物件No.241「大洋村竜宮城」 茨城県
廃墟の創世記から存在する有名物件である。廃墟という魅力以外にもB級スポットの側面を持ち。あらゆる面でトップクラスの物件である。
故人(竜宮城を造った主)は、1983年、齢70歳で北海道からこの地へ移住してきた。
北海道の究極の寒さにうんざりした故人は、暖かで海の近くに位置する別荘地であるこの地を選択し「桃源郷」と名付け、第2の人生を送ることに決めた。
故人のイメージでは「桃源郷」=「竜宮城」だったのであろう。
北海道で所有していた駅前の自社ビルを含め、全ての不動産を処分した資本金を元手に、土台を含め、建物のほとんどを一人で作り上げた。
※実際に建築を始めたのは1986年6月からおよそ1年がかりで、基礎部分を完成させた。その後も、生活費を切り詰め様々な施設を増設していった。
その後、1990年に入り、マスコミで取り上げられ、テレビにも何度も紹介され、プチ観光スポットに・・・。数々の有名人と一緒に移った写真が飾られている。
夏は、屋上のガーデンで流しそうめんを無料で振舞ったらしい。
頂点はおおよそ5年弱続いていた、その後、建設中に痛めた体が、治癒せずにややメジャーな宗教にのめりこむ。
今までは心血を注いだ、竜宮城へ使っていた原資も、お布施となって消える・・・。
そして新世紀を迎えずして1999年20世紀の最後をもって、桃源郷は廃墟へと変貌してゆく・・・。
当時、すでにインターネットも普及していたが、これほどまでにわかりにくい場所に位置する廃墟は無い。
足掛け5年を費やして見つけた竜宮城は、道を間違えた行き止まりで偶然発見した。
通常、24画像で作るが、今回は1.5倍拡大版!!
夢にまで見た「竜宮城」 看板を含め、浦島太郎の描かれた「トンガリ帽子の時計台」や 住居まで、全て手作りだ。 |
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右が断崖の斜面沿いを下って行く「竜宮城」 左の赤い階段が屋上ガーデンやその置くの某所 (後半に出てきます。) へ昇ってゆくギミックになっている。 左端にちょこっと見えるのが、コンクリートを混ぜる機械。 最近訪問したら、無くなっていた。 |
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無数の赤い鳥居をくぐるとその先に竜宮城が広がる。 演出も考えたものだが、鳥居は塩ビパイプにペンキを 塗っただけの物だ。 断崖沿いの小道で右にいくと滑落する。 |
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竜宮城。 乙姫さまが出迎える。 画像ではホント一部分しか紹介できないが、素晴らしいジオラマが 作られた空間だ。 左側に上に伸びる階段が見えるが、位置的には地下一階に 相当する。 |
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やはり、故郷への思いは募るのか、池が北海道の形をしている。 プチ水族館と呼ばれた、いくつもの水槽が並んでいた。 |
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壁画紹介 亀を助けリリース |
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竜宮城で乙姫様をはじめとした美女軍団の出迎え。 | |
酒池肉林!! | |
気がついたら爺さんに!! ある意味、故人の人生かも・・・。 |
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住居部分の部屋 賞状や写真が展示してあるので、応接間らしい。 失われた奥の壁は、断崖の下に落ちていた。 なんとも不安定な「桃源郷」であろう・・・。 |
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おしゃれな窓?? をイメージしたんだろうが、よく見ると・・・。 いや、努力したんだろう。 俺には絶対無理だから・・・(笑) |
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様々な賞状が並ぶ。 テレビ局の「面白家大賞」みたいな賞状だ。 上の写真は、皇太子と雅子様。 あれ、ひだり下に・・・。 |
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浦島太郎の愛機。亀蔵1号!! でも、すでに死んじゃってるし・・・。 |
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仏間。 プライバシーがあれなんであれだが、なんか天皇や先祖や 教祖などでコラージュ作っちゃってるし・・・。 凄い空間であることは間違いない。 |
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左のドアが玄関。 凄い量の書籍である。 さすがに手作りだけあって、床や土台が歪み、様々な家具が 倒れてしまっている。 |
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リアルなぬいぐるみかと思ったら・・・ これは犬の剥製・・・。 まさか飼い犬・・・これ以上の詮索はやめよう・・・。 ここにいるのが怖くなるから・・・。 |
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岩風呂。 これも斜面に作られ2つの浴槽や、いくつもの水槽。 粗末な旅館より素晴らしい。 |
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この虎・・・。 前に水車の玩具があるからオリジナル画像拡大して見たら、 間違いなく口からお湯が・・・。 細かいところきっちり抑えてますねぇ。 |
