物件NO.11「廃村峰」 東京都奥多摩

東京の廃村!!この物件を始めて某サイトで発見したときは、目を疑いました。「廃墟シネマ」の撮影で、瀬々監督の「栗原さんの好きな所に行って下さい」とのお言葉に甘えここに行く事に決めました。車を降り、途中たくさんのハイカーと挨拶を交わし、山を登ること約1時間、遂に伝説の廃村「峰」にたどり付く事が出来ました。家屋の倒壊が激しく、家の形を留めている、建物はわづか2件しか有りませんでしたが、村全体が廃墟という、ロケーションは最高でした。帰りに、この村に住んでいた人にインタビューをしました。村を引き払った原因は、林業の衰退と、交通の便、最大の理由は「水」の確保だったそうです。なんと、したの沢まで片道30分かけて、水を汲みに行ったり、当時の小中学生は下山して学校に通ったそうです。現代の便利な世の中に生まれ育った、我々には想像も出来ないような、生活だったのでしょうね・・・

生活の跡です。

山を登ること、1時間??分。
本当にこの道で合っているのか?
と思い出した頃、やっと「廃村」の残骸に出会うことが
出来ました。
その瞬間、今まで口も聞けないぐらいの疲れが
、消えてしまいました。人間、精神力ですね!!
現存する、2物件の廃屋、2階建ての方です。

こちらの、建物の方が、状態は良かったものの、
壁が、4面中の1面、完全に無くなっていました。
また、外壁部の木製部分(柱等)も、かなり腐食が
進行していて、もっても数年って感じでした。
同じく、もう一件の、平屋のほうです。

見てもらえばわかりますが、すでに、家の形をなんとか
留めている、といった感じです。右端に写っている、
小屋のような物は、トイレ&バスルームです!!
多分、冬の真夜中など、耳鳴りがするほど、静寂に
包まれて、いたのでしょうね・・・。
2階建家屋の、1階部分です。

引き戸を隔て、向こう側にもう一間、部屋が有ります。
撮影している側の壁が無いため、皮肉な事に、一番
風雨にさらされていない、電気傘が、最高の保存状態
でした。
一般的な廃墟は、設置面の少ない、宙吊りの電気が
真っ先に、逝ってしまうのですが!!
同家屋の2階部分です

この家の住人は、廃墟残留物から、プロファイリング??
すると、通信の好きな方だったようです。
無線関係の本、電気部品、手作り電池、終いには
「伝書鳩」の血統書まで有りました。伝書鳩も一種の
通信ですから・・・。
ちなみに、電話は有ったのでしょうか?
平屋の家屋横のバスルームです。

風呂桶の大きさが、水の貴重さを物語っています。
電気は、通じていたものの、ガスは無かったらしく
至る所に、かまどがありました。
周りの状況から、生活に必要な薪には、こと欠かなか
ったと思います。
井戸です。

古井戸注意の札があるので100%間違いないです。
沢に、水を汲みに行ったはずでは・・・??
多分、この井戸だけでは全世帯は賄えなかったのでしょう。
覗いてみましたが、現在は涸れているようでした。
(一応、懐中電灯は装備していきました)
赤い靴です!!

某サイトにも、載っていました。
伝説の赤い靴です!!
The Legend of 赤い靴です!!
正確にはピンクの靴ですが・・・。
これを履いていた、女の子も、今では??歳なんでしょうね。
潰れてしまった家屋です。

いずれ、2件ともこの後を追ってしまうのでしょうね。
しかし、見事に潰れたものです!!
ここに、住んでいらした方は、見たくない光景でしょうね。
跡形も無くなった、家の跡です!!

土台だった、形跡の上に、瓶や瀬戸物の類が散乱
していました。見にくいですが、囲炉裏があった形跡も。
形ある家屋〜潰れた家屋〜家屋の跡まで。
一箇所で家の歴史を全て、見ることが出来ます。
お墓です。

真ん中の、背が高いのは新しい石柱でした。
この村で、生まれこの村で生活し、この村で死んでいった
人達の・・・。自分達が築き上げてきた村が、今では
もう無くなってしまったことを・・・。
彼らは、知らないでいられる事がせめてもの
救いかもしれません。
本当の意味での静寂に包まれて「峰」と言う存在が
完全に忘れ去られるまで、意味を持った「石」として
立ちつづけるのでしょう・・・。
この村に生きた証としての・・・。