日本海軍(絵本ノ中デ)健在ナリ

昭和20年3月刊の絵本で81万6千5百おまけ


 中野「まんだらけ」で、戦時中の絵本を買う。


『日本海軍』

 『日本海軍』(ニッポンカイグン)画・文、竹岡稜一。発行所は、昭和出版株式会社創立事務所。
 久しく兵器成分の乏しい記事ばかりやっていたので、今回はこれを紹介して、兵器成分を少しばかり読者諸氏と分かち合いたい。
 もっとも、帝国海軍の軍艦については、未だからっきしダメなので、ミリタリー系サイトのような解説なんかは書きません。
 例の改変を施し、本文を紹介していく。



三笠艦上の東郷平八郎

 三笠艦上の、東郷平八郎と幕僚たちを描いた、有名な画を写したもの。

 明治三十八年五月二十七日 ロシヤノ艦隊三十八セキガ 日本海軍ヲ 一ドニセメホロボソウト 日本海ニ セメヨセテキマシタ。
 ソノ時ノ 我ガ連合艦隊司令長官ハ 東郷元帥デス。
 元帥ハ「コウコクノ コウハイ コノ 一戦ニアリ カクイン 一ソウ フンレイ ドリョク セヨ」トノ信号ヲ旗艦三笠ノ ホバラシラ高ク アゲテ ヘイタイサンタチヲ ゲキレイ サレマシタ。
 コノ信号ハ「日本ガ サカエルノモ ホロビルノモ コノ タタカイ 一ツダ ミンナ 一ソウ ガンバレ」トイウ イミデス。

 日本海海戦に揚げられた「Z」旗の話だ。「皇国ノ興廃此一戦ニ在リ」は、最後の大一番に臨む決意を示す、「Z旗を掲げる」と云う慣用句になっている。しかし、Z旗が必ずしも戦勝を呼ぶアイテムでは無いことは、マリアナ沖海戦の時にも、この旗が揚げられていた一件で知れる。

 欄外には「マンナカノ 白イ オヒゲノカタガ 東郷司令長官デス。」とある。「白いおひげ」とあると、東郷平八郎も、サンタクロースの親戚みたいで可愛らしい。



バルチック艦隊を撃滅しているところ

 ハゲシイ ハゲシイ  タタカイハ 夜オソクマデ ツヅキマシタガ トウトウ ロシヤノ艦隊ハ マケテシマイマシタ。
 コノ タタカイ ヲ 日本海海戦ト イイ 五月二十七日ヲ 海軍記念日ト サダメラレタノデ アリマス。
 (l略)
 東郷元帥ハ ナクナラレテカラ 東郷神社ニ 神様トシテ マツラレマシタ。

 東郷・乃木を神と奉っても、帝国日本は滅びてしまった。非業の死を遂げた、幸徳秋水・大杉栄を祀り上げた方が、国の器量を示す意味でも、良かったのではないか、と思う。秋水は文章の神様、大杉はモテの神様(二叉かけても命は助かる)と云うことで。



戦艦の威容

 「カッテ カブトノ ヲ ヲ シメヨ」
 コレハ 東郷元帥ノ オコトバデ アリマス。
 日本海軍ハ コノ オコトバヲ マモッテ ユダンヤ ジマンヲ スル コトナク イツ 戦争ガアッテモ マケナイヨウニ 一ショウ、ケンメイニ ハゲミマシタ。
 トコロガ 日本ノ海軍ガ 強クナルノヲ オソレタ、アメリカヤイギリスハ 日本ガ 軍艦ヲ タクサン ツクレナイヨウナ カッテナ コトヲ キメテ 日本ヲ クルシメマシタ。

 太平洋戦争になるまで、油断はしなかったかもしれないが、自慢はしていたと思う。
 米英が「勝手な事を決めて」とあるが、軍縮条約に乗ったのは(のち抜けたけど)事実ではありませんか。こう云うモノの云い方が、「ユダンヤ ジマン」に繋がっているのではないか。
 扶桑型の戦艦、この角度から見ると実に勇ましい。真横から見ると、ヤキトリの串か本の山にしか見えないのに。



水上機

 胴ト 翼ニ アカイ 大キナ日ノ丸ヲ ツケタ イサマシイ 日本海軍ノ 飛行機。
 雨ノ日モ 風ノ日モ ヤスマズニ 海軍航空隊ハ 毎日毎日 ハゲシイ クンレンヲ ツヅケマシタ。

 どこかで見たヨーな構図が続く。



渡洋爆撃の図

 昭和十二年ノ夏、 シナジヘンガ オコッタ時、 日本ハ ジヘンガ 大キク ナラナイヨウニシヨウト シマシタガ ランボウナ シナノヒコウキハ ケイカイノ ジュウブン デキテイナイ 上海ホウメンヲ バクゲキ シマシタノデ 日本ノ 海軍航空隊ハ ハゲシイアラシノ中ヲ アレクルウ海ヲ コエテ テキノ 飛行場ヤ グンジシセツヲ オソッテ サンザンニ ヤッツケマシタ。
 「トヨウ バクゲキタイ」ノ名ガ 世界中ニ ヒビキワタッタノハ コノ時デス。

