米国にも空軍を!(1940年)

「軍艦対飛行機」番外編


 「タイトルに騙される」と云う経験をしたことのある読者諸氏も多かろう。「作者贅言」において私は「軍艦対飛行機」第二回の原稿となるべきネタを、打ち続けている旨を再三記載してきた。
 ところが!心ならずも私は「軍艦対飛行機 番外編」として、以下の文章を挙げねばならない事態に陥ってしまったのである。そう「タイトルに騙された」のだ。

 「ならばボツにしてしまえばよいではないか」
 貴方は正しい!しかし、以下の文章を、ネタ本を見ながら、すべて私が手入力した結果として、「タイトルに騙された」ことを知ったならば、大目に見ていただけるものと、私は信じたい(笑)。

 「軍艦対飛行機」ネタの第二回目である。ネタ本は最近「こればっかやん」の「空」。昭和16年1月号に掲載された、本誌の記事「空軍か艦隊か」である。米国の雑誌に掲載されたものを、加藤哲夫と云う人が翻訳している。
 全文打ち込むのが少々しんどい分量であったが、すでに最大の仮想敵となった米国側(もちろん、米国すべてがこの意見に統一されているわけではなく、むしろ少数意見である可能性が高い)が、この件に関してどのような認識を持っていたかを知るには良い機会であるので、「空軍か艦隊か アメリカの国防(1)」として掲載された内容を全文紹介する。
 (なお、後半部にあたる「空軍なき米国 アメリカの国防(2)」は「軍艦対飛行機テーマと直接関係が無いので別途紹介したい)
 雑誌記事の常として、改行が殆ど無いのだが、それでは読みにくいこと甚だしいので、適時改行、句読点を施してある。

空軍か艦隊か アメリカの国防(1)

(以下は”米国の国防”なる標題にて2ヶ月に亘りAero Digest Spt〜Oct 1940に掲載された議論であるが、今次欧州大戦の主として独空軍の英本土攻撃につき、航空兵力を中心に戦術的に敵味方の短所長所を抉り、結論的に悲しい哉、英本土陥落の必然を信ずる筆者の筆は一面米国の軍制の弱点を暴露し一国存立の運命を決するは、空軍か、艦隊か乃至陸軍かの分析を果し、以て米国の空軍独立を示唆する。殊に太平洋問題解決に直面する我国で無関心たり得ない論策である。−訳者)


 近時に於けるドイツ空軍の目覚ましき成功は、我が陸軍航空隊及び海軍航空隊の士官にとっては何等驚くに足らざるところであった。

 彼らはそれを予知していたのだ、爆撃機対戦艦の交戦に於て、何れに軍配が上がるかは余程以前より−6ヶ月以前より−目前に経験した処ではなかったか。空軍は海軍を撃滅するだけの力を持っていたのだ。
 今回の戦争の決定は、実に空軍の如何に存する。然しその決定は気の早い空軍礼賛者等を除くの外は、事実に於ては未解決である。それ等空軍礼賛者の多くの者は。ヒットラーが今日迄空軍を第一の盾として、あらゆるトリックを用い、最後の一つを獲得せんとしていることを信じているものである。彼は恐らく最後の一つをも獲得なし得るのかもしれない。


 然しもっと注意深く思慮深き航空研究家は、次の如きことを自問自答することであろう。
 即ち一方のドイツ空軍が、陸軍の凡ゆる力を借りることにより、英国及びフランスの空軍、陸軍をヨーロッパ大陸に於いて全滅し、英国民をして英本土へ退却を余儀なくせしめ、尚フランス国民をして遂に降伏せしめたとは言え、ドイツは今尚ヨーロッパ内に閉込められているではないかと言うことを。
 ドイツ商船と名の付くもの1隻にても、バルチック海を除くの外、如何なる海も航行出来ぬではないか、大洋を渡っての世界の通商は、今も尚ドイツにとって拒否されているところであり、そしてその故に、ヨーロッパの被征服諸国に対しても拒否されているではないか。



