普通選挙は危険思想

大正9(1920)年の政治パンフで81万4千8百おまけ


 先日(2024年7月7日)の東京都知事選挙はヒドイものだった。
 現職の圧勝が、対立候補に投票した一人として面白くないのは云うに及ばず。選挙をオモチャにした連中があった事が不愉快なのだ。

 宮武外骨は、一定の税金を納めた男だけが選挙権を有していた時代に、政治の腐敗、候補者・運動員の戸別訪問など選挙の堕落を告発するため、落選上等! と、二度も衆議院選挙に立候補、見事に落選している(大正4、6年)。
 赤瀬川原平『学術小説 外骨という人がいた!』(ちくま文庫)には、二度目の選挙に挑むとき、外骨が発行していた雑誌『スコブル』掲載の、選挙粛正の論説、戸別訪問お断りの「石版三色鳥の子模造紙印刷」した貼り紙を希望者に進呈する告知など、今でも通用する奇抜な選挙活動記事が紹介されている。
 選挙制度に異義申し立てする建前なら、これくらいの事はやってくれ、と嘆息する。


『スコブル』第五号(『外骨という人がいた!』掲載図版より)

 最初の選挙では、約1200円の運動費―演説会会場費・偵察告発費・檄文印刷費等―を友人十数名からの寄付金でまかなったが、二度目は他の牽制を避けるため、一切を自弁したと云う。
 大正はじめの総理大臣の年俸が1万2千円(一月あたり千円)、大卒銀行員の初任給40円、高等官55円、巡査15円(『値段史年表』)の頃の1200円だ。ネットで今の総理大臣の月給を調べると、「棒給月額」(基本給に相当)201万円の由。そこから推測すれば250〜300万くらいになるだろう。今の供託金分は使っている。選挙ポスターの区画を乗っ取り、他人に賃貸しさせる手法のユニークさは認めざるを得ないが、あとがいけないし、空白ばかりの掲示板の外側に、ワリを喰った候補者のポスターが、めくれて折れて名前が見えない有様なのだから、もう選挙妨害そのものでしかない。
 外骨先生が化けて出るぞ。

 高円寺の古書会館で、こんな冊子を見つける。


此の総選挙

 奥付を見ると大正9(1920)年3月25日印刷、大正9年6月28日発行。外骨が出て落ちた選挙の次に行われた選挙に合わせたパンフレットだ。選挙大正会発行の非売品。あおり文句の素晴らしさに買ってしまう。

 冒頭、「政府は何故に議会を解散したか」の書き出しを引く

 政府は衆議院に多数を制しながら、何故に之れを解散したか。是れ実に憂国の至誠より発した大英断である。
 抑もかの所謂普通選挙法案なるものは軽燥急激にして我国情に適せざるのみならず、其の裏面には甚だ危険なる思想と忌むべき手段運動とを伴い、其れが段々悪化する趨勢を示した結果、之れを放置すれば遂には国礎をも危うくする憂いがあったのである。

 解散翌日大正9年2月27日の新聞紙面を載せる。


『朝日新聞』大正9年2月27日付

 「先日の普通選挙の議事」云々と冒頭にあり、「原首相登壇して(略)普通選挙は国民の公平なる判断に任せざるべからずと繰り返して降壇」と、普通選挙をめぐっての解散と云うことが判る。
 「大岡議長は総員に起立を命じ恭しく紫の服紗より解散の詔勅を出し之を捧読したるなり」が良い味を出している。

 今日、当たり前のものとしてある普通選挙が、日本の国情にあわない? それを求める運動が危険な思想で、忌むべき手段を取られている? なんだそれは…??
 読み進めれば、普選実現を迫る野党、憲政会(加藤高明)・国民党(犬養毅)を危険思想の輩と批判し、普選は時期尚早だとする、政府与党政友会(原敬)への支持を訴える宣伝文書なのだ。
 結果を先取りしてしまうと、この第14回衆議院議員総選挙は、与党政友会が165議席から278議席となる圧勝。普通選挙の実現は大正14(1925)年まで待たされる事となる。

 今回は、このパンフから面白い(と主筆が思う) 「戦慄すべき階級打破の危険思想」のトコロをご紹介する。
 例によってタテをヨコとし、仮名遣いなど改めてある。

 パンフは、憲政会―当時あった政党のひとつ―の島田三郎が、議会で選挙法改正案提出目的を陳述中、「階級制度の打破、如何にして階級制度を打破するかと申しますれば、選挙権の大拡張であって、世に称する普通選挙案であります』と発言した事を受け、

 憲政会は普通選挙を以て階級打破の手段として居るのである。是れが危険なる思想でなくて何であろう。階級打破と云うことは詮じつめれば社会主義の根本思想、進んでは無政府主義、共産主義になるのである。
 而して島田氏の所謂階級打破なるものは、社会組織を破壊せんとするもので、その範囲頗る広く、非常の危険を包含して居るが、吾等はこれを詳しく追求することを好まぬ、その中単に、無産階級即ち恒産なき者、及びそれらに夜って代表された者が、有産階級即ち恒産ある者、及び其の代表者により行わるる政治及び其の階級を打破しようと云う点のみを見るも、其の危険太(はなは)だ怖るべきものがある。

