人口がどのように増加しているか、また減少しているかは各国、各地域の人口動向の基本である。人口増加は、以下のように自然増減と社会増減から成っており、自然増減をめぐる動きを自然動態、社会増減をめぐる動きを社会動態と呼び、合わせて人口動態という。

 人口増加=自然増減(出生数−死亡数)+社会増減(流入数−流出数)

 ここでは日本及び主要国の人口増加率とその内訳を成す自然増減率と社会増減率の推移をたどることとする(こういうグラフが余り世の中に登場しない理由については巻末コラム参照)。なお、社会増減は人口増加から自然増減を差し引いて推計している点に留意されたい。また、これらの国の19世紀からの長期人口推移は図録1156、図録9013参照。

 日本の人口増加率は、高度成長期の1960年代〜70年代には1%以上と高かったが、その後、合計特殊出生率の低下(図録1550)に伴う出生減、高齢人口の増加(図録1157)に伴う死亡増、合わせて自然増減の減少により、低下を続け、1980年代後半からは0.5%以下、そして、2009年からはマイナスに転じている。なお、1965年の人口増加率の一時的低下は丙午(ひのえうま)の年に当たり、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮めるという迷信に影響されて出生数が少なかったためである(図録1164参照)。出生より死亡が上回る自然減の影響で明治以降初めて2011年には人口減に転じた。

 日本の人口動態の特徴は、こうした自然増減の傾向的な低下とともに、社会増減の要素が非常に小さいという点をあげることが出来る。欧米では移民流入による社会増が人口増加率に大きな影響を与えているのとは対照的である。

 自然増減が人口動向の大部分を占めるという点では韓国も日本に似ている。ただし、韓国の場合は、自然増加率の高さが非常に大きかった点で、欧米や日本とは大きく異なっている。一時期非常に高かった韓国の合計特殊出生率であるが、最近は日本を下回っている(図録1550)。しかし、高齢人口がなおそれほど多くないため死亡数が少ないこともあって、日本と異なり、自然増加率や人口増加率は依然ゼロをかなり上回っている。なお、社会増減に関しては最近に至るまで年によって流出超過の時期がある点でも日本と異なっている。

 欧米の動きを概観すると、フランスと米国では自然増加率が一定水準以上で継続しているのに対して、その他の西欧諸国では概して自然増加率が低下傾向にある。フランスや米国の出生率の高さについては図録1550、図録8650などを参照。

 社会増減に関しては移民の国米国の名の通り、米国では、一貫して一定水準の社会増加率が継続している。その他の国では時期により移民が増える時期と少なくなる時期が交互にあらわれるのが特徴である。ドイツは以前は移民が多かったが、最近は少ない。イタリア、フランス、英国、スウェーデンでは、近年、移民が増加する傾向にある。EU内の移動制限の緩和が影響していると思われる。フランス・サルコジ政権の下で2010年ロマ民族の排除政策が取られるようになった背景をここに見ることが可能である。EU地域、あるいはドイツとイタリアなど各国の人口動態については、以下に国別に詳述した。

(EU地域)

 EUの新規加盟国は加盟後7年以降にEU域内への移動、就労が増加し、居住国での社会保障も受けられるようになる。これは、「新規加盟国の国民には最大7年間、(既加盟国)各国が自国内での就労を制限できる」ことになっているからである。例えば、2007年に加盟した「EU最貧国とされるブルガリアとルーマニアには、英独仏、オランダなど九カ国が医師などの技術職に限って就労を認めてきた」。2014年1月から両国民のこうした就労制限が撤廃されたので両国からEU域内への移民が増加すると考えられている。

 ところが欧州の富裕国では「反移民」「反EU」を掲げる政党が台頭していることもあって、社会保障給付制限など移民受け入れを抑制するような対策が講じられようとしている。「英国は、制限撤廃後に大量の求職者が移住して社会保障費が増大するのを懸念し、EU域内からの移住者への福祉手当の支給を今月から制限。入国後三カ月は失業や住宅手当などを支給せず、就労意欲がないとみなせば六カ月後に打ち切る。路上で物乞いすれば強制送還し、入国を一年禁じる措置も加えた。来年の総選挙を控え、移民制限を主張する右派政党の伸長を警戒するキャメロン首相は、医療サービス有料化を柱とした改正移民法案も上程。今後のEU加盟国には、移住制限が必要だとの考えも表明した。」ドイツやフランスも右翼政党が反移民のキャンペーンを強めており、何らかの制限策が講じられる可能性が高いという(東京新聞2014.1.12)。

(英国)

