『大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性』その5で82万1千百おまけ
今回も、「大学及高等専門学校卒業生早婚の国家的重要性」(西野入徳、早稲田大学出版部)の続き。
前回は、高等教育を受けた人が、そうでない者達に比べ晩婚であることが語られている。そのため、指導階級となり得る素質を持つ人間の割合は、現在(論文が参照した時点)の15%から、200年後には0.25%にまで減ってしまうと云うのだ。それでは国家・民族の将来が無い。ゆえに高学歴者の初婚は男子25歳、女子20歳にするよう提言している。
以下はその続きである。例によってタテ書きをヨコ書きに替え、仮名遣いを改め、文に読点が無いトコロを読者の便宜を計るべく、空白を挿入するのみならず、改行までやらかしている(汗)。
(承前)反対論者は云う、「高等学府卒業の男子二十五歳にては収入少なくして 結婚するも家族を扶養する事能わず」と、一応はその如く響くが それは都市に居住し 高き生活程度を維持する事を前提とせる場合の事にして、就職及生活に対する斯かる態度を 此際是正する事が必要である。
収入の問題は、昨今の少子化対策でも言及されるところだ。それを「一応は」と受け止めるフリをして、そもそも都市での高い生活程度を指向する了見が間違っていると切って捨てる。なぜか?
智識階級をして啻(ただ)に晩婚に陥らしむるのみならず、結婚後に於ける出生率を低下せしむる主要原因は、都市文化の異常発達、人口の都市集中、生活程度の上昇、精神生活の低調等である。詩人クーパーも歌える如く、田舎は神の創造なるに対し 都会は人間のデッチ上げた細工物である。都会に或る種の便利と安易とはあり得る。併し大自然に抱かるる田舎の雄大さと荘厳さとはない。都市は人を優美華麗ならしむるかも知れない。併し田舎の如く質実剛健ならしめない。人間は都会生活長びくに伴い 漸次自然より遠りて不自然の存在となり、恰も母より隔離されたる赤子の如く、心身両方面に営養不良を惹起する。斯かる精神的並に肉体的栄養障害より来る不快と苦痛とを 享楽によりて麻痺せしめんと欲し、其結果美衣美食、映画、観劇等に費やす費用と時間とは不知不識増大し、何時の間にか生活程度は上昇し物欲は益々蔓びこり、反対に純潔なる霊魂の飢渇と 聖なる神への憧憬とは漸次減退し 終には全く消滅して単なる智識を有する動物へと堕し、「愚なる者は心の中に神無しと云えり」との古聖の警句を実証するに至るのである。
「詩人クーパーも歌える」とあるのは、18世紀の英国詩人、ウィリアム・クーパーの「God made the country, and man made the town.」の事。「神は田園を作り、人は都市を作った」、「神が自然を作り、人ガ都市を作った」などと紹介される、知られた言葉である(と云う事を今回初めて知った)。
都市文化の「便利と安易」は認めつつも、大自然から切り離された都市での生活そのものが、人間を不自然なものとし、心身を病ませるのだと云う。都市の文化は不自然な暮らしを誤魔化すモノに過ぎず、享楽に、物欲に耽る「智識を有する」ケダモノを産み出すだけだと云うのだ。
斯かる状態に陥りたる者は健全なる子孫欲を喪失し、母性愛よりも自己享楽愛の方が強まり、従って子女の出生成る可く少なきを希求するに至る。斯くの如き心理状態が家庭を支配する時、仮令結婚は増加するも 出生率は意識的に或いは無意識的に低下せしめらるるのである。故に此の悪傾向を防止し 高等学府卒業者の出生率を常に最高に維持する為には、彼等をして成る可く都市を避け田舎に居住する様心掛けしむると共に、止む無く都市に居住する場合は、物質的生活程度を健康にて活動するに支障なき範囲に於いて最低に保たしむる事が極めて肝要である。
自己の享楽本位の生活を突き詰めれば、性行為はしても結婚は面倒事となり、子どもは享楽の足かせになる。親がパチンコの最中、駐車場に残した車の中で、幼児が熱中症で亡くなったり、子どもを自宅に置き去りにして親は遊びに出て帰らない事件を思い浮かべれば明らかだ。
ともあれ、論者の考えは都市を捨て田舎で自然に親しむ事に尽きる。刺激が少ないから子作りに励めるだろう、と思っているフシさえある。「健全なる子孫欲」を、独り身で還暦を迎えようとしている主筆は実感も想像も出来ない。
此の決心によりて生活を簡易化するならば、二十五歳にて結婚し、勤労収入のみによりて家庭を維持し家族を扶養する事必ずしも難事ではない。蓋し高等学府出身者二十五歳に於ける収入は 独立事業を経営する場合は暫く措き、棒給生活の場合を見るに、最低年収千二百円月平均百円を下る事は極めて希である。是丈の収入により田舎に於いては元より都市に於いても質素を旨とせば、夫婦と子供一人位の生活は充分に支持し得る。子供が二人三人と増加する頃には、収入も亦増加するが故に、余り生活程度を高めぬ限り生活費に事欠く事は決して無い。