 「階級制度の打破」なんて言葉を使ってしまったのが悪かった。このパンフの読者は「有権者」(この選挙の直前に資格が国税3円以上納付に緩和されているのだが、それでも全人口約5500万人中の307万人、わずか5.5%)だ。そこに、普通選挙法案は、社会主義・無政府主義・共産主義を実現する手段だと吹き込んだのである。たまったモノでは無い。
 第一次大戦の結果、ロシア、ドイツ、オーストリアにオスマン・トルコで帝政が倒れ、「ソ連」が出来て間もない時代だ。当時の日本人の受け止め方は想像がつかない。しかし、そこから100年経った先日の都知事選でも、共産党アレルギーが未だにあるんだから、日本人の政治意識なんて早々変わるモノではないのかも知れない。

 パンフは、島田演説中の、
 「新たに起こったのは財閥であります」
 「新たに起こったる所の階級制度(有産家の事)の弊害が茲に著しく現れている」
 「階級制度に対する所の反感であります」
 そして、現行の選挙法―3円納税すれば権利あり―を、
 「真に国民を代表して居る所の、国民に基礎を置いて居る所の選挙法に非ず」
 と、普通選挙に消極的な与党を批判している事を危険視する。

 吾等も貧富の懸隔の余りに甚だしいことは弊害ありと認める者であるけれども、島田氏に依って代表された 憲政会の意見は、僅かに国税3円を納むれば何人にも付与さるる選挙有権者をも財閥と見なし、普通選挙によってこれを打破しようと云うのである。
 納税3円資格―今日の状態を以てすれば、勤勉なる労働者ならば左のみ獲難くない資格―殆ど中以下の多数国民に依って選挙される現行法を「国民に基礎を置かず」と断定し、納税3円という資格の所有者を財閥階級と目して、これが打破を絶叫するが如きは、是れ明白に社会主義の説と一致するもので、吾等が危険千万となす所以である。即ち
 斯かる思想が、勢いに乗じて徹底的に開展した場合には、如何なる結果を生ずるであろうか、思うて茲に至れば吾等は世界無比の国体を誇る日本人として実に慄然たらざるを得ないのである。
 又国と国、国民と国民とが経済競争に入った今日、斯くの如き思想の宣伝は総て産業の廃滅を招くのみか、無資産、労働者階級も結局不幸に陥る結果となり、国民挙って根底から生活を攪乱されるのである。

 重ねて云う、パンフの読者は国税3円以上を納付出来る「有権者」である。10円が3円になったことで、「勤勉なる労働者ならば左のみ獲難くない」と思っている者は少なくないだろう。
 しかし、最初の衆議院議員選挙の15円は、有権者は約45万人わずかに1.1%、10円に下げて約98万人(2.2%)で、今回の3円でもようやく約307万人(5.5%)に過ぎない。
 納税要件が撤廃された昭和3年の選挙で、有権者が約1241万人(総人口の20%)と、四倍もの「大拡張」を見た事実を思えば、そのハードルの高さが厳然とある事がわかる。有権者=財閥とするのも大概だが、勤勉なる労働者なら誰でも有権者になれる―なれぬは努力不足―と云い切るのもフザケタ話ではありませんか。
 危険思想によって、無資産・労働者階級まで不幸に陥るとあるが、大日本帝国を亡ぼしたのは、「危険思想」を防ぐため、高度国防国家の確立を目指して満洲・支那に手を伸ばした国家当局ではないか! と主筆は云いたい。

 続いて「吾等は選挙権の拡張には反対せず」と来る。

 吾等は選挙権の拡張には反対せず
 吾等は決して選挙権の拡張其のものに反対する者ではない。適当の時機に於いて漸次適当に選挙権を拡張するを理想として居る者である。原首相も亦吾等と同じ理想を有すると云うことは、首相が議会に於いて声明した所に依りて明瞭である。唯吾等は、島田氏が憲政会を代表して述べたる如く、階級制度打破の目的を以て之れを行うを恐るるのである。吾等は三千年来、誇る可き歴史を有する吾が日本帝国をして、一歩一歩、堅実に発展せしむる目的の下に、成るべく国民総てが政治に参与し、其の最善を盡くすことを希望して止まぬのである。要するに、島田氏に依りて代表せられたる憲政会の思想及び改正案は之れを出来得る限り善意に解せんとするも、尚を且つ今日の我国情に於いては、余りに軽率急激であって、政治上社会上甚だしき危険であることを信じて疑わぬのである。

