物件No.60 「金子邸」 栃木県

「主無き家」

 プローフィールのページを見ていただければ、わかりますが、私は生粋のB型人間なので、総じて鈍いです。例えば「人に見られている」感覚など、今までに感じたことが有りません。この物件に入るまでは・・・。
 物件は、栃木県の準市街地、まばらに住宅などが有り、真横には比較的車通りの多い道があります。母屋の他に大きな納屋と蔵のある、豪農の廃屋です。廃墟物からの推測ですが、家主は農業の他に、畜産業(食牛)を営んでおり、後期には、市議会議員を務めていたようです。所が彼の代で家が途絶えてしまったらしく、現在はこの物件は市もしくは県の所有地になっているそうです。
 外の、真冬の澄み切った空気と違い、一歩家屋に足を踏み入れると、淀んだ負の空気が、たちこめているようでした・・・。感性が鈍いので上手く言えませんが、例えるのなら奥の空間に未だに家人が存在しているが、出てこれないというような雰囲気・・・。探索している内に何となく原因がわかったような気がします。
 数少ない2度とは行きたくない、廃墟の1つでした。心霊君的には「まじでやばい」って感じです(笑)。

玄関

いきなり、巨大な神棚のようなものが、置いてあります。
真ん中下の紙には「明治神宮」と「橿原神宮」と書いてありました。
画面上の、もやのようなものは、私の吐いた息です。
心霊とは関係有りません!!
当日は、マイナス3度でした。
勝手口

蜘蛛の巣が、蚊帳のように垂れ下がっています。
何故か、家中にお札を、張りまくっています。
かなり、信心深い家人だったのでしょうか?
全て、神道系です。
テレビ

アンティークなテレビです。
昭和30年後半から40年頃にで、ここの空間の時間は
止まったようです。
長い廊下

古い農家にありがちな、長い廊下です。
左側は縁側、右側には、沢山の部屋があります。
隊員1号と2号が前を歩いています。
布団

和室に散乱した、布団です。
子供用らしく、布団の柄が時代を感じさせます。
30後半から40代の方は、懐かしいのではないでしょうか??
ところで、この布団を使っていた子供は何処に行ってしまったので
しょう??
金庫&ミシン

かなりの年代ものです。骨董品屋さん垂涎の代物では?
この時代に金庫やミシンを所有できると言うことは、まさに
豪農だった事がうかがい知れます。
部屋の中

見ての通り、全てがそのまま放置されています。
なぜか、画像が斜めになってしまっています。
最近は、こんなミスショット撮らないのですが・・・。
招き猫

台所に招き猫と、小さな神棚が。
しょうゆ、酢、モノゲンユニがそのままに・・・。
仏間

沢山の額に入った写真が・・・。
この部屋に、足を踏み入れるのには、気合が要りました。
負の空気の臨界点です・・・。
とどめ!!

葬式の跡が、そのままに・・・。
金子某氏、もしくは配偶者の方を最後に、この豪農の直系の
血筋は絶えてしまったと思われます。
最後の主は、実態を伴わないまま、未だにこの家のなかに
存在し続けて居るのでは!!という錯覚に囚われてしまいます。
注)管理者はアンチ心霊派です。
注2)廃墟クラブで先行公開済
モノクローム写真

最盛期の写真でしょうか?
この門の大きさを見てください!!
城の城門か大名屋敷かって感じです。
「盛者必衰」という言葉が脳裏をよぎりました。
トイレ

トイレと書くより、便所と書いたほうが、似合いますね。
勿論、ボットン便所です。
便器の中から、手が出てこないか心配になりました。
応接間

裏口のすぐ近くに、応接間らしき部屋がありました。
真っ赤な革張りのソファーが、家人のセンスの限界を
伺わせてくれました。
廃墟特有の時を刻むのを止めた、時計が印象的です。
動いてたら、違った意味で怖いですが・・・。
2階

2階は完全に、倉庫として使っていた用です。
1階とは、全く違う空気に、ほっとしました。
本の山

かなり年代モノの本が、山積みに散乱していました。
野球界

野球界という雑誌です。1966年生まれの私ですら、
全く知りません!!表紙の選手は誰でしょう??
情報お待ちしています。
テレビの山

あんたは、電気屋か、と突っ込みを入れたくなるような
テレビの数です!!
当時金持ちのステイタスであったテレビを所有する事で、
農協の集まりで、自慢しまくっていたのかもしれません。
でも、捨てないで取っておくところが、なんかかわいい!!
1階の天井

最後に、恐怖の画像を・・・。
何故、天井にこれほどのお札を貼っておく必要があったのか?
外に出たとき、肺の中の空気を入れ替えるように、
大きく深呼吸をしました。
ネット上では、1件屋の廃屋系はあまり受けが良くないので、
多数ストックしたまま、眠っていますが、この物件は別格でした。
いやー!!廃墟ってこわいですね。