「大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性」で81万9千800おまけ
高円寺の古書会館で、こんな冊子を手に入れる。
『大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性』(西野入徳、早稲田大学出版部)。奥付は無い。
現代日本の少子化の一因に、晩婚があると聞いているので、何かしらの参考になる―ネタに使える―話があるかも、と買ったもの(安かった事もある)。本文に「ボース氏指導の下に印度独立軍をさえ編成するに至り」の記述があり、巻末の註に「日本国勢図会昭和十八年版」ともあるから、昭和18(1943)年か19年頃のモノと推測される。
内容は、
一、緒言=人口の量及質と国家の盛衰
二、日本が必要とする高等学府卒業者概数
三、我邦高等教育適格者概数
四、優秀人物の不足と高等学府卒業者早婚の急務
五、結論
と云うものだが、各項の分量はまちまちだ。目を通すと、戦時中ならではな(著者の個性の出た)モノの捉え方は面白いが、早婚を増やす秘訣が書いてあるわけではない。と、なるとネタとして面白いのか? となってくるのだけど、こんなモノの考え方もあったのだ、と紹介する価値はあるだろう。
以下「例によって」とやりたいのだが、元の文章が硬く、常用でない漢字がちょくちょく使われていて、テキスト化しずらい。と云うわけで、今回は適宜要約する。
緒言冒頭は
国家の興亡民族の盛衰を決定する要因は種々様々であるが、就中重要なのは之を構成する人口の量と質である。
と延べている。
近年の少子化問題は、現在の社会制度(年金・インフラ維持・配送など)が維持出来なくなる、と云うトコロに、焦点が当てられ過ぎている印象がある。それは量の話と云える。一方、日本から世界的な発明、新しいビジネスの仕組みが出ていない、学力が低下しているなどの指摘も聞く。これは質の話だよなあ…と無理にでも思って読めば、興味は深くなる。
人口の少ない国、スウェーデン、オランダ、ベルギーは、個人として世界的な学者、芸術家を輩出していても、小国として近隣強国の掣肘を免れることが出来ない。一方、人口が多ければ、中国のように、民衆の多くが無学文盲(80年以上前の見解である)で、強国に搾取されても民族の生命力は強く、華僑として居住地の外にまで存在感を示していると云う。インドもイギリスの愚民政策、異種族相競政策で抑え込まれてはいるが、
今やボース氏(註・チャンドラ・ボース)指導の下に印度独立軍をさえ編成するに至り 英国をして益々焦慮せしむる
と、「三億七千万の大人口」の「圧力」を語る。
西欧列強の一角を占めるフランスは、ルイ十四世時代には「全欧州を制圧」し、ナポレオン時代は「列強をして其前に戦慄せしめたる最高の国際的地位」にあったが、「今や二等国となり(略)今次の世界大戦に於いては(略)首都パリは無血陥落の悲運を見る」に至ったと記す。著者はこの原因を、ルイ十四世時代には「全欧州の約三分の一」の人口を占めていたものが、19世紀には「約六分の一」に低下、第一次世界大戦を経たこの時期、「十二分の一」に激減した「仏蘭西人口の圧力低下」にあるとしている。当時の読者はなるほど、そーかもしれないな、と頷いたのだろうが、その後パリは奪還され、フランスは国際連合安全保障理事会の常任理事国になる。核兵器も持っている「大国」に返り咲いた事を思うと、著者の考え方って、正しいのか? と眉に唾をつけたくなる。
フランスの復権はもとより、帝国日本の敗北すら知る由もない著者は、
国家間人口圧力の著しき差異は 直接第一線の戦士及銃後労務者補給力に影響して 戦闘力を左右するは極めて明瞭なる事である。のみならず人口増加力の旺盛なる国民と然らざる国民とは、其士気に於いて青年と老人との差を有し、従って科学の進歩、軍事教練、産業開発等国家活動の各方面に及ぼす其の間接的影響亦頗る大である。
と結ぶ。
