緑の大地にお星さま

「エスペラント講座」チラシで81万4千5百おまけ


 高円寺の古書会館で「紙屑」を買う。
 人工言語「エスペラント」講座のチラシだ。薄い紙に手書きの文字が―おそらく謄写版で―印刷されたもの。


中ほどのシミみたいなのは本屋の値札(涙)

 エスペラントは、ポーランドのザメンホフが、世界の共通言語として考案したもの。『新しい時代語の字引』(実業之日本社出版部編、昭和3年刊)から抜き出す。

 (略)エスペラントとは希望者の意。世界語と訳している。国際語と訳す人もあるが国際社交語たるフランス語と混用する恐れがあるから世界語の方が適当であろう。ポーランドのザメンホフが創案したもので、世界各国人が極めて簡単に語り得られ、読み得られ、記し得られることを目的とした世界共通語。此の世界語を普及させ、世界を平和に導こうとする新運動が、即ち「緑化運動」であって、各国人が外国語の修得に苦しめられている弊を打破しようとするにある。(略)

 フランス語が「国際社交語」とあるのに驚く。余談はさておき、同書の「世界語」では、

 エスペラントのこと。俗に「エス語」と称えるが、あまり感心しない。今日エスペラント普及国は十七ヶ国に及んでいるのを見ても、世界語と称する所以がわかる。(略)トルストイのような文学者は、一時間足らずで文法を覚え、僅か半日で読み方・書き方に通達したと言われている。

 と記されている。ホントに半日で修得出来るかドーかは、試してないから何も云えぬ。

 数多ある言語の中、イギリス、ついでアメリカが世界の覇権を握ったことで、英語が実質的な世界言語となっている。世界を股に掛けようとする野心ある者のみならず、一生を日本国内で終えるしかない人々までも、学ばねばならぬ。英語の点数が低かったため、泣く泣く高校・大学のランクを下げた人も少なくあるまい。中学・高校とそれなりの時間を英語教育に費やしているのに、日本人の英語能力が高くないことは、読者諸氏が自らの胸に手を当て思い返せばこ納得いただけよう。
 英語を母語とする人たちは、その習得にあてる時間が、まるまる他のことに使えるのだ。

 不公平ではないか!

 万国の人々が、同じ手間暇をかけ、共通の言葉を習得して意思の疎通をする。エスペラントの理想は崇高だ(実利を思えば英語を覚えた方がいいとは思うが)。

 世界に平和をもたらす人工言語、エスペラントの講座に誘うチラシには、どんな美辞麗句が記されているのだろう。

 エスペラント講座
 エスペラント万能時代来る!!

 今やエス語は全欧州靡し尽くし風勢一転 我が東洋に潮の如く押し寄せて来た エス語の実用化は目下日本の急務である・(原文は星印、以下同じ) 本社は此の潮流に乗じ我国唯一の週刊講座を発刊し広く一般世人に頒布せんとす・
 請う新しき時代に目醒めたる諸君! 速かに速かにエスペラント講座研究社に来り投ぜよ・而して活社会有用の(二文字不明)たれ・

 内容見本郵券封入申込あれ
 四ヶ月修了
 会費一ヶ月金九拾銭

 東京エスペラント語研究社
 神田今川小路二−四 電九段二五五六
 振替東京六八五〇八

 最後の文字が読めないのが痛恨の極みだ。難しい言葉を知らないと、こう云う時に困る。
 書いてあることは単純明快で、

 ・エスペラントは欧州に広まった(事実かドーかはさておき)
 ・東洋に拡がることは明白だ
 ・日本もエス語の実用化を急がねばならない
 ・本社は我が国唯一の週刊講座を発刊する
 ・速やかに講座を申し込め
 ・社会に有用な人となれ

 外国語、資格、中等教育の宣伝文句と変わるトコロは無い。人間そうそう変わるモノではありませんね。「万能時代」はさすがに先走りが過ぎる。そうなっていたら第二次世界大戦は起きてない(たぶん)。

 広告手段としては陳腐。作りも安っぽいシロモノではある。しかし、大正の終わりか昭和のアタマか解らぬが、手作りされ印刷され配布され、読み捨てられたはずのチラシが残っている事実、現物そのものに文化財的価値がある。売価わずか百円。値段を書いた紙片が裏にノリ付されているくらい、雑に扱われた「紙屑」。
 改めて眺めてやると、印刷された文字が味わい深い。


 「エ」が「ヱ」(恵比寿ビールの『ヱ』だ)なのが良い(『Esperanto』だから『エ』で良いはずなのだが…)。
 カタカナと漢字のバランスが悪い。「エスペラント」の高さを抑えれば見栄えがグッと上がる技を、作成者は知らない。
 文字が緑色なのも面白い。この言語のシンボル「緑星旗」から来ているのだろう。新語辞書に載っているエスペラント普及の活動が「緑化運動」と呼ばれていたことを思い出してほしい。


「緑星旗」(ウィキペディアより)

 旗に星がある以上、句読点代わりに星印が記されているのは、作った側には必然と云える。タイトル文字のバランスは良くなかったが、本文の文字は端正なものである。


「投ぜよ」、「来たれ」の後ろが星になっている

 「エスペラント講座」の文字の一部にもあるが、漢字の「点」を「星」にしていて(すべてでは無いが)、実に芸が細かい。


「!」の下のマルも星

 版下を作っているひとの、どこに星を入れてやろうかと思う熱意、版を刻む陶酔が伝わる。星の数だけ申込があればなァと、思っていたかドーかは解らない。
(おまけのおまけ)
 エスペラントの名前くらいしか知らぬので、ウィキペディアの記事から、日本の普及団体の記述を(粗雑に)抜き出しておく。
 1906(明治39)年、日本エスペラント協会発足。
 1919(大正8)年、日本エスペラント学会発足。「日本エスペラント協会」は実質的な活動を終える。
 1926(大正15)年、日本エスペラント学会は文部省に認可、財団法人となる。
 2012(平成24)年、一般財団法人日本エスペラント協会に改組(現在に至る)。
 
  このチラシ、いつ頃のモノなのか。