三日間が何ヶ月?

「軍艦対飛行機」第二回


 「番外編」の打ち込みが予想以上にかかってしまったため、第二回の掲載が遅れてしまった事を、まずはお詫び申し上げる。

 さて、第一回は昭和15年末から16年初頭の投稿を取り上げたわけだが、今回は「空」本誌記事となった投稿?を紹介する。

 「空」昭和16年2月号の「明日の洋上作戦を左右する 飛行機か軍艦かの問題」
 書き手は、「設計家の夢」でおなじみ?高仲 顕氏である。本稿の第一回では、勢いあまってこの記事の後の投稿まで掲載してしまったので、第一回の投稿もあわせてお読みいただけると、主筆としては嬉しく思う次第である。例によって適時改行、句読点を施してある。
 凡そ研究には感情とか徒な先入観は不要と思われる。然るに近年、飛行機の驚異的進歩により、一部空軍至上主義者から「軍艦は空軍に対して無力である」と云う事や、更には戦艦無用論が提唱されるに至った。
 そしてスペイン戦、支那事変の僅かな例や今次大戦の変則的事例は、彼等にとって有利に展開して居るが如くである。
 だが我々は冷静なる立場から本問題を考究すべきである。然も研究は広い一般的見地に限られるべきであって、一部或は変則的事例から全体を推す事は危険である。


 今次大戦ドイツ空軍の活躍は、明らかに軍艦に対して極めて有力である事を立証している。だがここに多少検討を要す事項がある。

(1)ドイツ側の発表を全部信頼すべきか
 これは相当議論の対称となろうが、少なくとも交戦国の発表は、報告に非ずして宣伝である。フランコ軍が政府軍戦艦エスパノ号を爆沈したと云う報道は、其後爆弾のためでなかったと云う事が確かめられている。

(2)地理的環境
 作戦区域と飛行基地、或は艦隊根拠地と飛行基地の距離は重大なる要素であるが、独英戦はドイツ空軍に対し極めて有利な環境にあったと言える。陸上基地よりJu87の大集団が攻撃し得た事は明らかに一般的でない。例えば太平洋上の決戦を考えるならば(戦場の如何により多少検討の必要もあるが)決して空軍の圧倒的活躍は許されないと見るべきである。
 艦上の艦載機と、場合により遠距離基地より発進する大型飛行艇と、陸上攻撃機が航空戦に参加し得るのみである。
 従って両軍の勢力は伯仲すると見なければならないし、陸上航空勢力が艦隊を奇襲する事は特別の状況以外望み得ないのである。


 以上の観点より、我々は海上航空戦を検討する必要に当たっては当分の間、艦隊航空勢力を対照(ママ)としなければならない結論に達する。
 而して艦隊航空勢力の目的は、勿論艦隊爆撃や索敵偵察観測もあるが、最大目的は制空権の獲得である。
 「主力決戦に先立ち、戦闘海面の空中を制圧し、然る後火砲の威力を以て酬いる」即ち制空権下の決戦である。従って爆撃攻撃機を多数備うべきか、戦闘機を多数備うべきかも一つの議論の的と云える。
 そして筆者は「金をかけた丈の価値がないのと、天候良好の時でないと飛行機を使えないため、航空母艦は不要である」と言うアラウオース氏の言葉は賛成し得ないが「航空機は領地を占領する能わず、又制海権を行使する能わず」と言う事は真理であると思う。
 要するに海軍に於ては、飛行機は第二義的なものである。然し乍ら補助的と言う事は、或は不適当かもしれない。


 次に読者諸兄の間で問題になっている、軍艦対飛行機に於て述べて見たい。

 空軍の実力が軍艦の一大脅威となった事は疑なく、そのため造艦術も非常に左右されている。然し乍ら、今且空襲により絶対破壊し得ないものを作る事は不可能である。戦艦に対しては兎も角、補助艦艇に対し命中弾は可成り致命的である。ルネトウル氏曰く
 「飛行機と雖も、戦艦に対し重大な損害を与える事は出来ないし、又戦艦の代りをつとめる事が出来ない。だが巡洋艦や駆逐艦は特に飛行機の爆撃を得け易く、且相当程度飛行機を以て、其の代りをつとめられる」と。
 そして飛行機は、高速水雷艇MASよりは有利と思われるは(本文ママ)。MASは大洋の使用に疑問があるし第一航続力がない。母艦への収容方法も明白でない。又軍艦は仮令高速度ヂグザグ行進に依ても、空襲を避け得ないと言われている。
 以上は飛行機にとって可成り有利に述べたが、更に別な方面を考察してみよう。


 先ず飛行機の荒天使用困難が挙げられる

 飛行機は潜水艦と共に最も天候の障碍を受け易い。然し潜水艦は潜行退避し得るが、飛行機は如何ともし得ない。海戦の場合は南京渡洋爆撃とは、凡そ状況条件が違うのである。

 次に軍艦の抵抗と空爆の効果に就て

 高角砲の弾幕、防御戦闘機の活躍が空襲の強弱を左右し、軍艦の抵抗は実施される空襲の強弱に左右されるのである。

(1)軍艦特に戦艦は極めて狭い範囲に非常に強大な防空砲力を集中している

 現代戦艦は12.7p A.A(引用者註:アンチ エアクラフトの意か?)8門以上、8p数門、更に機銃相当数を備えている。又甲板上の副砲は対空射撃可能である。甲級巡洋艦以下の主砲は、75度以上の仰角を有している。且主力艦隊は補助艦、或は防空巡洋艦隊の防空火網により掩護されて居り、殊に最近は防空艦の発達を無視出来ない。艦隊の防空砲火の強力は到底地上戦と比すべくもない。