一国の人口圧力の多寡の重要性を述べたあとは、一国を構成する人口の質―「遺伝的素質」・「教養的資質」の程度が、国家の運命を左右する事が語られる。
遺伝的素質の劣悪なる民族は 到底優秀なる国家を建設保持する能わず 優秀民族の前に漸次退却滅亡し行くは、アメリカ及アフリカ原住民の実情最も雄弁に之を物語り、、敢て多くを論議するの要を認めない。併し遺伝的には良素質を具備する民族と雖も 之に充分なる教育と訓練とを加えざれば真に強健偉大なる国家を実現することは不可能である。
人種への偏見も、こう露骨に書かれると、かえって明朗快活なモノだ。優秀民族だからといって、教育・訓練―「訓練」の語があることに注意―がなければ、強い国は作れない。その例として「支那」「印度」が挙げられている。中国が当時の現状はさておき、「史実」―具体例は示されていないが、漢字漢詩に四書五経、日本のお手本・憧れでもあった―を省みれば、「遺伝的素質は決して劣悪ではない」と語り、インドも「仏教を産み出し、印度哲学を創設」した「頭脳は決して貧弱なるものではない」との認識を示す。国家が弱体化した理由を、「教育の不振より来る国民資質錬磨の不足」(支那の場合)、「教養欠如に基づく質の低位」(印度の場合)と、分けて書いているが、云い替えているだけである。
中国もインドも、「第三世界」の雄の時代を経て、大いに躍進している。特に中国の大国化は、日本国民の中に、中国に呑み込まれてしまう恐怖心を抱かせるまでになっていて、「人口圧力」とはこう云う事かと、著者は思いもよらぬ説得力を醸し出している。
本文は、ここで場所と時代が古代ギリシャに移る。ギリシャでは国力盛んになるに従い、人口は農村から都市に流れて文化の享楽に耽るようになる。これにより出生は低下、人口が減少する。生産は外国移民と捕虜の末裔が担うようになり、彼らの出生の多さからギリシャ人の人口圧力の低下が起こる。その結果、「第一流の指導的人物は(略)出現せず、(略)第二流人物も欠乏し、終には三流四流の人物を以て 一流人物に非ずんば触るべからざる重要職責に就かしむるを余儀」なくされ、国力は衰退、ローマに征服されたと述べる。そしてローマもまた、享楽の生活による出生率の低下により、滅亡したのだと説く。
こうして、
一国の指導階級に立つ人物の質と量の優劣如何は、該国家の運命に至大の関係ある事を痛感せざるを得ない。殊に科学の発達と其応用とが平時及戦時を通して益々盛んとなりつつある現代に於ては此方面に優秀なる指導者を有たぬ国家は啻(ただ)に国運の進展を期待し得ざるのみならず、国家の無事生存さえ保証され得ないのである。
の言葉が導き出されるのだ。人口の量と質の話は、さまざまな事例を経て、いつのまにか「指導階級の質と量の優劣」にすり替えられている(笑)。
「国家同士の熾烈な生存競争」の図式は、現在では説得力が衰えた印象がある(国家として認められていない地域の住民への蛮行は無くならないが)。
その前提はさて置き、ギリシャの衰退に、「農園は漸次捕虜及び外国移民の占有する処」となった事を指摘したり、ローマ滅亡の因を「健全なる家庭生活を失い」、「優良なる人物の輩出を見る事能わざるに至り」と語るところは、現代日本にも通じる感じはある。しかし、本文では日本・日本民族が優良な素質を持っているなんて書かれていない。それは記すまでもない前提なのだ。
続く「二、日本が必要とする高等学府卒業者概数」は、国家間の生存競争に生き残り、国家の健全な成長発展のため、幾何の青年に対し高等教育を施せば、優秀な資質を持つ指導者が供給されるのかを検討する項になっている。
最初に、一国の国土の事情、つまり耕作地と人口の多寡、農業国として継続出来るか、鉱工業への転換・発達、市場を国外にも求めるかによって、高等教育ある指導者の数は変わって来るとする。対外関係が平穏なら軍隊の規模も小さく、大学卒業の将校も多数は要らないが、工業をやる、軍隊も強くするとなれば、それぞれに高学歴者は求められる理屈だ。
それを日本に当てはめるとドーなるか?