子どもが二人三人増えるタイミングで収入が増えれば良いが、給与は子どもの数に比例して上がるモノではないし、自営の売上もそうだろう。終局的には4人5人それ以上の子を産み育てないと、指導階級の人口は所要を満たさないと云うのだから、「収入も亦増加する」から心配無用と云うのは、無責任ですらある。
或る人は結婚費の貸与及家族手当の給与により、晩婚と出生減退とを阻止する政策の効果を高調し、我邦に於いても或程度之を実施しつつある。斯かる政策は一見して如何にも効果的なるが如くであるが、長き目を以て見れば 効少なきのみならず却って国民性の上に有害なる結果を齎(もたら)す危険すらあり得る。是はフランス及ベルギー等に於いては 此の方面の人口政策至れり尽くせりであるにも関わらず、結婚は増加しても出生率は益々低下の一路を辿って居るに徴しても明である。
結婚並に出生の増加に対する最も健全且つ恒久的なる方途は、国民をして歪められざる生物本来の自然の姿なる 強き強き子孫欲を健全且つ最高に保ち 反対に享楽欲の如きは極端に之を卑下排斥すると共に、多数の子女を産み育つる事は、一旦緩急に際し 御国の為め戦場の露と消ゆるにも 決して劣らぬ忠君愛国の美挙であり義務であるとの極めて牢固なる信念を抱かしめ、結婚及び出生に対し国家より経済的補給を受くるが如きは 忠良の民として恥ずべき事と感じ、寧ろ一方簡易生活によりて生活費を切り詰むると共に 他方勤労を一層励みて所得を増加し、依りて以て多子養育費を悉く自弁するを当然とし誇りとするが如き剛健なる国民性を涵養する事是である。
結婚費用の補助や、家族手当を支給して、家計を助けることで結婚・出産・育児を盛んにさせようと云う考えに対して、論者は、フランス・ベルギーの例を引き否定する。そして、この人の論旨は、「強き子孫欲」を保させるとともに、多数の子女を産み育てる事が、国家への義務との観念を持たせると云う、妙な精神主義に向かう。国家からの「経済的補給」は「民として恥ずべき事」で、「生活費を切り詰め」「勤労を一層励みて所得を増加」させ自力で乗り切らせると云うのだから、戦時中の論考とは云え、この自助指向はスゴい(笑)。
その「国民性」実現のため、どうすべきなのか。
斯かる国民性を培養完成するには、物質準備と精神的修練との二方面に深き注意が必要である。前者中第一に必要なるは大規模の国土計画を確立し、大都市の人口を地方に分散して小なる市町村となすと共に、都市には各家庭に若干の農耕地を附属せしめ農業以外の職に携わる者は商工業、自由業、公務共何業たるに論無く 悉く毎週少なくとも数時間は必ず土に親しみ農耕に携わり大地を通して自然との親交を保ち 都市の中にも良く田園的雰囲気を醸出し以て都市の齎す弊害を最少限度に止むべく努力する事を忘れてはならない。
小都市に分住し「大地に親しむ」。これによる社会の効率低下は考慮されない。ここでテレビジョン網を全国に展開し、あたかも対面するが如く事務を遂行出来るようにする、とあれば立派なSFで、紹介するこっちも鼻高々なのだが…。
第二に必要なるは霊魂の切磋琢磨である。人心の奥底に潜み 人生を高き彼方へと常に押しやらでは止まぬ不滅の霊魂を磨き、宇宙の父なる大霊と不断の霊交を盛んならしむる事は、何事にも増して最も肝要なる事である。蓋し人間は霊と肉との両者よりなり、其調和によりてのみ健全であり偉大となり得る。物的肉体的方面如何に完備するとも、若し霊的方面の啓発訓練徹底せずんば、個人も将又社会も到底真に健全たり得ず、従って一国人口の質と量の優秀は之を■(一文字不明)ち得る事至難である。 吾人動もすれば 目立ち易き物質的方面のみを重視し 直接目に映じ手に触れ得ずと雖も、夫れ等の物以上に重要なる 根元的なる霊的方面を軽視又は無視するの誤謬に陥り易い。故に人口増加政策考究の場合 殊の外此点に留意を要する 斯くして仰ぎては天を敬して霊を養い 伏しては土に親しみて体を錬り、常に天地正大の気に包まるる時、人は自ら簡易生活を撰び質実剛健となり、出生率は常に高きを保ち 優秀なる人物踵を接して出現し、彼等の良指導下に国家は健全なる存在と 久遠の発達とを齊ち得るのである。
「霊魂」まで出て来てしまった。志を高く、行いを慎み、天地に恥ぬ生き方は指向すべきものである。人が徳高くなるのなら、社会・国家は堕落しようが無い。簡易生活で質実剛健な人づくり、大いに結構。しかし、それは人口増加の方策なのだろうか?