(2)軍艦の装甲は可成り強力なものである

 (仏戦艦ダンケルクは排水量26000頓中、11000を防御重量に充て、5000頓が甲板装甲である、厚さ17.5糎)
 空襲に対し甲板舷側の装甲配置(15糎乃至18糎にて有効)艦内小区画(投下爆弾水中炸裂に有効)に依り、致命傷を蒙らざる事が出来る。そして甲板炸裂による構築物被害は、案外僅少である事が判った。
 加うる甲板装甲は遠距離射撃の発達(38000米以上)により、砲弾大角度落下に備え益々強力にされている。改装前の英戦艦ネルソンは、機械室缶室天井16糎の装甲である。

(3)戦艦の低(本文ママ)抗力

 戦艦の対空抵抗力に就ては、英米で数十年間研究が進められているが、結果は極めて楽観的である。
 一方、実際的実例に就て述べるならば、1924年条約により廃艦と決し、ヴァジニア岬に於て爆沈された米ワシントンは、数本の魚雷と猛烈な爆撃を要し、1921年廃艦アラバマは2日間に渉り300ポンド2発、軽爆弾35発を命中せしめ、2000ポンド2発を舷側に受けた。独逸オストフリースランドは、一昼夜以上6発の命中弾と6発を舷備に受け、いづれも漸く沈んだ。
 従ってJu87の攻撃も、略々此に近いものか、或は奇跡的に煙突に命中したものと思われる。

(4)空爆効果に就て

 空襲方法は次の三つがある。
 急降下爆撃、雷撃、水平爆撃。
 急降下爆撃はドイツ軍が好んでやった所だが、急降下とて決して正しい垂直降下をなし得るものでない。風の影響、目標の高速不規則航進も軽視出来ない。且機首転換のためには500〜200mを必要とするのであって、煙突照準などは先づ不可能と言わねばならない。
 そして命中正確を期すためには、相当高度を下げ速力をセーブする必要があるが、此は防空砲火の餌食になる怖れと爆撃の落下速度を弱める事になる。
 爆弾は終速が弱いので砲弾より遙かに無力であるが、完全に装甲を貫徹させる為には2300米より重爆弾を以てする必要がある。だがこの爆弾の威力増大のため、重爆弾をのせる事は操縦性を悪くするから、高速となっても飛行機として好ましくなく、高角砲の餌食となり易い。
 又最終速度600〜700粁/時の急降下爆撃では防空砲火はあまり役立たないが、爆撃照準は極めて不正確となるものである。
 以上の結論より急降下は、さして効果のあるものと思われないが、航空母艦への反復効果は有効と信ずべきだろう。

 雷撃はかなり有効なものであって、普通水面スレスレ(10米程度)で行うが、本当は遠く高くから行わねばならない。夜間攻撃は探照灯さえなければ全く有効である。だが本機種は、軽快性と操縦性の欠如により、それ自体の受ける損害が大であり、攻撃の確率が少ないのである。然し将来は有翼魚雷の発達により非常に威力を加えよう。

 最後の水平集中爆撃は正確でないが有効であって、かなり致命的打撃を与え得る。だが大洋航空戦に於ては実際問題として、地理的環境や機の航続距離により一概に論じ得ない。
 
 以上要するに軍艦に対する空襲の威力はかなり大きいものであるが、決して軍艦そのものを無力化し無用たらしめる底のものでない。殊に戦艦は益々海上勢力の根幹として重要なものであると確信出来る。
 第一回の投稿紹介で、明確な軍艦優位論が出てなかったのは、こう云う形ですでに文章になっていたからであった。
 「要するに軍艦に対する空襲の威力はかなり大きいものであるが」と氏は書いているが、文章全体を読む限りでは、現時点では軍艦特に戦艦に対する航空攻撃の効果については悲観的印象を受ける。

 先の戦争と云う事例が無いこともあり、水平爆撃の評価や、雷撃の方法論など、ある意味「机上の空論」と現在では見られる箇所もないではない。しかし、爆装した航空機の機動性が著しく損なわれる点を指摘するところや、有翼魚雷(対艦ミサイル)出現を示唆するあたりは「空」投稿者中、高レベルにある高仲氏ならではの内容である。

 「高角砲の弾幕、防御戦闘機の活躍が空襲の強弱を左右し、軍艦の抵抗は実施される空襲の強弱に左右されるのである。」
 と云う一文は空軍至上主義者、軍艦至上主義者ともに無視できない警句である。帝国海軍が戦争後期において、充分な戦果を挙げられず、かつ米軍によって完膚無きまでに叩きのめされたのは、まさにこの一文を裏付けていると云える。

 しかし「戦艦は益々海上勢力の根幹として重要なものである」と云う一文の存在が、いかに当時、戦艦と云うモノが海上兵器として特別なものであったかを物語っている。


 それにしても「少なくとも交戦国の発表は、報告に非ずして宣伝である。」と云い放った高仲氏が「大本営発表」をどのような心持ちで聞いていたのか、私は気になってならない。

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