 空軍力と海軍力

 ムソリーニの空軍は、確にイタリーに向けて動員され得る英国空軍の総力よりも優秀である。−にも係わらず英国海軍が、地中海の中央部を除く両端を支配していることも、亦事実である。

 そして如何なるイタリー商船も、スエズとジブラルタルに於ける瓶首状をなせる海洋に入ることも出来ず、又其処より出ることも出来ぬ。英国の海軍が、其の瓶口を締めているコルクの如きものである。これに反して英国の商船は世界至る所の大洋を航行し、今日と雖も食料品及び必需品を英本土に運び得ているではないか。


 数に於いて数倍も優るイタリー空軍に、空より隈なく援助を受くるも、尚イタリーの海軍は、数に於いて倍数も劣る空軍によって支えられている、英国の地中海艦隊の、攻撃をなすことが如何に困難であるかを痛切に感じているではないか。


 我々アメリカの防御に関しても、我が政治家及び軍関係の要人等が、空軍と海軍の密接関係を諒解し、そして一国の国防計画にこれ等を相対するものではなく、一丸として実現することが必須なことである。
 今日陸軍及び海軍士官の重鎮をなす多くの人等は、我が国に於ても他国に於ても、空軍を他の軍と相対関係にあるものと考え勝ちである。

 然し実際に於ては、如何なる国の陸軍も海軍も決して空軍に立ち向い得る敵ではない。それに立ち向い得る者は、即ち攻撃の火を吐いている敵空軍に対し得る唯一の効果的なるものは、正しく空軍に他ならないのである。

 この理由を証明するためには、諸君が新聞を熟読されれば足りるのである。ドイツの空軍が英国を攻撃している、英国の陸軍及び海軍は、其の攻撃を拒むために何をなして居るのであろうか?何もなしてはいないではないか、少なくとも充分なる成果を示すような何事もなしてはいない。
 陸軍及び海軍の之に対する反撃は只高射砲に限られて居り、僅少の破損を敵空軍に与えることは可能であるかも知れぬが、それは決定的に襲来して来る敵空軍を退却せしめたる例はないのである。


 ドイツ空軍に対する唯一の腕を示す相手は、実に英国の空軍を除いてはない。その英国空軍は侵入し来る追撃機を立派に追い払っているのみならず、ドイツの工場地帯、空軍根拠地、鉄道道路、食料品貯蔵庫、油槽倉庫及び他の数知れぬ重要区域に対し、爆破を敢行しているのである。斯くして英国空軍は二重の役目を果たしている。即ち防御と攻撃と。


 この間に於いて英国陸軍は、予想せられる敵軍の本土侵入に備えて腕をこまぬいで待っている−何の実戦もせぬ−そして英国海軍は、英国海峡又は北海に渡洋せんとする、ドイツの試みを徒に待っている姿勢である−今日迄に於ては、之も亦本土を護るための何等の一戦をもなさなかったではないか。
 斯くして我々は、世界で最も強力なる英国海軍が、敵空よりの攻撃に対し、何等英本土を護るための一役をも買い得ずに腕をこまぬいで居り、陸軍は陸軍にて、若しも英国空軍が、今日の3倍又は4倍の多数に上る軍用機を所有していたならば、決して実際には起こり得ないであろう所の、英国本土の敵上陸に備えて待機の姿勢をなしていると言う、奇体な事実に思い至るのである。そして我等は、ドイツの物凄き空襲に対して、今日実際に活躍している英国の軍隊は、只頑強なる英国老巧空軍のみであることを知るのみである。



 現代歴史より学べ

 此の火を見るより明らかな事実を、我が陸海軍に在りて重きをなし、我が政治的運命を擔って立つ、盲目且つ、愚昧な頑固人に対し、学ばしめることが何の反対があろう、若しも彼等が過去20年間、航空力が如何に国家の浮沈に重大であるかを認められない為に、苦しみ喘ぎ来る数百の人々より学ぶことを欲せないならば。彼等は現代の歴史より学ぶことも又一方法であったろう。

