花柳病に罹らぬよう

戦前雑誌口絵写真で81万5500おまけ


 「ごみ屋敷」(六畳間のアパートで『屋敷』もクソもあるか、とは思う)化が順調に進む。
 しかし、収拾がつかなくなっているモノは、本雑誌紙屑である。総督府の中では飲食をしない―台所では少しやるが―から、腐臭を発したり、蠅が湧いたりするわけではない。負け込んだテトリスの中で暮らしているヨーなものだから、真剣に対策を取るまでも(今のトコロは)無い。
 そんな事情があって、以前ほど「資料」を買い込むことがなくなり、「兵器生活」記事が薄っぺらになっている事を、読者諸氏に伏してお詫び申し上げる次第。

 「手持ちの本で 間に合いませんか」と、戦時中の標語みたいな心持ちで、本雑誌の山をひっくり返すと、こんなものが出て来る。


『前衛時代』昭和6年7月号

 2009年4月に「プロユカタ」(労農浴衣)と云う記事を書いたときに使ったモノだ。そこから15年経っても、載ってる記事はそれほど面白くなってくれない―主筆が進歩してないから―が、興味深い写真に気付く。今回はこれを紹介して、今月の更新を安直に乗り切ろうと云う趣向である。



つまらなく煙草ふかす女

 薄暗い部屋で、寝転んでタバコを吹かしている女がいるだけの写真。三角形の模様がモダンな座布団、画面奥にも同じ模様のものが見える。宿屋の一室だろうか。

 女の上のほうにポスターがある。拡大すると


拡大したもの

 「花柳病に罹らぬ用心 するが肝心」と書いてある。
 「お互いに洗滌致しましょう」
 「サックと予防薬を御使用下さい」
 とも記してあるから、ここが娼家で女がお女郎さんであることが知れる。そう云う設定で、モデルともども仕込まれた可能性は否定はできない。しかし、こう云う文句を連ねたポスターがあった、と書いてもバチは当たるまい。

 写真には「然(しか)し彼等は ドブの中でも朗らかである」と記されている。朗らかなワケがあるものか!

 「兵器生活」読者には説明不要とは思うが、以下、読者さま以外の方がこれを見つけた時のため記す。
 「花柳病」が性病(性行為によって感染する病気)であり、「サック」が「ルーデサック」、今日は「コンドーム」「スキン」と称される避妊具・予防具であることは、大人の教養・基礎知識と云ってよいだろう。「洗滌」とは、ここでは性行為のあと生殖器を洗うことだ。

 『陸軍と性病』(藤田昌雄、えにし書房)は、帝国陸軍の行った、花柳病治療・予防のやり方が、当時の資料の記述を通して紹介されている。
 戦地での慰安所では、「ゴムサック」は必ず使用、尿道に入れる消毒薬「星秘膏」は推奨、局部洗浄も推奨とある。洗浄設備はあったが、洗浄液がなく使用出来なかった例があったと云う。
 洗滌器具には、「イルリガートル」式、ゴム球に吸い取った薬液を握力で押し出して洗う「スポイト」式とあり、各種洗滌具の広告が載っている。残念ながら、「洗滌」の詳細までは解らない。
 「詳細は不明」で終わらせたところで、主筆も読者諸氏も困るわけではない。しかし、これは知るチャンスだ。ここでやらぬと、調べることは死ぬまであるまい。他所様がやってくれる可能性はあるが、それに気付かぬ場合もあるし、せいぜい数ページの記述のために、遠からず置き場所に困り、絶対安くはない本を買う・出るのを待つのもドーかと思う。