 ホント「階級打破」なんて口走らなければ良かったのだ。その意味するトコロは、格差の解消・緩和のため、社会の下層にある者にも選挙権を与え、彼らのためになる政治を実現させる事だったのに、攻撃の口実を与えてしまった。
 ちくま新書『大正史講義』の第七講「原敬政党内閣から普選運動へ」(李武嘉也)は、その時、原敬には「衆議院を解散して総選挙になれば、必ず勝てるという自信があった」と記し、逆に「(普選)運動側は選挙で勝てないからこそ、第一次護憲運動のような騒擾によって内閣を倒そうと考え」たと総括している。

 男女平等な普通選挙制度が確立し、あの「共産党」が合法政党になって80年にもなろうとする現在、富裕層・非富裕層の二極化が進み、新たな「階級社会」が形成されつつある。

(おまけのおまけ)
 「此の総選挙」の内容は以下の通り

 政府は何故に議会を解散したか
  憂国の至誠より発したる大英断
  普通選挙法案の裏面に危険なる思想と忌むべき手段運動
  放置すれば国礎を危うくす

 戦慄すべき階級打破の危険思想
  危険なる思想とは何
  憲政会代表者島田氏の提案理由と目的
  其の目的は階級打破
  普通選挙はその手段
  無産階級をして有産階級を打破せしめんとす
  現行選挙法の有権者をも財閥と見做し普通選挙に依て此の階級を打破せんとす
  此の思想は社会主義と一致す
  階級打破の徹底する結果は国家国民全体の不幸

 吾等は選挙権の拡張に反対せず
  適当の時機に選挙権を拡張するは原首相も賛成
  階級打破目的の拡張を怖る
  普通選挙派の思想及び改正案は軽率急激にして危険

 憲政会の無定見と普選論の口実
  憲政会も昨年は断然普通選挙に反対
  同会代表者斎藤隆夫氏の普通選挙反対論
  一年ならざるに変説改論
  その口実は唯世界の大変化に順応
  世界の変化は日本に於ける普通選挙の理由とならず

 欧州の危険な変化に悪応するな
  欧州は如何に変化したか
  無政府共産主義思想乃至運動の急発展
  露独の悲惨なる実例
  英米も亦悩む
  これに追随せば国家を危険に陥る

 日本には欧州の如き大変化無し
  英国は八十八年間の要求訓練を経て普通選挙実行
  大戦参加はその一理由
  日本は然らず
  欧州の激変を模倣するは危険

 普選論者の忌むべき手段と運動
  無産階級及労働者を煽動
  同盟罷業怠業を誘発す
  金銭酒食を餌に浮浪の徒を集めて示威運動
  白昼帝都に騒擾罪を演せしむ

 立憲政治に反逆する院外の暴動
  立憲政治は議会政治
  普選派の院外活動は立憲の反逆者
  全くの暴民政治

 彼等は解散を喜ばねばならぬ筈
  普選派は国民多数の代表者にあらず
  院外運動は国民多数の意志を代表せず
  目的は暴動
  革命的性質を帯ぶ
  而も加藤憲政会総裁は解散を非立憲と論ず
  普選が国民多数の真要求なりせば普選派は解散を歓迎すべき筈
  其の然らざるは何ぞや

 党勢拡張の為の解散説は大愚論
  一顧の価なき説
  解散は政友会にも苦痛
  普選派の危険思想解散を余儀無くせしむ
  政府は容易に否決し得たる也

 政局行き詰まり説は曲解者の放言
  犬養国民党総理は斯く放言
  これ現下の政情を曲解しての放言

 外交に於ては現政府の功労多大
  五大強国の一となる
  対支対米外交
  シヘリヤ駐兵問題
  某外交重大問題

 内政に於ても内閣の前途は洋々
  原首相在野当時の政綱着々実現
  大予算の通過
  物価問題
  解散断行は決して政局行き詰まりの為に非ず

 解散は国礎安定を期する大勇断
  崇高なる信念の発揮
  内閣更迭説は選挙民を惑わす反対党の卑劣策
  政府は民衆運動の悪化を恐る
  国内にも常規を逸する者あり
  忌むべき運動の継続と雷同者
  彼等と雖も思い設けざる結果を生まん
  政府が議会を解散して普通選挙が国民の輿論に非ざることを明かにせるは憂国の大英断

 国家の為過激政治家を根絶せよ
  今や国家の安危を岐つ重大の時機
  国民の各階級を安定せん為の総選挙
  過激煽動政治家を根絶し真の愛国者を以て衆議院を組織せよ
  聡明なる最大多数の国民は貴重なる一票の行使を誤る勿れ

 内容は、ここを読むだけで充分なのだが、本文の云い廻しが面白いので、日本政治史の理解には役立たないかもしれないが、こんな意見もあったのかと思わせるトコロを、引き続き紹介していきたい。
(おまけの余談)
 現代も、かつてのように、納税額の多寡で選挙権の付与を決めていたら、日本はドーなっていただろう。年金生活者には選挙権が無くなってしまう。ちょっと怖い。