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今の時代珍しくも無いが。 右の黄色いのはテレビ!! お風呂で見られるように、湿気が入らないようシーリングされているが、 全体が歪んだ、この家屋で効果があったかは不明。 |
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玄関から庭に出ると、そこには!! びっくり!おもしろ美術館。 円柱形のレンガの建物に見せかけて、プラスチックのはめ込み レンガユニットで作られている。 |
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びっくり!おもしろは否定しない。 美術館はいらなかったんじゃ・・・。 美術なんか1つも無いし。 あ、でもアートなんか本人が言い切ればアートか! 廃墟で自分の裸撮ってアートっていってる人もいるしね。 故人にとっては、このガラクタが美術だったんだね! |
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美術館の奥の部屋。 何故か池があり、富士山の後方から水がでる。 みんなわかったふりしないで、それはアートじゃないって 教えてあげなよ。 違うものは違うっていっていいんだから・・・。 だれも君を「芸術がわからない人だな。」なんて言わないから、 そうじゃないと、この美術館になっちゃうよ。 |
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パラダイスの橋。 パステルカラーに彩られた色彩。 まさに時代を象徴している。 |
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頭の黒いネズミのつがい。 当時は、今ほど、うるさくなかったのであろう。 現在なら、テレビ放映の際に間違いなくモザイクだ。 |
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上から2枚目の画像へ戻ってもらいたい。 赤い階段をあがり、屋上ガーデンにたどり着く。 もはや爆撃を受けた瓦礫の山と化し、屋根は落ち、植物が繁茂する。 廃墟人生最大の試練を乗り越え奥へと進む!! |
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おそらく、本邦初公開=世界最初の公開であろう「黄金の間」である。 様々な賞状が飾られた「応接室」以上のVIPルームであろう。 全てのメディアにも、この部屋の存在だけは教えていなかった。 廃墟になった今でも、誰も入った形跡はなかった・・・。 ※ここに来るのに、実際軽く死ぬかと思った・・・。 しかし、この女性は誰かな?あ!!亡くなった奥さんかも・・・。 |
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木彫りの熊も、布袋様も、ポストも花瓶も全部ゴールド。 この不思議な部屋で、誰にも邪魔をされずに、奥様との思い出を 辿っていたのかもしれない・・・。 造化が半永久的に失わない色で部屋を彩り続けている。 |
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けして、趣味がいいとはいえない。 しかし、この部屋は見事に片付いていた。 ここは、桃源郷、パラダイスそして竜宮城のbなかにある、 彼だけのサンクチュアリーなのかも知れない。 私は、元のように静かにドアをしめ、ある方法で施錠した。 |
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「トンガリ帽子の時計台」の塔の中は資源ゴミ置き場だった。 紙は重いが・・・。 これが後に惨事を招く。 |
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6年後、一番上の画像と比べてもらいたい。 真ん中の棒のようなものが「竜宮城」看板である。 建物はかろうじて残っているが、全て断崖側にひしゃげてしまった。 |
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「トンガリ帽子の時計台」も重たい資源を支えくれずに崩壊。 浦島太郎の絵だけが、当時を偲ばせる。 |
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時計台って・・・。 そうか、札幌の時計台だ!! 桃源郷に住み、夢を謳歌した故人も、心はやはり故郷の北海道に 残してきたのかも知れない。かけがえの無い、奥様の思い出と共に・・・。 |
最後に訪れたのは、本当に最近である。住居、美術館、竜宮城はもはや、完全につぶれてしまい、何とか窓から進入したが、もはや6割以上が奈落へと沈んでいた。
本来なら「黄金の部屋」の存在は、明かさないつもりであった。しかし、現在もはや住居の上に位置していたため、荒らすもなにも存在しない。
そのために、公開に踏み切った。
「茨城の竜宮城」一般的に奇人変人の代名詞として語られる。果たしてそうなのであろうか?
いやな仕事を体が動かなくなるまで続け、一男一女をもうけ、郊外のベットタウンに玩具のような画一化された家を建てる。
回りからは「やさしい旦那様」とか「いいパパね」と言われようと無理をして善人を装う。
定年後、成人した子供は家に寄り付かず、妻は友人をカルチャークラブに通い、夕飯は今日もコンビニの弁当だ・・・。
死の直前に気がつく「あれ自分の人生だったのに、なにも好きなことしていないや・・・」夕日が赤く空を包み、夜の帳があたりを闇に沈める。
長かった人生とともに・・・。
故人は、自分の意思で自分の夢をかなえた、それが数年間だとしても、本当の桃源郷の中で過ごしたのだ。
「人の夢」と書き「儚(はなかい)」と読む、その儚い一瞬でも、追い求め実現したであろうか?
故人の人生は、賞賛にあたいし、もはや羨ましいとさえ思う。
奇人変人は、もしかしたら私であり、あなたなのかもしれない・・・。