 と云うわけで、国会図書館のデジタル資料を「花柳病」のキーワードで漁ってみる。本文が読めるモノをざあっと見ていくうちに、『花柳病予防の話』(森麻吉 著, 木下藤一 閲、通俗衛生書院、明治37年6月刊)に、そのあたりが載っていることが判る。
 明治の後半と云うことで、おおむね言文一致体で書かれているのだが、ルビの振りかたが、今日から見ると独特なモノになっていて興味深い(以下引用にあたりルビはカッコ内に記した)。
 探索の過程で見た、花柳病予防に関する読み物の多でくは、娼妓・芸妓のいる所、花柳界には出入りするものではない、と書かれていて、洗滌の話は「洗滌する」程度の記述になっているが、「本書発行(このほんをこしらえた)の趣意」を見ると、

 (略)(あまね)く全国(にほんじゅう)の娼妓に、花柳病予防法の方針(すじみち)を教え示し、これによりて各(めいめい)娼妓が、自然と自衛心並(じぶんをまもるこころならび)に公徳心(とくぎをまもるこころ)を惹くき起すように、致したいと思う著者(さくしゃ)の精神(こころ)から、此冊子(このほん)を書き綴りました訳であります。

 明確に娼妓に向けて書かれたことを宣言している。
 「凡そ世の中には、苦(つら)い職務(つとめ)も数多くありますが、その中でも 昔時(むかし)から、苦海(くがい)の勤めと申しました通り、娼妓の稼業(つとめ)はなかなか、つらいものでありましょう」と同情を寄せた上で、性病予防を求めているのだ。

 「(三)花柳病は如何(どう)して予防いたしますか」の項を見る。概論として、

 予防をなすは自己(じぶん)の為にも漂客(おきゃく)の為にも必要(だいじ)と記し、

 ○有毒(どくのあるところ)の娼妓は入院若くは来客(おきゃく)を謝絶(ことわり)せよ
 ○陰部(しも)に変常(かわりたること)あるときは交接(まじわり)を慎め
 ○有毒(どくのあるところ)の男子(おとこ)とは同衾(まじわり)をなすな
 ○男子にるーでさっくを勧めよ
 ○陰部(しも)に油類、軟膏(こうやく)を塗れ
 ○唾液(つばき)を用いるな
 ○交接(まじわり)はなるべく穏和(おだやか)に且つ速かに終われ
 ○酔後(さけにようたとき)の交接(まじわり)又は頻回(たびたび)の交接は病毒(どく)を感じ易し
 ○交接後(まじわりののち)は放尿せよ
 ○交接(まじわり)の前後には陰部(しも)を洗い清めよ
 ○陰部(しも)の検査
 ○淋病の予防注射
 ○手指(てのゆび)を洗い清めよ
 ○飲食(のみくい)用の容器(うつわ)、物品(しなもの)を貸借(かしかり)して用いるな

 全般的な注意が羅列される。

 男女ともに「有毒」であれば性交してはならない。当たり前の話だ。しかし、それが守られない場合も少なくなかったと想像はつく。接触を少なくするしかない。「なるべく穏和(おだやか)に且つ速かに終われ」となる。働く側に立っているから、情緒もへったくれも無い。

 「花柳病予防法の大意」における」「洗滌」の説明は以下の通り。

 (第十一)交接(まじわり)の前後(まえとあと)には、毎常(いつも)微温湯(ぬるまゆ)を用いて、陰部(まえ)の内外を丁寧に洗わねばいけませぬ。特(こと)に消毒石鹸(どくをけすしゃぼん)及び消毒薬(どくをけすくすり)を用いて、よく洗い清むるときは、大(おおい)に花柳病の伝染(うつること)を防ぐことができます。

 そして「(四)陰部の洗滌(あらい)には如何なる薬液(くすり)を用いますか其の洗滌法は如何(どう)致ししますか」で、詳細が語られることになる。

 いつでも陰部(まえ)を清潔(きれい)にしておくことは、娼妓に於ては最も大事なことです。これによりて恐ろしき花柳病のうつることを防ぎ、且つ生殖器(しも)の諸病(いろいろのやまい)を未発(まだでぬさき)に防ぐこともできます。(略)娼妓は時々陰部(まえ)を洗い、充分に乾かし、。常に清潔(きれい)なるように、心付(こころが)け、決してこれを怠ってはなりませぬ。(略)