五、結語
大人口は国家生命の源泉にして、是を個人に譬うれば恰も四肢五体の如く、而して優秀なる人物は其頭脳である。両者相俟って 始めて永遠に亘る民族の健在と国家の繁栄とが可能である。大東亜三千万方キロメートル地域には 十有余億の大人口居住し、世界総人口の半数以上を占め 而も其出生力は旺盛にして、地球上他の何れの地域も及ばぬ強大なる膨脹力漲り、優秀なる指導者の来たりて之を善導せん事を待望して止まない。此大東亜の指導者たる重任は、好むと好まざるとに関わらず、我大和民族の頭上に天より下されたのである。
大和民族が大東亜の指導者になり損ねた事は云うまでもない。アジアの民衆も、自身や子孫の幸福を求めつつ日々暮らしているが、日本人の指導が必要などと思っている者がどれだけあるのだろう。江戸時代を終わらせ、日本の近代化を目指した人々は、確かに西欧人の指導を仰いだ。しかし、近代化が緒につけば、自分たちだけでやるヨーになったではないか。「一等国」と自惚れたあげく国を亡ぼした歴史を省みると、何を寝ぼけた事を云うておるのだと思う。
其先駆を承り重責を担う者は 元より高等学府卒業者にして、其所要人員は数十万に登る。然るに現在我邦高等学府を年々卒業する学徒の総数は 僅かに五万数千にして所要人員の半にも達し得ず、此際有能適格者にして未修学状態にある青年を 悉く高等学府に学ばしむるも尚且日本内地の需用をすら充分に充たし得ない状態である。
吾々は如何にして此大東亜隣邦の要求に応うべき?
差当たり内地所要員の一部を割きて之に充て 辛うじて其責を塞ぎ居るに過ぎない。是元より不充分にして 高等学府卒業者に対する隣邦の要求は日と共に切実を加えつつある。日本内地人口の質と量との充実に最善の努力を払うは、我邦高等学府卒業者第一の責務たるは論を俟たぬ処であるが、同時に是等隣邦の切なる叫に応ひて立つは、是亦吾人当然の責務である。
一部の優秀者が敢然立って外地に進出するは 第一に為さねばならぬ緊急必要事である。併し更に肝要にして根本的なる責務は、是等優秀階級の結婚年齢を 男子二十五歳女子二十歳に早め 其出生率を最大限度に高め、卓越する後継指導者をより多く世に供し、依て以て一は日本の国運を大に進展せしむると共に 一は以て東亜隣邦の指導開発に遺憾なきを期し、更に進んで全人類の福祉を永遠に保証する事でなければならぬ。身(ママ)高等学府を卒業したる者、又は数年の中に卒業せんとする者、其重責に深く恩を致し、早婚の決意と準備とを堅むる事甚だ肝要である。
結局のトコロ、早婚の必要性は説かれても、早婚を実現させる具体的な方策は記されて無い。早く結婚したい、と云えば、学校の恩師、職場の上司、ご近所の世話焼きが見合いの釣書をどんどん持って来ると、論者は思っているのだろう。
(おまけの余談)
本論考は、高校・大学出が社会の少数にあると云う大前提を持つ。旧制・新制、学制の違いはあるがその頂点は変わらない。戦後から現在に至る進学率の増加は、「指導階級」となり得る人材の増加ではなく、「大学出」内部に階層を生じさせ、最高学府の価値を墜とし、晩婚の傾向を拡げたと云える。
そして、都市文化はテレビ電波と出版物に乗って地方に根付き、インターネットの普及・発展で、より深く浸透しているのだ。
(おまけの困難)
論者が記す「田舎は神の創造なるに対し 都会は人間のデッチ上げた細工物である」と、元ネタとする、クーパーの「God made the country, and man made the town.」とは、飛躍があるように感じてならぬ。ここだけ切り取られた状態では、神と人・田園と町の対比でしかなく、人が集まって生きる場所への嫌悪まで読み取るのが怖いのだ。
と云うわけで、本屋でクーパーの詩集を買ってきた、と行きたいトコロなのだけど、近所の本屋で見つける事は出来なかった。職場近くの公立図書館にも足を運んでみたが、棚が「英米文学」となっている時点で、結果は見えたヨーなモノだ(笑)。