「神谷酒場案内」で81万2千おまけ
骨董市でこんなモノを見つける。
神谷酒場(バー)案内
東京は浅草の「神谷バー」案内。
「酒場」に「バー」とフリガナするところが時代を感じさせる。これはスゴイものではないか、と手に取る。袋に「激レア品」のシールがあり(価値は俺が決めるのに!)ちょっと腹立たしく思う。良い値もついているが、「文句のつけようのないネタ」だから他の紙切れとあわせ、買う。
「神谷バー」は東京の浅草で、一番目立っている建物である。むかしモダンで今レトロなビル。浅草松屋(東武浅草駅)、地下鉄銀座線入り口とで、昭和はじめの雰囲気を現代に伝えている。
2023年11月3日撮影
「電気ブラン」の本場として愛されているトコロでもある。
神谷バーのウェヴサイトの「神谷バーの歴史」によれば、この建物、大正10(1920)年に出来上がったとある。戦前の建屋なのは見ればわかるところだが、関東大震災前からの建物と知ると、有難味がいっそう深まる。
描かれた店舗外観を見ると、今日おなじみのビルと全く違う。つまりビルへの建て替え前に描かれたことになる。蔵づくりの商家のようであり、支那料理屋のようでもある。
さきのページには、その写真とともに「1912年(明治45年)4月10日 店舗の内部を西洋風に改造し屋号を『神谷バー』と改める」と書かれている。普通の商店の正面をレンガか板で塞ぎ、窓と扉をつけたようだ。洋風を志向していても、瓦屋根まで隠し外観まで変えてしまう「看板建築」スタイルを取るまでには、開き直れていない。
骨董屋が「激レア」と付けたくなるわけだ。値段を思い出さなければ、良い買い物をしたなあ(笑)。
店舗外観
「D.Kamiya Bar」、「花川戸神谷伝兵衛酒類売場」と壁に書かれている。各所にある丸いのは電灯か、それともガス灯か。「電気ブラン」を供する店がガス灯を使っていたら面白いが、実際のトコロまでは調べてないから知らない。
チラシは二つ折りになっていて、開くと挨拶の口上、メニューと店内の絵が載っている。
口上とメニュー
まず口上を例の変換をして掲載する。読者の読みやすさを思い、適宜「空白」を以て文章に区切りを入れてある。
神谷バーは当場主人が再度欧米漫遊の途次 親しく彼の地に於けるバーの実際を視察し帰来 其長所を参酌して改築いたしました我が国最新式の平民的バーの元祖であります 場内の諸設備其の他に就いても 夫れぞれ改良を加えまして 従来とはいささか其の面目を新たに致しました
神谷バーは万事軽便を旨とし 自家製造の酒類はすべて一杯七銭均一値段を以て差上げまする外 枡売(ますうり)も致します 又各国の酒類も格安にて差上げます
猶御望みに依り 五色の酒及び各種コックテールも出来ます
神谷バーの酒類は 曾て当場主が多年仏国に留学し洋酒の製造法を研究の上 いづれも自家の工場に於て完全に醸造致しましたもので 其製品に就きましては一々化学的分析を施し 少しも有害物を含まない最も安心の出来る醇良品で 其上美味と滋養と備って居る 衛生上其他一つも欠点のないものを 責任を以て販売致します
百年以上続いている店も、最初は気負っていたのですね。
「最新式」「平民的」「万事軽便」とモダンさをアピールしつつも、「枡売」―計り売り―もやる。自家製造のお酒はどれでも「一杯七銭」。
いつもの『値段史年表』で、明治末頃の値段をいくつかピック・アップしよう。
生ビール 12銭 明治41年 もり/かけ蕎麦 3銭 明治45年 あんぱん 1銭 明治38年 駅弁並 12銭 明治45年 コーヒー 3銭 明治40〜45年 日雇労働者日給 56銭 明治44年 小学校教師給与 10〜13円 明治33年 巡査初任給 12円 明治39年 銀行初任給 40円 明治43年 高等官初任給 55円 明治44年
「五色の酒」は、尾竹紅吉が、加入1年足らずで青鞜社を辞める原因のひとつになった「五色の酒事件」で、その名が知られている。色合の異なるリキュールなどを、比重の違いを利用しグラスの中に重ねて供する飲料で、カクテル「プース・カフェ」の一種(5色になるよう調製したもの)。
『カクテル製法秘訣』(中田政三、国際料理研究所、大正15年)の記述を引く
プーズ カフェーは ランチェン又はディナーの後に用いらる、使用せらるる数種の酒は完全に色別がされるようなすべし 比重の最も重き酒より注ぐべし。上手な人はスプーンを用いて グラスの内側につたえたらし注ぐ。プーズ カフェーには数種の酒を用いるものと二種或は三種の酒を用うるものとあり。
「五色の酒」になる材料を、うまく注げば出来上がり。上記のカクテル本には、「レインボー」と呼ばれる「プーズカフェーアメリカン」などが、材料・分量あわせ紹介されているが、「五色の酒」という項目は載ってない。
店の内部の絵を見ると、天井が高く、東京大学安田講堂地下の食堂みたいな広大さである。
テーブルは「コの字カウンター」のエラい長い作りになっていて、給仕が一人か二人控えている。店の外観があれでこの広さは無いだローと、ウェヴサイトにある明治45年当時の内装写真と見比べると、天井の高さ、客席の奥行きと、絵師が誇張して描いているのがわかってしまって楽しい。写生してればこうはならぬ。
メニューである。これはテキストにはしない。
「甘(あま)い酒」、「強い酒」が一杯7銭の自製品、「舶来品目」は「小コップ一杯金十銭ヨリ金二十銭マデ」で割高である。「電気ブランデー」が今日の「電気ブラン」である。「電気ブランデー」がいつのまにか「電気ブラン」になったと聞いてはいたが、本当にそう表記されていた事を知り、個人的には感激している。まったく良い買い物をしたものだ。
「小コップ」はショットグラスなのだろうか?
