問答無用の語り口!!

「ソヴェート映画」の、上から過ぎる宣伝文句


 どこの誰かもわからない、世間とやらに怖れおののき、際限もなく気を遣う昨今にあると、「ラーメン屋の頑固親父」、「この道一筋の職人」がビシリと放つひと言を妙に有り難がってみたり、「真っ赤なクルマ」を乗り回す公務員が、命令一下キビキビと火災現場を動き回る様に、カッコ良さを感じることがある。彼らが今、何をすべきかに迷いがなく、目の前の相手に、直接働きかけることが許されている存在だからだろう。

 相手にじかに向けられる、ムダの無い・しばしばたたみかけるような口調は、遅疑反論の余地なき一方的な伝達にも用いられるから、それが正論であり、理路整然・委細尽くして語れば語られる―受け手にとってイタいものであればなおの事―ほど、「エラソー」だと批判もされるが、伝達・受領の関係の外から見ると、語り手の『正義の質量』の大きさが感じられ、面白いものである。
 今回は、その一例として、毎度の「ネタ詰まり時の良薬」―昔のチラシ―を御紹介する。

 例によって仮名遣い等を直しているが、原文のリズミカルな調子を読者諸氏にも味わっていただきたいので、句読点の挿入、改行は施してない。


「アジアの嵐」チラシ

 今シーズンを驚殺せしめるソヴェート映画
 十月卅壱日公開!!
 松竹座!!

 アジアの嵐

 火だ!火だ!丸で火だ!一切を焼盡す
 凄まじい迫力と爆弾の如き感情の放射!!
 海を越え、検閲難関を突破して来たるソヴェート・ロシア映画、本邦に公開許可せられたる文字通り最大の最高の傑作は是れ一本だ!!

 モンタージュ!!モンタージュ!!全日本映画界を一大波瀾に投げこんだモンタージュとは何ぞ!!
 世界を慴伏せしめたるW・プドフキンとは何者ぞ!その名声隆々たる映画監督手法は何を示すか!!
 一体全世界の謎として横たわるソヴェート・ロシアとは何だ?好むと好まざるの別なく全日本人が必見すべき映画!映画芸術の大旆をかざして群小映画を圧殺して昂然たるべきものはこの映画あるのみだ!!繊細とか優麗とか典雅とかは一破片もない、凡てこれ、荒削のままの意志だ!!ピチビチと張り切った意志の火花だ。身を以て、諸君の前に叩きつけた真実の迫力だ!旋風的クライマックスの炸裂だ。

 世界映画の革命!安価な個人的英雄主義を打砕く集団主義!集団がマッスが主演者の破記録的正統映画の指針だ

 ソヴェート・ロシア映画形態を最も明快に解剖して諸君の前に現前せしめるものがこのW・プドフキン監督『アジアの嵐』

 広茫幾千万里大蒙古に於ける白人資本主義の悪辣非道不義の魔手跳梁!それに反抗する蒙古民の烈火の如き覇気!石は飛ぶ岩は砕ける木は折れる、ふれるもの皆嵐の妖気にひれ伏す!正義の挑戦だ!吼えろアジア!起てアジア!アジアの勝鬨だ!!

 「アジアの嵐」を見ずしてソヴェート・ロシア映画を語るべからず!!

 漢字の奔流!感嘆符の嵐!!「だ・だ・だ」!!!
 文字ばかりの紙面を我慢して音読すると、革命的気分が横溢してきて、不思議と心地よい。
 昭和5(1930)年のキネマ旬報(無声映画部門)ベストテン第二位、1928年製作のソ連(当時)映画である(プドフキン、現在の名前の英語表記には『W』が無いのだが、何の資料を見て『W・フドフキン』と書いたのか?)。
 映画の説明は観て無いので略す(検索すればあらすじなど色々出てきます)が、チラシの「広茫」以下を読めばどんな映画なのか見当はつくだろう。