 然しワシントン市に於いては、彼等が上記の事に就き、少しにても学びたる何等の証拠も見当たらない−若し彼等がそれを学んだのであったならば、我等は我等の国家生活に於て、最後の土壇場とも思われる今日に於いて、我が身の事のみを考えている海軍及び陸軍が、今も尚この国に於ける空軍を軽視し、又国民の防空演習に対し、ほんのお義理の手を差しのべている光景を見ないであろう。之等は皆実に悲しむべき痛事である。


 英国空軍のみが戦っている

 我々は再び極く最近の歴史に就いて一考することとしよう。ベン・フランクリンは、経験は最良の学校となると言った、然し愚物は何者よりも学ぶことが出来ない。それにしても恐らく我が国の外交家及び陸海軍の将星等は、かの撃滅されんとしていた英国遠征軍の、ダンケルクよりの撤退を見て何ものかを学ぶことが出来る。

 あの一面考えれば胸の痛む思いのする行動は、新聞紙上に於いては一つの英国海軍の凱歌として扱われていた−ドイツ空軍の火を吐く攻撃を物ともせず、兵士を帰国せしむるに成功したる老練なる大海軍よと!
 然るに海軍当局より、悲しくも説明されたる詳細にわたる事実は、何を示すであろうか。それ等は英国海軍の何等「凱歌」を示してはいない、それと反対に、大海軍が輸送機関という小事務に身を置き換えた、と言うことを示すのみであった。そしてヨットとかボートとか曳舟とか網打船、小汽船等の援助を得て、初めて兵士を安全なる帰国の途につかせることが出来たのである。

 斯くの如き海軍の仕事に引換え、英国空軍のみが独逸爆撃機に応戦し、その多くを追撃し、援けなき無辜の大衆が数多く群がる、英国海軍線より追払う役目を立派に果たしたのである。簡単に言えば英国空軍のみが、かの遠征軍撤退行動を可能とせしめたのである。

 爆撃機を攻撃せんとする海軍の「戦闘行為」換言すれば、機銃を以てなし得る船艦の反撃は只に高射砲及び機関銃を以て爆撃機をポンポンやり得るのみではないか、そして恐らくそれに依って撃墜されるものは極く僅かのものであろう。

 之に依って解る如く、英国海軍は実際に於ては、遠征軍撤退に何等与えるところがなかったのであった。斯くの如き狭溢なる海に於て、どうして海軍は巡洋艦又は飛行機輸送船を一隻にても活躍さすことが出来たであろうか−雨霰と落ちてくるドイツ爆弾の下に於て、斯くの如きことをなすことは狂気の沙汰であったであろう。
 その代わりに彼等が用いたものは駆逐艦であり、その全行動期間に於て僅か6隻の駆逐艦及び小型掃海艇、網打船、又はモーターボートの如き小さな船を23隻失ったのみであった。其の遠征軍撤退に協力したるフランス海軍も又、僅か7隻の駆逐艦及び1隻の食料品輸送船を失ったのみであった。市民は総ての種類の船舶を1000隻集め、臨時艦隊を組織した。海軍当局は此の艦隊を組織したと言う大きな仕事をなし、撤退輸送を完全になし遂げたと言わるべきかも知れぬ−然しその実際戦闘に当たったのは実に英国空軍であったと言う事実は尚、如何ともなし得ぬ。

 それは、撤退兵士の輸送等は、中心観点より見るとき枝葉のことに過ぎず、従って斯くの如きことの国防上に、ドイツ空軍が全勢力を傾けなかったのであろう、と言う人が有るかも知れぬ、然し其の言も何等意味なきことである。英国海軍弁解者及び我が国の海軍宣伝部も、便利にも次の事実を「忘却」している。即ち大英帝国国内艦隊に関する限り、彼等の90%は大西洋に姿を隠していたのであった。彼等にとってはアイルランド海及びスカパ・フロウはあまりにも危険を感じたからではないか。
 ドイツ空軍は確かに英国海軍を打破りはしなかった。何故ならば英国海軍が戦闘を試みるだけの勇気を持ち合わせなかったからである。

