万8千6百おまけ
負けと思った時が負けた時。そんな考え方がある。
優勢にコトを進めているように見えるのに「やめた」と放擲する。当人だけは負けを認めているのだ。一方、どんなにミジメな境遇に陥っていても、逆転勝利の目が出るはず、と信じ込み、当人だけは「負けてない」と主張する例もある。
あきらめない。ひとつの美徳ではあるが、帝国日本が大東亜戦争(支那事変と云うべきか)を、帝都始め大中都市を焼かれ、南洋諸島はもとより、沖縄までも押さえられ、原爆投下・ソ連参戦に至り、明治維新以来築き上げたモノを悉く失った背景に、(表立っての)負けを認めなかった事を思うと、美徳「正義」も程度を過ぎると悪より愚かで始末に悪い。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは良く云ったものだ。
「兵器生活」を始めて22年を越える。町の本屋・地域の図書館に置いてあるヨーな本には載ってない、戦前・戦中のことがらを、当時の雑誌記事・広告そのままで紹介する仕事を、「ホメラレモセズ クニモサレズ」手弁当でやっている。
それで人格が高雅になったり、暮らしが富貴になった覚えは無い。しかし、本を積む―置くではない―ことが、目に見えるカタチで、困難になってきていることだけは日々実感している(ブロックの消えぬ『テトリス』ですね)。もともとは「兵器生活」のネタに使えそうなモノ―通俗軍事・兵器読み物類―だけを買っていたのが、ある事情があって、生活全般に関する分野に手を拡げ、使えるかもしれない・面白そうな本/資料は(積極的に探しはしないが、目につけば)とりあえず買うことにしたのである。
事情は円満解消、拡げた手は戻し、コロナ騒ぎでデパートの古書市がなくなったのを幸い、そのお金は呑んで喰って身体の栄養に廻すようにしたのだけど、新刊で面白そうな本はとりあえず買ってしまうクセがつき、土曜に買った本がつぎの金曜には行方知れずになる事が頻発する。それはよろしくないと思いつつ、やっぱり毎週何冊かは本屋から持ち帰り、部屋・台所・アパートの廊下と積み上げていくのである…。
ネタ本をどこに置いたかわからなくなるのだから、「兵器生活」記事が冴えなくなるのは当然の話だ。まして近頃は、修士論文・博士論文を仕立て直した、戦前・戦中社会を解読する面白い本が、毎年何冊も(同じタイミングで)出るヨーになり、それほど堅くない読み物も時折出て来る。「兵器生活」の価値など、欧州大戦後のドイツ・マルクより下落した気まする。資料を買い込む空間と部屋を片付ける時間の余裕なく、月一回の更新は世間様にウケる様子もない。これは「負け」だ「詰み」ですヨ、と思う分別はあるから始末に困る。
「負け」は認めても、「兵器生活」の更新は続けざるを得ない。
部屋の本の山からヒョッコリ出てきたのが、宮武外骨が昭和4(1929)年に出した雑誌『面白半分』の第二号。反骨・反権力のジャーナリスト・出版人として活躍してきた人だ。『滑稽新聞』で知られるが、江戸・明治風俗史の方でも知られている。この時すでに62歳。東京帝国大学の明治新聞雑誌文庫の仕事に精力を取られたのか、この雑誌は11月の6号で廃刊。外骨が出した最後の雑誌となったと云う(吉野孝雄『宮武外骨』)。
『面白半分』第二号表紙
何かネタになりそうな記事はないかと目を通す。
江戸・明治時代は守備範囲外だ。鈍い感性、何を見せてもピンと来ない(幼児にエロ動画見せてもピンとならぬのと同じ)。記事自体も正直ビミョーである。しかし、本筋ではない雑文には、昭和初期の空気があるんじゃあないか、外骨センセイの生活が伺えるトコロがあるんじゃあないか?
そう気付けばこっちの土俵だ。
この号の「ヨタヨタ随筆 お笑草」に、税務署から、届けられた所得額が少なくありませんか、著書の印税が抜けていませんか? との指摘に、「著書は自己出版でイツモ損ばかり、印税などは取れませんよ」と返し、「隣家の岩崎などは広い山林の邸宅に住んで毎日遊んで暮らして居るぢゃありませんか、彼の一家からでも我々の百万人分位は取れる筈です」と続けたら、何も云ってこなくなった、なんて話がある。自分のトコロ(半狂堂)から自分の書いた本を出すのだから、なるほど「自己出版」だ。原稿料も印税もあったモノぢゃあない。コミケの資料・考証系同人作家の大先輩でもあるのだなぁ…。
「隣家の岩崎」が、三菱財閥の岩崎家で、現在は池之端の「旧岩崎庭園」となり、洋館が残っているのも面白いトコロだ。古い地図をコピーして、岩崎邸と外骨邸を比べるのも楽しそうだが今月の更新には間に合わない。このくだりを全文書き出しても、分量は「おまけのおまけ」くらいにしかならず、一本の記事とするには弱い。と云うわけで今回は、編輯後記にある外骨の生活パターンを取り上げる。
例の改変を施してのご紹介である。文の句読点がすべて「、」なので文末は「。」にもした。傍点は涙を呑んで割愛してある。
得手勝手な事を云う
帝大の明治新聞雑誌文庫への出務は随意勤務であるが、専属の事務員が四名居り、元来が「すきなみち」であり、又赤門内の新館(総二百坪)が近々(十一月頃)出来上がれば、移らねばならぬの準備もあり、古い新聞雑誌を売りに来る者も多いので、外に要用のない限りは、毎日出勤(午前七時半出宅、午後四時半帰宅)である。その身が午前五時頃起き、午後九時頃就眠する迄の間に、本誌原稿の筆を執るのである。それで毎月イクラ損するか知れない雑誌発行、マア