 「事変が大きくならないようにしようと」、もっと日中ともに努力をしていれば、帝国は今でも健在で、民国も大陸の大国として存在感を持てただろう(朝鮮・台湾は独立闘争中かも知れぬ)。庇を守っていたら、母屋が焼けて敷地も失った、と云う事である。

 横から捉えた九六式陸攻の姿も、良く知られた構図だ。



駆逐艦

 ジブンタチノ ヨクノ タメニ シナジヘンヲ ナガツヅキ サセヨウトスル アメリカヤ イギリスハ ブキヤ 飛行機ヲ ドンドン オクッテ シナヲ タスケマスノデ ソウハ サセナイト 日本ノ駆逐艦 ハ 夜モ昼モ ヒロイヒロイ 海ヲ マモリツヅケマシタ。
 マタ 陸軍ノ テキゼンジョウリクヲ タスケル タメニモ メザマシイ ハタラキヲ シマシタ。

 クチクカン(駆逐艦) テキノ 主力ノ グンカンヲ ウチ 潜水艦ヲ オイハラウ ヤクメヲ スル 小型ノ グンカン

 「自分たちの欲のために」、それが国際社会なのだろう。
 海岸線を抑えても、陸路から援助物資はやってくる。外から攻めるには、支那は広すぎる。米英が事変を長続きさせているのではなく、日本が軍事的に決着をつける力が無かったのだ。自分の不幸―原因も自身に起因する―を、世間や政治のせいにしているのと、同じヨーなものだ。
 うまく行かない事・自身の誤りは早く認め、とっとと退くに限る。



橋梁を爆撃

 海軍航空隊ハ 陸軍ト 力ヲ アワセテ テキガ ブキヲ ハコブ ミチヤ ニゲテイク ミチヲ サキマワリシテ バクゲキ シマシタ。
 シナガ ダンダン マケソウニ ナッタノデ アメリカヤ イギリスハ 戦争スルノニ ナクテハ ナラナイ 石油ヤ テツヲ 日本ニ ウラナイ コトニ シマシタ。
 ソシテ オランダヲ サソッテ 日本ヲ セメル ジュンビヲ ススメマシタ。

 「日本を攻める準備を進めました」、兵糧攻めを侵攻と捉えるかどうかで見解が分かれるトコロだ。南部仏印進駐が無ければ、それは避けられたと思っている。戦争が避けられれば、北の朝鮮みたいな、「嫌われ者国家」として生き延びる事は出来たはず(それが良いかは別な話だが)。映画「K−20 怪人二十面相・伝」の世界ですね。



空母から飛び立つ飛行機(九七式艦攻か?)

 アメリカヤ イギリスハ
 日本ヲ 小サナ ヨワイ国ダト オモッテ アナドリ コレマデ ズイブン ワガママ カッテナ コトヲ シツヅケテ キマシタ。
 コラエニ コラエテイタ 日本ハ トウトウ カンニンブクロノオ ヲ キッテ 昭和十六年十二月八日、アメリカト イギリスニ 宣戦ヲ フコク シマシタ。
 マックラナ海ヲ アラナミヲ ケタテテ 東ヘ、 東ヘ、 ハワイヲ メザシテ ススム 日本ノ 航空母艦

 「小さな弱い国」と侮っている連中が、軍艦を作れないヨーに嫌がらせをするものか? 「随分のわがまま勝手なこと」って何だろう、とも思う。ともかく戦争は始まってしまった。
 「ならぬ堪忍、するが堪忍」で、のらりくらりとやり過ごす道も出来たんぢゃあないか、「大東亜戦争」に至る経緯を思い返すと、いつも暗澹たる気持ちになってしまう。


ハワイ空襲

 ハワイ空襲
 昭和十二年十二月八日
 アメリカ「タイヘイヨウ カンタイ」ゼンメツ

 ただし空母は健在。


マレー沖海戦

 ソレカラ 二日 ノチノ 十二月十日。ワガ ウミワシハ マライオキノ海戦デ イギリスガ シズマナイ 軍艦ト イッテ ジマン シテイタ 「プリンス・オブ・ウェールズ」ト「レパルス」トヲ ミゴトニ ウチシズメテ シマイマシタ。
 コノ 大キナ センカデ 今マデ 日本ヲ バカニ シテイタ アメリカヤ イギリスハ スッカリ フルイアガッテ シマイマシタ。
 「ムテキ 日本海軍」ノ名ガ 世界ノ スミズミニ シレワタリマシタ。

 「無敵 日本海軍」、これを自慢と云わずして何とする!