 僅か、小さな駆逐艦及び他の小型の船艦が用いられたのみではないか。ノールウエーに於ても、又確かにドイツ空軍による、英海軍の敗北と言う問題は起こらなかった−何故ならば、英国海軍は堂々と戦闘を交えることを躊躇し、そのために、確かに白黒の分目を明らかにされなかった。そして地上より飛び立って来る爆撃機がキャッチ出来ざる程の遠海に、英海軍主力艦隊が逃げている限りは、彼等の間には火花を散らすほどの戦闘による勝負の決定は見られないであろう。実際、若しも英空軍が、ドイツ空軍をして、英国侵入の試みを覚束なくせしむる程の実力を持っているならば、今回の戦争に於ては右のような火花を散らすほどの戦闘は無くて済むであろう。

 若しも英空軍が、ドイツ空軍の勢力範囲拡大に食い入る事に不成功に終わったならば、其の時こそ我々は、英国海峡又は北海、又は其の両方に於る、最後の土壇場の戦闘を見ることが出来るかも知れないのであるが、その時こそドイツ空軍が英海軍に立ち向かい、艦には爆弾を、飛行機には銃弾を、実際の交戦に於て完全に英海軍を打ち滅ぼす時期が来るであろう。


 真の教訓

 ドイツが今日の空軍力の僅か4分の1にても保持しているうちに、若しも英国空軍が大々的に打ち滅ぼされる時が来るならば、其の時こそ英海軍の敗北、又は大英帝国の一領土に隠退すると言うことは、避け難い事実であろう。其の次にドイツ軍英国土侵入が続き、今次ヨーロッパ大戦が泥中に決定せられることであろう。

 斯くの如き可能性は、我々に(必然的ではないが)我々自身の国防を立て直すタイムを与えることであろう−若しも我が国の国会に於ける瘤共が、頭を打ちのめされて愚かな贅言を為すことに止めをさされるならば−それは多分、デモクラシー国家に於いては遂行されないかも知れぬが。
 我等の政治家をして再考せしめようではないか。敗北の憂目を見たフランスは、デモクラシー国家であったと言うことを。

 此の様な事々に於て我々は如何なる軍事的教訓を得るのであろうか、我等は紙上で知るよりも前に、今次ヨーロッパ戦争の勝負の決定を期待せねばならぬのであろうか、海軍力の主要目的は、敵艦隊を滅亡させなければならぬ、ということは明白な事実ではないだろうか、尤も戦闘を交えようともしないのでは問題にもならぬが。そして一海軍の終始一貫せる任務は、敵軍封鎖になければならぬことも亦明白なことである。

 我々はドイツ及びイタリーが、彼等の保持する優勢な空軍力にも拘らず、被封鎖国であることを知るのである。
 何故なれば彼等の小さな海軍は、港の中に姿を消して居るではないか。此の点は流石に、英海軍の老練なる、敵の息の根を止める力によるものと、賛美の辞を惜しまぬものであるが、斯くの如き英軍の成功にも拘らず、一面斯く強大なる英海軍力も、国内基地及び食料品輸送航路を、敵空軍による爆破より護り得ないと言う矛盾を我々は目前に見るのである。

 尚之に加えるに、英本土侵入は実際に於ては有り得ないとしても、敵空軍は、此の代わりに港内の船を沈没せしめたり、又は商船の能力を壊滅せしめ等しつつ、英国を封鎖しているのである。それら敵空軍に直面しても、英国潜水艦は其の為すところを知らず、徒に港税を支払っているのみである。
 斯くの如く二つの反対封鎖が存在している−即ち英国は海によって敵国を封鎖し、一方ドイツは海と空より敵国を封鎖している。双方に於て敵国の餓死が其の目指すゴールなのである。


 之を只に英国の誤算としてのみ終らむる勿れ

 斯くの如き方法は、交戦両国共に疲弊の一路を辿るのみにて、徒に戦争が長引く可能性がある。その理由の故に、ドイツが英国海軍力の根拠地を獲得するか、又は英国土自身を占領することに依って、速急的な解決をなさんとするであろうことは事実である。