 薬液の主要なものとして「ほるまりん水」「石炭酸水」「りぞーる水」「過満俺酸加里(まんがんさんかり)水」「硼酸水」が挙げられ、それぞれの特徴(臭い、色、刺激性など)が語られている。これらの薬液を用いて「洗滌」に取りかかるわけだが、

 すべて洗滌薬は、その用ゆるときにほどよく温めねばいけませぬ。或は初めに薬液(くすり)を濃くこしらえおき 用いるにのぞみ湯をまぜて、ほどよくうすめるのもよいのです。一回(いちど)につかうところの薬液の分量は、大約(たいてい)三四合にて充分であります。
 陰部(まえ)を洗いますには、通常いるりがーとるを用います、即ち左図に示すとこの器械であります。その嘴管(さきのほう)は用ゆるまえに、一度よく洗わねばなりませぬ。若しこの嘴管に。病毒(どく)がついているときは、その媒介(なかだち)によりて、花柳病がうつることもございます。故に一つの器械を、多数(たくさん)の娼妓が、共同(いっしょ)に用ゆるときは、殊更注意(ようじん)せねばなりませぬ。


「いるりがーとる」の図

 消毒器具を共用する場合、病毒がついたまま使用すると、そこから感染が拡がる。サラリと書いてあるのが恐ろしい。

 初めに外陰部(まえのそとのほう)を洗い、次に膣内(まえのなか)殊に其皺襞(しわひだ)のあいだあいだを、丁寧によく洗い、終わりになを一度外陰部(まえのそとのほう)及び肛門並に其周囲(ぐるり)などを、を洗わねばいけませぬ。(尤もいるがーとるの嘴管並に子宮鏡などを膣内(まえのなかのほう)にさし入るるときは損創(きず)ができぬよう注意(ようじん)するがよい) 而(そう)して充分にその湿気(しめりけ)を拭い去り 消毒綿球(どくをけしたわた)若しくは薬綿を膣内(まえのなか)に差し入れ、外陰部(まえのそとのほう)を乾かしておくが最も宜しいものでございます。勿論陰部(まえ)に、疾患(びょうき)がありますときは、相当(それぞれ)の手当を、いたさねばなりませぬ。

 「洗滌する」の一言で済まされる裏側、客の(世の男性の)知らぬ所で、これだけの事が為されていた。娼妓に向けた本ならではの懇切丁寧さだ。
 そして、花柳病予防の環境を整えることを、抱え主に提唱して、この本は終わる。

 多数(たくさん)の娼妓が、居るところの貸座敷に於ては、熟練(てなれ)たる看護婦又は下婢(おんな)を雇い置き、洗滌室(あらふへや)、器具(きかい)の整理(とりそろえ)、薬品(くすり)の準備(ようい)、及び陰部(まえ)の洗滌(あらい)その他諸般(いろいろ)の治療(てあて)に、適当(それぞれ)の補助(てつだい)をなさしむるときは、大に便利でございます。

 看護婦まで雇い入れるような、「便利」を極めた妓楼があったのかは知らない。

(おまけのおまけ)
 洗滌器具の写真が欲しい。しかし、使われていた場所が場所であるから、なかなか見られるモノではない。2020年に開催された「性差(ジェンダー)の日本史」図録掲載のものを載せる。


 湾曲しているのは、図録の厚みのため。管は失われているようだ。
(おまけの痛恨)
 以前に買った「考現学」関係の本に、洗滌器の画が載っていたのを見たことがある。これは紹介しなければ、と思ったのだが、現物は本の山のどこかに埋もれて久しく、発掘のしようが無い。図書館で見つけようにも、タイトルを失念したので、探しようも無い。
 面白い記述があったら、メモに残しておかなきゃあいけない。持っていても読み返せない本・資料は、逃した魚、乗り損ねたバス・電車よりタチが悪い(と、書いて改めるかドーかは定かに非ず)。