道楽でなくば出来ない仕事
それで、次号にはシカジカの長い原稿を書いて出そうと予定していても、気が乗らないで面倒臭く感じたり、思い返して書く事を止めにしたりする事が多くある。今度も内閣総理大臣に成り得ないで死んだ 後藤新平を諸雑誌が褒めチギッて書いたのが癪に障り、一つ、「後藤新平伝」という題で、幼時から悪童であったらしく皮肉に記述すれば、面白いものが出来ると思って居たのが、それを書くヒマが無い内に原稿の〆切日が来たので、六十頁だけの紙面填めに困り
他社の雑誌へ寄稿したもの又は旧記
を埋草にせねばならぬのである。旧来引き続いての愛読者は、それをガマンして下さると思っていますが、新来の読者は、コリャア何だいと呆れる人々も多いでしょう。ソンナ読者は当方でも好ましくないのであるから、呆れる人は早く呆れて、トットと去って貰いたい。今後もそれが頻出するであろうから。
外骨の名を知らぬ、一部の読者諸氏には、サッパリ・ナンノコッチャな話が連なっていることだろう。しかし、その名と、どんな仕事をやった人かを聞きかじり、『外骨という人がいた!』(赤瀬川原平、ちくま文庫)でシツコク紹介される「面白さ」を面白がる人(主筆含め)にとっては、「午前七時半出宅、午後四時半帰宅」、「朝5時頃起き、夜九時頃就眠」の字片が値千金となる。著作集を揃えている・読破している熱烈愛好家から見れば、何を今さら、鬼の首を獲ったじゃあるメーし、となるのは云うまでも無い。
帝大(今の本郷の東大だ)に通うのに、家を7時半に出れば良いと云う。この時の外骨の自宅は、本郷区龍岡町15番地にある。東大の敷地の南東、隣も同然だ。新館が出来る前の文庫の位置は知らぬが、歩いて10分20分、散歩気分でも30分くらいなモノか。うまくやれば朝、出かける前に1時間ちょっと読み物書き物が出来、16時半帰宅で21時就寝なら3−4時間執筆に当てられぬ事もない。自分の話で恐縮だが、コロナ騒動で電車が混まぬうちに出ようと、4時半起床6時過ぎ出宅7時前出社を続けている。終業は早くなるはずがナゼか19時20時退社(もちろん早い時もあればさらに遅い時もある)で、22時就寝(モウ少し遅くなる日もある)。この我が身から見れば、実に「羨ましい」。長い原稿を書く意欲があるのも頭が下がる。それでいて「書くヒマが無い内に」締切が来て、「埋草」記事を入れ込むと云う。外骨先生も人間であった。
そして、ソンナ事は旧来の読者は百も承知でガマンするものと決め、それに呆れるヨーな新来の読者は、こちらから願い下げと公言するのだ。いいぞオッサン、もっとやれ♪
そんなグタグダな編集をしているのに、次号予告をしてしまう。
信越より東北旅行の記と明治語彙
昨年八月、満一ヶ月の大旅行をした紀行を、満一ヶ年後の次号に載せるツモリであり、二三年前より蒐集している、「明治語彙」を連載するツモリで、既に挿絵数個は出来上ッて居る。シカシこれも次号に載せるツモリではあるが、前記の次第で果して出せるか否かは保証しない
1年前の旅行記を平然と載せようと云う。旅行記に限らず、イベント記の類は、戻ったら・終わったらスグにでも発表したくなりそうなモノだが、読者が同じ体験を欲するとも思わぬのだろう(今日公開すれば明日間に合うかも知れぬ、現代の時間感覚との違いは大きい)。「保証しない」と逃げ道を用意する、妙な周到さも嬉しい。
(おまけのおまけ)
先にふれた、「隣家の岩崎など」のためか、表紙は、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎があの世で獄卒に責められる画が載せてある。
海坊主と渾名された岩崎弥太郎(小林清親筆)
「明治十八年十二月 日本たいむす」と記してあるが、古雑誌からのいただきである。描いたのは「最後の浮世絵師」のひとり、小林清親。いわゆる「ポンチ画」ですね。浄玻璃の鏡に並ぶ倉庫(三菱マーク入り)が映し出され、あくどく儲けたのだろうと責められている。今日見ることの出来る写真より、心持ち痩せたやさ男に描かれ、「海坊主」感がまったく無い(笑)。オトナの事情で手心が加えられたのだろう。岩崎さん、50歳で亡くなったとある。
(おまけの寄付・押売拒絶法)
「ヨタヨタ随筆 お笑草」より、
近年は種々の口実で寄付の要請や物品の押売が頻々と来るので、それを拒絶するウマイ口上を玄関番や女中に教えてある。それは、基督教の者が来ると当家は日蓮宗ですからお断りですと云い、仏教の者が来ると、当家は基督教ですと云い、区役所や軍人会などが来れば、当家の主人は社会主義ですと云い、社会主義の者が来れば、当家の主人は国家主義ですと云ッて断るのである。元来主人の旗幟(きし)が鮮明でないだけに、何と云ッても通用するのが面白い。
総督府には玄関番も女中もいないし、新聞の勧誘もNHKの集金も来ないので、自分が使う局面はなさそうなのだが、応用は出来そうに思う。
傍点が付けられないのが残念でならぬ(縦書きでないのも残念なんですが)。
(おまけの親近感)
外骨調の文体を意識して使っている自覚はあるが、今回、本家本元の文章を打ち写してみて、そのマネっぷりの度合いに、恥じ入るを通り越して笑ってしまう。
髪の毛の量と奥さんの数は全く異なるのだが…。