 若しも、事ここに至れば、その時こそ英海軍大洋上又は他の英帝国の港内にて遺棄物と化することであろう。その修繕権利又は船艦の置き場所の変更等、すべて敵軍の手に委ねられて。其の時英海軍は、栄養不良のために遂に息を引きとらんとする一つの艦隊に過ぎなくなることであろう。
 何故ならばカナダも、アメリカも数ヶ月の間に、否数ヶ年の間に、英海軍に適当なる食料を与えて元の健康に復さすことは出来ないであろうから。

 誰か我が国の人は告白するかも知れぬ、我等は大西洋のお陰で、英国のような致命的な危険には遭遇しないであろうと。それは今の瞬間に於いては真実かも知れぬ、然し何時の日か我々は英国の敗北の憂き目を見て、我々自身の国防を再検討しなければならなくなるであろう。そして我等の位置も数年後には、否、数ヶ月の後には現在の英国のそれよりも決して安全なる地帯にあるのではない、と言うことが明白となることであろう。

 英国も亦、我々が今なしていると同じ考え違いをなしていたのであった−そして我々はほんの今、之を訂正せんとして辿々しく歩みを発しているのみであるが。
 英国の間違いは、決して彼等が海軍力にのみ依頼していた、と言うことにはないのであって、彼等がその海軍力の基地を護るに充分なる、整備されたる地上基地を持つ空軍を、充分に発達せしめて置かなかった事にある。そのため彼等は失敗したのである。これは何等問答を繰り返すことなく、実際に行わるべきであったのだ、我等の間違いも此処にあるのである。

 若しも、彼等の海軍力に加うるにドイツ空軍よりも強くなくとも、少なくともそれに匹敵するだけの空軍力を備えていたならば、ドイツは決して適当なる空軍力を頼みに、英海軍を打挫こう等と挑みかかる勇気は持たなかったであろうに。

 今日英国は、必死となって彼等の空軍を強くせんと苦しんでいる、一方彼等は又駆逐艦を、又他の海岸防御の小艦を建造せんと狂気の如くつとめている。にも拘わらず、皮肉にも彼等の戦艦は、敵軍に対して1発の弾丸をも発射していないではないか。彼等海軍は多分最後の必死の戦いを待期しているのか、海岸より遙か遠くに姿を隠しているのである。

 若しも英国が、彼等の持つ戦闘艦を。操縦士付の万台の戦闘機と肩替えすることが出来たならば、同国は多分幸福を覚え、斯くなすことに慰安を覚えることであろうに。
 若しも、彼等が空軍にそれだけの力を加えることが出来るならば、英国に対する戦闘は英国近海、又は上空に於てなされる以外、他の何処に於ても戦闘は有り得ないであろう。しかも英国が勝利を博すること疑い無いであろう。

 アメリカの国防は、一に陸海軍の将星の命令如何にかかっている。彼等の下に、首と位置を失うことを恐れて、空軍力に就て其の真価を語ることを憚っている飛行士、即ち陸軍、海軍所属の経験をもつ航空士がいるのである。彼等は自分自身の意力を発揚して活動するのではなく単に陸軍海軍の補助的役目をなす処の航空部に於て、働き飛んでいるのである。
 我々は優秀なる、恐らく世界最良の海軍航空部を持っている。
 然し其の唯一の任務は、艦隊の奉仕に、艦隊を護ることにある−決して国を護ることにあるのではない。それは決して空軍力ではなく、単なる海軍所属物に過ぎぬ。我々は又、優秀なる陸軍航空部をも持っている−其の「部」と言う言が多分に示す如く、それは確かに陸軍の一部分にして、独自の権利を所有する「空軍」ではないのである。
 我々はその航空部の一部として空軍司令部を持っているが、それは高過ぎる名称である。何故なれば其の全力は戦闘機、追撃機及び爆撃機合計300台にも満たず、それ等の多くはドイツ、否、英空軍に比するも、尚それ以上時代後れと言うことが出来るからである。