見開きを閉じれば(裏表紙にあたる)回数券の案内である。
回数券の案内
丸髷に縞模様のロングドレス、白エプロンのウェイトレス(女給)が描かれている。
今回御客様方の御便利を計り割引回数酒券(軽便酒の切符)を発売致しました 本券一枚は表中の自家製造品の中御好みの一杯と御引替申ので有升(あります)
御進物用には 至極便利です
十枚券 金六拾六銭
二十枚券 金壱円三拾銭
三十枚券 金壱円九拾二銭
五十枚券 金三円拾五銭
この未使用回数券が残っていたら、超「激レア」と云うべきだろう。店舗案内の方が情報量が多い分、「資料的価値は高い」ことになるだろうが、そんなモノがあるなら見てみたいのが人情である。
オツリを払いたいくらい代金のモトが取れる。本当に良い買い物をした。
(おまけのおまけ)
「五色の酒」をネット検索していたら、FoodWatchJapanのコラム「モダン・ガールは何を飲んでいたのか」(石倉一雄)と云う記事を見つける。そのあたりの考察もあったのでリンクを張る。2011年の記事なので「兵器生活」読者の中には、すでにお読みいただいた方もおられるかも知れない。
モダン・ガールは何を飲んでいたのか(5)
モダン・ガールは何を飲んでいたのか(6)
モダン・ガールは何を飲んでいたのか(7)
尾竹紅吉の事が気になったので、『新しい女は瞬間である 尾竹紅吉/富本一枝著作集』(足立元編、皓星社)が最近出たことを知り、買ってその文章を読む。
青鞜社を辞したあとは、月刊誌『番紅花(サフラン)』を刊行し、意匠画家(のち陶芸家、人間国宝になる)、富本謙吉と結婚して富本一枝となる。妻となり母となり、ひとりの婦人として文章を書き綴り、昭和41(1966)年73歳で亡くなる。収録された文章をいくつか読むと、人として妻として母親として真摯に生きようと云う意志が感じられ、「新しい女」であったのは、当人の生涯から見れば一瞬に過ぎぬことが、よく解る。
など書き付けようと思っていたら、カバンの外ポケットに入れておいた、読みかけの本をドコかで落としてしまう(涙)。
更新の日程もあるから、買い直して読み倒すのはあきらめ、その解説で言及されていた、「中山修一著作集」の「著作集11 研究余録――富本一枝の人間像」、「第一編 富本一枝という生き方――性的少数者としての悲痛を宿す」を読み、複雑な事情を抱えたひとであった事を知る。
(おまけのおまけのお代わり)
神谷バーの写真を撮りに、現地に行った以上、呑まぬわけにはいかない。
「インバウンド」で浅草が混み合う前に行ったきりで5年ぶりくらい。昼下がりながら店内は賑やか。テーブルには座れず、いつのまにか出来ていた立ち呑み場で独り呑む。ビールをチェイサー代わりにするのがツウの呑み方だ、と云われてはいるが、そんな危険な呑み方なんかはやらない(笑)。
煮込みと串カツ。電気ブラン二杯の電気ブラン(オールド)一杯。
物理的な量は多くないが、酒精量は馬鹿にならぬ。戦前の度数は40パーセント(現在の『オールド』同等)だったと云う。ひとり立ち呑み席に隔離されているので、バーの名物?「隣り合った人同士、初対面なのに盛り上がってしまう」が体験できない。後ろのテーブルで、ワインとビールをやってるオッチャンオバチャンカップル二組が、まさにその最中で、話題が血液型に移ったトコロで、年長のオバチャンいわく、
「アナタ何型? アタシ新潟」
そこの勘定全部こっちに廻してくれ! と云いたくなるが、ここは食券前払いなので、よそ様の払いを引き受ける事は出来ないのである。