昭和5年の日本の有業者数を基礎として、戦後の大東亜経営に要するだろう最高学府卒業者の数を加味して計算をしてく。しかし、昭和5年当時が不況だったこと、現在進行中の戦争により、有業者の現況が変化している(が、公表されない)ため、
農業2割減
水産業と商業は5割減
鉱工業と交通業は5割増
公務自由業者は、陸海軍航空学生の大量募集と、大東亜共栄圏への最高学府卒業生の大量進出を必要とするため2倍増
して計算したと云う。
本邦年次所要高等学府卒業生一覧表
(毎年、これだけの人が必要だと試算したもの)
戦争の先行きが怪しくなっている最中に、「大東亜共栄圏経営」のため、高学歴者が必要だとする。ここが、この論文のオモシロイところなのだ。現地からの人材登用は考えていないように読める。共栄圏経営の事は知らないが、論者は日本人(指導者)が世界に拡がっていくことを願っているようだ。公務自由業者が2倍になるのは、陸海軍航空学生になった者、共栄圏経営で海を越える者の何割かが「損耗」する事を見込んでいるのだろう。
本文は、
本邦各種産業の能率を最高に発揮し、啻に大東亜戦争を完全に勝ち抜くばかりでなく、戦後に来る平和の国際競争場裡に立つ日本をして最も優秀なる地位を保持せしむる為には、各職業者の何割が大学又は高等専門学校の卒業者であるべきかと云う事である。
こう問いかける。第一の農業は、「実に我邦の基礎であり国家生命の源泉である」とした上で、
国民の生命を保持するに必要なる衣食の料を生産し、又戦捷に必須なる強兵を軍に供するばかりでなく、国家の健全を保持するに最も必要なる質実剛健なる国民精神培養の源泉
だと述べ、加えて「農村衰えて商工如何に盛なりと雖も国家は精神的に又物質的に必ず衰い総て滅亡せざるを得ない」とまで語る。ゆえに、農村の各方面に健全な発達、経済生活を安定させるだけでなく、
都会の模倣に陥らず農村の真善美を確実に把握発揚し、農民をして心の底より田園を愛好し、喧噪にして軽佻浮薄なる都会よりも閑静優雅にして人情濃かに自然美豊なる農村こそは真に人間らしき生活を営むに応しき所であるとの強き信念と親しみとを抱かしむる様な施設と指導と雰囲気とが我が農村に必要である。
と続け、そのために農民の「相当数が高等教育を有し」、農業の経営改善の専門知識と、政治から芸術までの一般文化の教養と理解を持った者による指導啓発が必要とする。それは、
農業者十名を単位として隣組を組織し、其中少なくとも一人即ち有事業者の約一割は高等学府の卒業者である様にする事が必要である。専攻学科は必ずしも農業たるを要せず。否、政、経、法、文、音楽、宗教、理、工等異種に富む程寧ろ望ましい
と云うものである。農村の指導啓発のための指導者層には、多彩な教養者の存在が望ましい、と云う考え方が面白い。農民自身の教化よりも、こう云う人達による、新聞・雑誌・ラジオの記事の解説を期待していたのだろうか。
ギリシャ・ローマの衰退が、農村から都市への人口流入(農業離れ)の見解に立てば、農村の発展は必須なのだ。敗戦後、小作の自作化とあわせ農村の生活改善は大きく進められたのであるが、日本の工業化の勢いが、それを阻んでしまった。
他の産業はどうか。工業は一割五分。公務自由業者は、「一面統制の盛となるに伴い 国内官公吏の所要員著しく増大すると共に 他方大東亜共栄圏経営の為に之を要する事亦甚に大である」、「軍部方面に於ても高等教育ある若人を多数要求しつつある」ことから、その九割を高等学府卒業者としている。
こうして、有業者総数2940万中、830万が大卒・高専卒であることを求められ、各人が40年活動するものとして、毎年20万6千人の最高学府卒業者が入り用になるとされている。
続く「三、我邦高等教育適格者概数」には、昭和14年の大学及高等専門学校卒業者総数が5万2千7百人と記されている。20万必要なのに、実態は5万人。四分の一を満たすのみ。ネットにあった論文では、昭和15年の卒業が約4万人、20年で約5万4千人とあった。文部科学省の資料を見ると、https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/career/05010501/001.htm 大学卒業者数は、昭和40年約16万2千人、50年約31万3千人、平成10年52万9千人とあるから、戦後30年近くたって、ようやくこの所要数を満たすことになったわけだ。それで日本国・日本人が隆盛しているかと問われると、正直そうは思えない。最高学府の数が増え、進学・卒業者も増えているわりに、「優秀な指導者」が増えているとは云えないことは、政権与党の実力者の年齢が、ドーみても大学卒業後40年を越えていたり、社会のエライ人が色々としくじるニュースを見続けていれば、見当が付くと云うモノだ。
(おまけの次回に続く)
論の前提が、いささか怪しいところはあるが、大東亜共栄圏経営のため、高学歴者が必要になる、と云うトコロに面白さを感じて、紹介している。いよいよ「四、優秀人物の不足と高等学府卒業者早婚の急務」に入るトコロなのだが、エアコン無し(現在の室温34度)での執筆環境がそれを許してくれない。「次回に続く」とする。