 独立したる空軍が必要である

 斯くの如き状態が、我々の防空に対し陸海軍が長年に亘って統べて来たる、空軍不備の実状である。陸軍省、海軍省の嫉妬に神経質に育てられながら我々の政府が、海と陸のみに於る戦闘に博識を持つ人々が、此の新情勢の変転常なき空中に於ける戦闘についても、専門的識者であると考えるとき、之に優る大きな錯誤が存在するであろうか。
 我々が空に何等の経験を持たざる彼等の判断に、我等の空の護りを任せて置くと言うことは全く狂気の沙汰なのである。長老級の我が陸海軍の将校等が、空に就いて知っていると思っていることの総ては、若き航空士官達が彼等に語ったことに過ぎないではないか−其の上彼等は彼等が聞いた其の事をも信じることを拒否することもある状態である。
 空よりの護りは如何に重大であるか、其の真実を大にして叫ぶもの、又あまりにも其の事に言を度々用うるものは、かのビリー・ミッチェル将軍の如く「侍従付武官」とさせられる、又彼等は航空武官より予備役とせられ、「おしゃべり」の罪を悔い改めなければならぬかの如く、歩兵学校に転ぜられるのである。斯くすれば、彼等の口が完全に閉じられるからである。−沈黙か又は職業的自殺の何れかを選ばねばならぬ、そして彼等は皆それをよく知っているのである。

 日々英国に依って教えられる教訓を基として考えるとき−アメリカは独立空軍を必要とすることが明らかである。しかもそれは、空に実際上経験を持つ航空武官による、束縛を受けぬ命令の下に、動くものでなければならぬ。悲しくも今日に於ては、それ等航空武官の経験も、能力も、天分も、安楽椅子に常に身を休めている陸海軍将校等に支配せられて、殆ど台なしにされているのである。
 海軍の航空隊を、戦略上、兵学上の必要に応ずるだけの戦艦を基地とし、海岸を基とする航空隊に独立せしめるということは殆ど常識にても解ることではない。尚其の上、若しも陸軍関係が、直接陸軍と空軍と協動することを欲するならば、之又何の反対もある筈がない。之等両者共、陸軍、海軍を支援する補助的空軍にして何れも航空武官の奉仕なくては有効的に戦うことが出来ないのであろう。


 空軍力は独立したる空軍の支配下にて最も真価を発揮

 然し真の空軍力は決して、之等の補助的空軍の内には存在しない、それは陸軍、海軍と肩を並べ得る一つの「空軍」の中にのみ存在して居り、それは我等の政府にあっても内閣の一員として立つべきである。それは航空大臣によって指揮さるべきであり、決して歩兵、砲兵、騎兵又は他の如何なる陸軍関係に於ける、将校等の嫉妬の気紛れに追従すべきではないのである。特にそれは老人海軍将校等のグループに統べられてはならない。
 何故なれば、奴等は屹度、それを単なる海軍の手足となし、何処か陰の方に姿を潜める戦艦−今日英国の戦艦がなす如く−戦艦に括りつけて置くに相違ないからである。


 空軍の指揮機

 長年の間我々は、陸海軍の人々が、我等の国防を充分担い得るものだと言う見当違いをなして来た。けれども、英国爆撃機がベルリンに空襲するときに、それは誰の指揮の下に飛ぶべきであろうか−陸軍のか、海軍のか。

 斯く尋ねて見ることだけで、我等自身の航空政策が如何に間違いであるかが解るではないか。英国陸軍も、英国海軍も何れも、ベルリンに迄着くことは出来ぬ、只英国空軍のみが英国を空より護り得る。それによって解る如く、それは陸軍海軍と肩を並べる、独立軍である。−此の陸海軍たるや、実は此の空軍が1917年設立されて以来、その空軍を抑圧せんものと、血眼になっていたのであるが。
 若しも英国空軍が、英国の防御に失敗するならば。其の失敗は英国陸海軍の故である。−特に英空軍省に凡ゆる点で、挑むことに熱心であった英軍(本文ママ)に於ておやである。

 然るに今日に於ては其の苦難の途を通り来た英空軍こそ、英国土を−否、英国海岸を−アドルフ・ヒットラー総統下の火を吐くドイツ空軍より護る唯一無二の守護神ではないか。
 (Aero Digest sept〜oct 1940より)

