来なかった「明日」

航空雑誌における「1940年型軍用機の検討」

 

 第二次大戦直前から軍用機が急速に発達したことは読者諸氏にあえて説明するまでも無い。また、その一方高性能化する航空機に対して、用兵側が過度の期待を抱き、いわゆる「珍機」「駄作機」の類を生み出してしまったことも、御存知の事である。

 そのような時局下にあった航空兵器ファン自身は、将来の軍用機をどのように夢想していたのか?
 「兵器生活」では雑誌「空」に投稿された二次元化された「将来の航空機」を「再録 設計家の夢」にて紹介しているが(最近紹介のペースが遅い?その通りです…)、今回は一次元世界である文章にて表現された「明日の新鋭機」に関する記事を紹介したい。


 ネタ本は毎度毎度の「空」誌。タイトルは「予想される明日の新鋭機 1940型軍用機の検討」筆者はS.T.N氏。例によってS.T.N氏が何者であるのかは不明。


 戦闘機は単発か双発か

 例えば時速500粁前後の単発戦闘機が、450粁級の双発爆撃機に挑戦し之を追撃することは、爆撃機の直線飛行に対して、戦闘機の立体的並びに平面的移動飛行及び高速度飛行の操縦性〜運動性の非敏滑化に伴う射撃照準操作の不確実化、或いは爆撃機の防御力の強化等その他の条件も加算して、従来の鈍重爆撃機に対する単発戦闘機のそれの如き勝算を得ることが早急困難になるのではないかとの観測が、つい2、3年前頃に盛んに論議され、この情勢に手伝って多座戦闘兼爆撃機の頗る高速度なるものの機種が出現し、あまつさえ所謂単座戦闘機撤廃論までが飛び出した位であった。
 然るに今日に至っても、単座戦闘機が空軍の第一線から姿を消しつつあるような傾向は全然なく、更に近き将来に於いても未だまで撤廃されるなどということは殆ど見積もり不可能な状態である。

 これは双発爆撃機の高速化に比例して単発戦闘機の速度も依然として進化しつつあることを証明するものであるが、明日の空中戦論を舞台として考えるならば、その技術的の結論は、要するに戦闘機が爆撃機かの比較ではなく、より高速化のためには、単発がよいか双発がよいか、更に武装の点ではどうかというようなことの比較の問題であって、つまりこれからの軍用機の区別は、用途別にその性能のレベルを求めるよりも、機体の構造型式或いはデーターによってその階程をつけるという風に変遷することが考えられる。

 差し当たり、戦闘機は単発か双発かの問題である。今、650粁級の今日最高水準の戦闘機という予想の下に、単発か双発を、更に小型単座か大型複座かを、現在の動力型式を用いたとして比較すれば

  飛行中の運動性  単発:良  双発:劣
  飛行中の安全性  単発:劣  双発:良
  離着陸の危険率  単発:多  双発:少
  操縦士の視界   単発:狭  双発:広
  武装能力     単発:弱  双発:強
  武装の死角    単発:広  双発:狭
  用途の融通性   単発:なし 双発:あり

 従って運動性を主眼とする一機対一機の巴戦以外の状況に於いては双発の方が遙かに優秀である。
 然るに明日の空中戦は、高速機対高速機の追撃戦であるから、運動性即ちアクロバチックの性能の価値が次第に軽減される。要するに同等の速度と上昇力があれば双発複座の方が遙かに実用的で将来性があり、即ち構造型式上に近代的要素が多分にあることにある。

 さて、明日の戦闘機の型式として現在完成したものに

 (独)メッサーシュミットMe−110・・・(A)
 (仏)アンリオNC−600     ・・・(A)
 (米)ロックヒードP−38     ・・・(B)
 (和)フォッカーD23       ・・・(C)

 をその代表として挙げることが出来る。

 然るにこの4機を構造型式別にすると(A)(B)(C)の3通りになり、結論として明日の戦闘機は即ち運動性をやや犠牲にした双発の高速機ということになるが、果たしてこの3型式のうち何れが性能・武装・実用性の各条件に万能であろうか。
 (A)は両翼に発動機を備えた普通の単胴双発型
 (B)は双胴の前端に発動機を備えその中央前方に操縦ナセルを置いた型
 (C)は(B)と似ているが発動機をナセルの前後に取り付けた串型動力装置であり双胴の前端に機関砲を附している。

 この三者の型式の優劣論は、二月号サロンに於ける読者の宿題としよう。
(以下快速爆撃機、重爆撃機と続くが、略)


 現実世界において上記の予想が残念ながら実現しなかったことは今更云うまでも無い。理由としてはいくつか考えられるが、

 1.第二次大戦が39年に勃発し、45年まで継続したことで、双発型式の戦闘機を熟成させる余裕がなかった。

 2.英本土防衛戦で双発重戦闘機であるメッサーシュミットMe110が予想に反して活躍できなかったこと。

 3.戦闘機操縦士が従来の巴戦指向から完全に脱却出来なかったこと。

 4.単発単座戦闘機の速度が、双発戦闘機のそれと同等あるいは上回ったこと。

 5.双発戦闘機の生産コストが単発戦闘機以上にかかること。

 6.単発戦闘機でも充分な武装を搭載出来ること。

 が挙げられると思う。

 もう少し双発戦闘機有望論を考えてみよう。上記の論では、時速650粁級の戦闘機を単発、双発に分けてそれぞれの優位点(欠点)を列記しているが、戦闘機に絶対的に要求される要素は実は2つしか無いことに気付く。すなわち

 飛行中の運動性と武装能力である。

 武装の死角は機体の運動性によりそれを補う事が可能である。逆に充分な武装を持っていても、敵航空機に対して有利な位置から攻撃を行う能力がなければ宝の持ち腐れである。
 武装についても敵対する航空機の防御力に限界がある以上、敵機と同等の飛行性能がある限りは12ミリ〜20ミリクラスの機関銃(砲)で相手に充分な損傷を与える事が出来る。

 また、本論では「同等の速度と上昇力があれば双発複座の方が遙かに実用的で」あると述べているが、同等の速度と上昇力があるならば、重量が軽く、運動性の良い単発機の方が敵機の攻撃を受けた際に、より有効な回避運動を行える、と云う事を見逃している。

 第二次大戦のレベルで双発戦闘機である事が優位になりうるのは、敵単発戦闘機より速度及び上昇力が優位になる場合−P38対零戦−か、操縦者単独では会敵が困難な環境下で戦闘を行う場合−夜間における戦闘(機上レーダーによる索敵要員が必要)−と、洋上を長駆侵攻する場合、あとは飛行性能劣性な航空機の戦闘能力向上のために特に大型の火砲を搭載する必要がある場合−キ109等の特殊な戦闘機−である。

 結局、第二次大戦中において双発複座の戦闘機は大成する事はなかった。その要因は先に記したが、当時の発動機(ピストンエンジン)の出力の制約で、戦闘機の速度が頭打ちにあった事も大きい。
 しかし、大戦末期に各国は双発、かつ空気抵抗軽減のために串型型式を採用した戦闘機の試験と一部実用化を行った事は事実であり、双発戦闘機の優位性が完全に否定されたわけでは無い事は覚えておく必要がある。また、ジェット機時代&ミサイル時代になって以後、各国の高性能戦闘機はおおむね双発機となっている事も、双発戦闘機優位論者の名誉のために書き記しておく。 

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