輸送船団と護衛艦艇

 軍艦ヤ飛行機ニ マモラレテ 日本ノ軍隊ハ マライヤ フィリッピンヤ ジャワヘ シンゲキ シテ ツギカラ ツギヘト スバラシイ センカヲ アゲマシタ。
 ソシテ 今モ ミナミノ 空ヤ 島デハ 毎日 ハゲシイ戦争ガ ツヅケラレテ イマス。コノ戦争ハ コレカラ 何年 ツヅクカ ワカリマセン。
 テキヲミツケタラ カナラズ ヤッツケルトイウ 海軍ダマシイヲ モッテイル海ノユウシ。 私タチモ 一ショウケンメイニ勉強シ カラダヲ キタエテ 海ノユウシニ ツヅキマショウ。
 ヘイタイサン アリガトウ。 ムテキ日本海軍 バンザイ。

 日本軍は、海軍庇護の下、マレー半島、フイリピン、蘭印(インドネシア)と戦果を拡げる。しかし、戦争は「これから何年続くか」解らない。子供たちは、次の海の勇士として生きるよう求められる。

 画は、駆逐艦に護衛された輸送船団である。戦艦たちは何をしているのだろう?



 これで絵本は終わる。
 「九軍神」が載ってない、メナドの落下傘部隊(アニメーション映画『桃太郎 海の神兵』に描かれた)は無いのかと思わぬでもないが、帝国海軍の活躍を一通り述べ、将来の海軍将兵となるべき子供たちへの期待を語る、お上(かみ)が奨めそうな読み物のひとつ、と云うやつで、それほど面白いモノではない。今日まで残っていてよかったね、と云った程度の絵本に過ぎぬ。
 しかし、奥付を拡大してみると、


 昭和二十年三月 一日初版印刷
 昭和二十年三月二十日初版発行

 と記されている。
 「フィリッピンやジャワへ進撃して」と書かれた、そのフィリピンが奪還され、連合艦隊も事実上壊滅、本土空襲は進行中で、東京の下町が焼き払われて間もない時期に、

 ムテキ 日本海軍 バンザイ

 をやっているのだ。

 敗色が濃くなる中で出た絵本、と云う「色眼鏡」をかけて見ると、最後のページが「護衛つきの輸送船団」(後ろに航空機まで飛んでいる)なのが、意味深長に感じられる。食糧・燃料・国民の生活が困窮しているのは、帝国海軍が弱っている(経済活動維持の観点で云えば無くなったも同然)からなのは、当時の人なら皆感じているはずだ。
 海軍、しっかりせい! と云いたかったのではなかろうか。

 昭和20年3月刊行の新作絵本であれば、特別攻撃隊(特攻隊)が描かれていても、不思議は無い。「九軍神」を語り、「敷島隊」を描く、そう云う「絵本」があっても、不思議ではない。子供達に向けた絵本を、そうしなかった事に救いを感じる。以前(勝っていた頃)出した本のページを減らしただけかも知れないが…。
 「これから何年続くか解りません」と書かれた戦争は、半年足らずで終わる。

(おまけの余談)
 画を描いた竹岡稜一は、『戦闘機』と云う絵本も描いている。リンク先は、我が「兵器生活」5万おまけ(2001年10月公開)である。
 この頃の主筆は気合が入っていた。
(おまけの不安)
 アニメ・映画のストーリーを文字起しした「ネタバレサイト」が摘発され、逮捕者が出たニュースを見る。「対岸の火事」と認識はしているが、世の中ドー転ぶか、いよいよ分からなくなってきているので、このやり方も、いつまで続けられるものやら。

(おまけの後記)
 ホームページのタイトルが「兵器生活」なのに、ここ数年ミリタリ成分が薄い。
 もともと、兵器そのものの実像を明らかにするのではなく―そちらの書き手はナンボでもある―、それらが戦前・戦中の国民に、どんなカタチで公表されていたのかを、当時の雑誌記事などから、今と異なる・変わらないトコロを見て、読者ともども楽しむ。と云うのが、ここの本分なので、ミリタリ成分の少なさは折込済みではあったのだ。

 ところが、10年近く続けてみると、思ったほど兵器・軍事に関する、一般国民向けで興味深い記事を拾うことができない現実に気付く。一方で、広告や生活記事を発掘するのが楽しくなって来た。
 さらに、2016年秋に公開されたアニメーション映画の制作準備を、2010年11月頃から手伝うことにした事で、一層、兵器・軍事のワクを超えて古本やガラクタを買い込むようになる。調査協力の大義名分を得たので、コレは、と思ったモノばドンドン買う。しかし「兵器生活」に使える時間は削られる。結果、記事は小粒―「おまけ」ばかり―になり、読者は逃げる。ネタ度の高いモノは右から左に「供出」してしまうので、手許に残るのは、買ってはみたものの、使い道の見つからぬ古本ばかり…。

 幸い映画は完成、世間の評価も上々、カントクは次回作の準備に取りかかりのめでたさ尽くし。
 サァ「兵器生活」立て直し、となるはずが、読みたい本・面白そうな本を後先考えず買う習慣が付いたばっかりに、土曜に買った本が、次の金曜には何処に置いたか分からなくなる(翌日、また本が増える)。六畳一間と台所は「本塚」と化し、ネタにすべく買っていた資料も埋没。厚みのある本、冊数のあるモノを敬遠するようになってしまい、今に至る。

 こんな有様なので、読者諸氏には心底申し訳なく思っている。