 有名な映画技法―古典文法の「掛詞」くらい名の知られた―「モンタージュ」が、少し前のCGや今時の3Dと同様、センセーショナルなものとして謳われている。現在、「モンタージュ」と云えば、同じソ連映画「戦艦ポチョムキン」(大正14/1925年)と、監督エイゼンシュテインの組み合わせだが、この映画、皇帝に刃向かう、軍隊と民衆の映画なので輸入禁止となっている。チラシに表れる「検閲難関を突破」の表記は、大袈裟でも何でもないのだ。しかし、朝鮮の三・一独立運動を抑圧した国の官憲が、民衆が支配者に叛旗を翻す映画にOKと云うのは、ある意味『お目出度い』話と嗤わざるを得ない。
 「アジアの嵐」日本公開の翌昭和6(1931)年には満洲事変が勃発、年が改まると『五族協和』の満洲国建国だ。そして昭和12(1937)年、『開明的な弟が、因循姑息な兄を(殴って)諫める』―もちろん弟の論理。殴られた兄は今なお恨んでいる―、支那事変に至ることになる。
 ちなみに無産党ファンの会編「無産政党早わかり」の刊行は、この年の5月のこと。

 チラシに戻る。
 当局の云う「極左暴力集団」(絶滅危惧種/無形文化財として保護される日も近い)のビラに見られる、社会の前衛を自任する人が、無知蒙昧・遅れた大衆を指導する構図が、強く現れている。「好むと好まざるの別なく」、すべての映画愛好家は、ソヴェート・ロシアの最新映画技法を駆使して作られた、この映画を学習し、真の映画芸術の旗の下に集わねばならぬと云うのだ。

 戦前のソ連映画、今日の左翼アジビラ的文体だからと云って、当時の左翼陣営の作成したチラシと早合点してはならぬ。劇中の写真を取り込み、大小の活字を散りばめる、それなりの印刷設備を要する紙面は、これが資本家階級の手になるものを物語る。なにより証拠、チラシ下端には

 同時公開・実演・ハダカゲキ・名画 我が心の歌

 なる出し物が告知されているのだ!!
 「実演」が劇場ステージで行われる芝居や歌などを意味するのは云うまでも無いが、

 ハダカゲキ!!ハダカゲキ!!とは何ぞ?

 とチラシ文句を、つい真似てしまいたくなる。素直に漢字にすれば「裸劇」、タイトルには「名画」、これではまるで戦後の『額縁ショー』ではないか! すわアジア民族の蹶起とエロの共演! かと色めき立ってしまうところだが(読者諸氏はさておき、主筆はそうなった)、いくらエログロナンセンス時代とは云え、松竹座(松竹が系列下に組み入れた各地の劇場を『松竹座』と称したため、このチラシが大阪・京都・名古屋・神戸・浅草・新宿のどこで配布されたのかは解らない)が、官憲に挑戦するわけが無い。

 ハダカゲキ、漢字で書けば「羽田歌劇」。
 「羽田別荘少女歌劇団」と云う、広島市内の料亭・羽田別荘に本拠地を構えた劇団である。宝塚の少女歌劇に着想を得て創立。初演は大正7(1918)年、終演が昭和16(1941)年と云う、日本で二番目に設立された少女歌劇団だ。お抱えの芸妓・芸妓見習いたちでスタートしたが、後に一般から団員を募集するようになり、昭和5(1930)年には、大阪・東京でも興行するまでに成長したと、ものの本(『少女歌劇の光芒』倉橋 滋樹/辻 則彦、青弓社)には記されている。
 さて、本書には「(略)ハダカゲキと名乗ったが、それを『ハダカ・ゲキ』と錯覚した人も多くいたという」と書かれている。解散から70年も後になって、引っかかる間抜けは自分くらいなものだろう(笑)。ネットでこの本を知り、あわてて買ってきたのである。