物件No.53「昭和の産婦人科」茨城県

「在りし日の幻影」

 典型的な地方都市。近代的なビルの隙間に、古い家屋が残る。
そんな中でも一際古く、そして立派な日本家屋。
外観からは全く何の建物かわからず、強いて言えば「銭湯」かと思ったほどの規模だ。
内部を探索して、程なく「産婦人科医院」だと正体はわかったが、どうしても不思議な感覚が残る。
初めて来たのにも関わらず、まるでかつて見た光景のようなのだ・・・。
記憶を辿るが、まったく思い当たらないまま、違和感を感じながら探索を続ける。
ふと、窓から中庭を見た瞬間。走馬灯のように記憶が流れ込む。

 1971年(昭和46年)晩秋、父親と手をつなぎ、私はその空間に立っていた。薄暗い古びた室内。大きな古時計が「カチ、カチ」と時を刻む。背の低い子供の私にとって染みの浮いた天井は果てし無く高い。元来、無口で無愛想な父が、何故か嬉しそうに見えた。
ひとしきり誰かと話をし、父が手を引き歩き始める。渡り廊下のような場所を通った。左側の窓の外に、今、見ているのと同じ様な、中庭の風景が外灯に照らし出されていた。
突き当りの部屋のドアを開ける。ベットに寝そべったままの母親。その横には小さな「赤ん坊」。父と母が嬉しそうに笑いながら言った「亨、弟だよ」・・・。

 埃の降り積もった広間に立ちすくむ。もう、2度と見ることの出来ない「家族4人」がそろい楽しく笑っている光景が見えたのだ。30年以上も時を超え、まるで現実のように・・・。「栗原さん、何かありました?」同行者のたかけんさんの声で、我に返る。「いえ、この部屋があまりに美しかったので・・・。」

 平成12年に戻った。廃墟という空間は本当のタイムマシンなのかもしれない。
近づいた外観

見事なまでの純和風建築。
かなりの広さだ・・・。
この物件にも古い建物特有のオーラが感じられる。
進入路付近

雑草が生い茂り侵入者を拒む。
長い間、人が入った形跡は無い。
向こうに玄関が見えるが、なかなか近づけない。
入口付近

曇りガラスにぽっかりと丸く開いた穴は、
会計&薬の受け渡し窓口のようだ。
サッシは全て木製。
天井からは蔦が垂れ下がる。
薬品棚

埃がかぶっているものの綺麗に並ぶ薬の瓶。
どれも中身が入っていた。
スチール製では無く木製の棚が渋い。
診察待合室

骨組みだけのベットが数台放置。
小さくて読めないと思うが、中央の楕円形
プレートには「患者入口」と書いてある。
診察室1

倒れた椅子。雪印「ヨグール」の冷蔵庫。
スチール台の上には錠剤、下にはビン。
多少荒れて埃をかぶっている以外は、
当時のままに保存されている。
診察室2

診察室というより
1階に置かれていたベッドはこれだけ。
この上で多くの診察や処置、
そして分娩が行われたのであろう。
散乱した薬品

押入れの中に入っていた大きなダンボール箱。
それが落ちて壊れ中身が散乱している。
内服薬、外用薬・・・。
様々な薬が封も切られずに現在に至る。
ミルク缶

森永「ドライミルク」の缶。
この産院で生を受けた赤ちゃんが母乳以外に
初めて口に入れるべき「物」だった。
錆付いた缶を上下に振ってみると「カタカタ」と
固まった粉ミルクが音を立てる。
カレンダー

1981年12月
この物件の「意味ある建物」としての命日だ。
ここを訪れたのは2000年の冬。
19年の歳月が経過している。
廃墟の経過年数としては最高の時期である。
外廊下

全て木造。勿論、サッシも全部木製。
祖父の本宅で便所に向かう廊下を歩いた記憶が
鮮明に蘇る。
薄暗いキシキシと音を立てる廊下を父と手をつなぎ
歩いた・・・。
あの頃は、何もかもが小さな冒険だった。
突き当たりは、コンクリートに黒い豆タイルが
貼られた洗面所。
心霊君の大好きなオーブが飛びまくり。
浴室

浴室よりも風呂場って表現の方が適切かも。
6角形のかなり小さな浴槽。
水色のタイルがピンクに塗られ、それが剥げている。
現在のプラスチックに囲まれた無機質な浴室よりも
温かみを感じる。
実際は寒いが・・・。
風呂釜

レンガ製の風呂釜。
5年前の記憶で曖昧だが、大きさからして薪では無く
石炭だったような気がする。
焼け焦げた跡が、長い間使用されていた事を物語る。
沢山の御札

「成田山新勝寺」
「大日如来」
「鹿島神宮」
医者も神頼みか・・・。
2階への階段

この瞬間ってときめく!!
ミシミシと軋む階段。
古い家特有の急勾配。
漆喰の壁が素敵。
2階広間

想像以上に素晴らしい空間が広がる。
木枠の窓も最高だが、外の景色もイイ!!
夕暮れの淡い日差しって廃墟に似合う。
どうやら入院部屋に使われていたようだ。
歩行器

2階の広間にあったものだが、
赤ちゃんが使っていたものらしい。
いや、まて?
生まれたての赤ちゃんが歩行器を使うか??
埃にまみれた物体はもはや意味をなさない、
「ごみ」と化していた。
ミシン

足踏み式のミシン。
かなり長い間放置されているようで、
金属部分が全て錆びてしまっている。
裕福だった家の廃墟には必ずと言っていいほど、
この「ミシン」が存在する。
廊下

あまりにも広いため。
今何処に自分がいるのかわからない。
この空間も廊下に違いないのだが、
どこに繋がるんだろう?
右側にはカルテが保存されている。
が、その重みで床が傾いてしまった。
窓からの風景

地方都市のど真ん中にも関わらず、
広大な庭の風景は、昔のまま時を止めている。
ぼろぼろに風化したカーテンが、
止まった時の長さを表しているようだ・・。
台所

こちらも例に漏れず、かなり保存状態が良い。
ガスレンジや湯沸かし器・・・・。
現在は、廃墟と博物館でしか見ることのできない
ほどの年代ものだ。
台所2

上の画像の対面。
多少、乱雑になっているが、
食器や調理具、調味料までもが、残っている。
残留物が多いほど、かつてこの家で暮らていた人の
様子が偲ばれる・・・。
押入れ

箱の中は総て物が詰まっている。
家屋の腐食はかなり進行していて、押入れの床も
傾斜してしまっている。
人が住まなくなった建造物は、
不思議と加速度的に壊れていく。
パンダのぬいぐるみ

ここで育った、子供の物だろうか?
埃にまみれ放置されている。
大切にしまわれていた思い出も、この家と共に
風化していく・・・。
カツラ!!

画像ではフラッシュを焚いているため明るいが、
実際はほぼ真っ暗な空間。
懐中電灯がこの物体を照らした瞬間
かなり驚いた。
お稲荷さん

これ以外のも仏壇。
先祖であろう人が写った遺影がそのままの仏壇。
祀り物のオンパレード!!
職業柄、かなりげんをかついだに違いない。
医療を信仰が入り混じった時代だった・・・。
2階外観

夕方も押し迫り実際はかなり暗い。
画像加工ソフトで明るく加工した。
寂れた庭から見る古い日本家屋の外観・・・。
それは、ため息が出るほど美しい光景だった。