 打ち込む当人も根を上げそうになったほどの長文、悪文である(ここまでお読みいただいて、本当に感謝いたしております)。英文をそのまま訳したと思われる「彼等」「我等」の頻発、「我等」とは米国のことであるから、話は早いが、「彼等」は英国かと思えば、すぐにドイツ空軍になると云う目まぐるしさで、さらに句読点、改行の追加まで拒む有様である(元の文章の改行は、小見出しで分かれる部分くらいである)。

 タイトルの「空軍か艦隊か」も、このシリーズ(第二回にしてすでに番外編となってしまったが)のテーマ「軍艦対飛行機」の結論は論文冒頭に「爆撃機対戦艦の交戦に於て、何れに軍配が上がるかは余程以前より−6ヶ月以前より−目前に経験した処ではなかったか。空軍は海軍を撃滅するだけの力を持っていたのだ。」と語られており、しかも文章の内容は、ひたすら空軍独立へと進む。これを「タイトルに騙された」と云わずして何と云おう。


 …と終わりにしても良いのだが、それではここまでカーソルを動かしていただいた読者諸氏に失礼なので、例によって内容とは直接関係の無い(笑)駄文を連ねることとする。

 元の論文を誰が書いたのかは、まったくわからない。おそらくは米国陸軍航空部に所属していた人物ではないかと推測される。
 その根拠として「我が陸軍航空隊及び海軍航空隊の士官にとって…」と云う一文を指摘する。海軍出身者であれば、「我が海軍航空隊及び陸軍…」と表記するのではないだろうか。
 また「所属していた」と云うのは「安楽椅子に常に身を休めている陸海軍将校等に支配せられて、殆ど台なしにされているのである。」と云う軍当局に対する面罵の言葉より推測している。
 日本において、大正年間ならともかく、昭和15年でこう云う発言はもはや出来まい。我々は出版物にこう云う語句を平気で使ってしまう国家と戦争していたわけだ。


 この論文の主旨はもちろん「米国空軍独立」なのであるが、見逃せない部分はある。

 「陸軍の凡ゆる力を借りることにより、英国及びフランスの空軍、陸軍をヨーロッパ大陸に於いて全滅し、英国民をして英本土へ退却を余儀なくせしめ、尚フランス国民をして遂に降伏せしめたとは言え、ドイツは今尚ヨーロッパ内に閉込められているではないか」
 「シーレーン確保の重要性」である。これがすべてではないが、ドイツは英国本土上陸を果たせず、帝国日本は一般国民を狂喜乱舞させるまでの支配地域を獲得したにもかかわらず、終戦時には丸裸同然となった。

 この論文の訳者は「英本土陥落の必然を信ずる筆者の筆は」と勢い余ってしまったが、冷静に本文を読めば、そこまで書いていないことは明白である。少なくともドイツによる英本土上陸の可能性は低い、と見ている。イギリス空軍を壊滅させない限り、「バルチック海を除くの外、如何なる海も航行出来ぬ」ドイツ商船=英本土上陸部隊は手が出ないのである。
 となれば、「即ち英国は海によって敵国を封鎖し、一方ドイツは海と空より敵国を封鎖している。」状態が継続し、どちらかが倒れるまでの我慢大会となるのは必定である。


 帝国日本が、国内には「百年戦争」「長期戦」を叫びつつも、それを実現するための措置を殆ど取れなかったことは現代では既に明らかである。ドイツが英本土侵攻を延期した時、その理由を充分考えていれば、対米英戦争において、ここまで無様な負け方はしなかったものと思う。


 さて、本来のテーマである「軍艦対飛行機」であるが、これについては先に引用した論文冒頭の一文と、
 「斯く強大なる英海軍力も、国内基地及び食料品輸送航路を、敵空軍による爆破より護り得ないと言う矛盾を我々は目前に見るのである。」
 の一文を引いておけば良いのであろう。以前、「1940年型航空機」にて、ファンの視点と、軍当局の視点がまったく異なることを指摘したが、今回の問題も、同じ事が云えるようである。

騙されたあ!