 英国でも図のように1990年代前半から移民流入が急増し、安易な受入に対する反感が広まっている。英国の連立政権は「移民の純流入を20万人レベルから2015年に半分以下の1桁台に減らす」という公約に真剣に取り組みはじめている。2008年に選別を強める移民システムを導入したが2009年に純流入はなお増加している。EU内の移動規制は難しいのでEU外の移民を抑えざるを得ない。すでにEU外からの単純労働者流入は前政権のときに禁止されているので、専門家や高技能な労働者についてもしばりを厳しくするしかないが経営者団体は経済の競争力を削ぐ規制には反対している。学生や家族の呼び寄せなどを含め移民流入の上限目標(cap)の設定も導入が計画されているという(The Economist, November 20th 2010)。

 2010年に英国の首相となったデーヴィッド・キャメロンは2015年までに英国への移民を半減させると公約した(The Economist November 17th 2012 - "Free exchange:Border follies")。

(スウェーデン)

 スウェーデンについては、自然増減と社会増減の波打つような変動が特徴である。人口規模の小さなスウェーデンでは、外部環境と政策動向の変化に影響されて、人口増減率がアップダウンするのだと考えられる。この点、人口規模の大きな日本や米国では、傾向的変化はあっても、スウェーデンほどの5〜10年おきのアップダウンは生じていない。人口規模の大きな国ではそうやすやすと人口動向にまで影響を与える大きなギアチェンジができないものととらえられよう。

(ドイツ)
 
 ドイツの人口動態は、自然増減率がもともと高くなく、また1970年代からはマイナス基調が続いているので、移民の流入による社会増減率の変化によって、大きく影響されてきた。ドイツへの移民の動向は以下のような経緯を辿っている。

「1950 年代と60 年代においては、労働力不足から外国人労働力の募集が行われ、大量の人口流入が見られた。55 年12 月20 日、イタリアとの間で最初の労働者募集協定が締結され、その後、同様の協定がトルコ、ギリシャ、スペイン、チュニジア、ポルトガル、モロッコとの間で締結された。73 年には移民の募集は停止されたが、募集停止後はこれらの労働者の家族呼び寄せが人口の流入を引き起こした。80 年代と90 年代においては、東欧からのドイツ系移民の帰国や、政治亡命者や戦争難民のドイツへの殺到がネットの流入増をもたらした。」(田中信世「ドイツの人口問題と移民政策」ITI季報Winter 2001)

 過熱する好景気の時にガストアルバイターとして受け入れたトルコ人の人口比率が高い点がドイツの特徴となっている(図録3835)。

 1989年のベルリンの壁崩壊により経済が悪化し外国人労働者の失業率が高まる中、地域紛争の多発した東欧圏から旧共産圏と境を接するドイツに大量の難民が押し寄せ、移民の受入能力を超過しドイツ社会は大きな混乱に見舞われた。このため、1993年にはドイツ基本法を改正し、安全な第3国経由の難民受入を制限したので、それ以降、人口流入は大きく減少した。

 1990年代にはこうした混乱の中、ネオナチをはじめとする外国人排斥の極右運動が大きな社会問題となった(ドイツ統一から2001年までの約10年間に100人以上の外国人がネオナチ等の襲撃で命を落としたといわれる)。一方、高失業率の中でも、看護、介護、清掃業などいわゆる3K労働に就きたがらないドイツ人に代わる外国人労働者のニーズが根強く、また財界からIT分野などの技能労働者を海外から受け入れるニーズが高まった。さらに2000年の米国同時多発テロは実行犯の一人がドイツ留学中に過激なイスラム主義に傾倒していったことも影響してイスラム系外国人への不信感が高まった。

 こうした状況の中、ドイツ社会に溶け込める移民のみを受け入れるという移民政策がはじまった。@労働移民の受け入れ、A難民保護、B社会的統合政策の推進、C治安対策を要点とする移民法が2005年に施行された。さらに統合策を強化する改正移民法が2007年7月に成立した。中身は、@統合コース(ドイツ語、法令、文化、歴史)への参加義務付け(拒否した者には罰金及び社会扶助の削減)、A呼び寄せ家族のドイツ語知識の証明義務付け、などである。Aはトルコ系などが対象で先進国からの移民は対象外であったため、トルコ系移民の団体は、移民法の規定がトルコ人社会を狙い撃ちした人種差別であると糾弾した。

 こうした新しい移民政策により、一方で、参加率の低さから統合コースが失敗し、マスコミ等で「統合の失敗」が言い立てられるに至り、他方では、流入制限の厳しさからドイツへの移民流入数が減少した。図に見られるドイツ以外の西欧諸国への社会流入増とそれと対照的なドイツへの社会流入減にはこうした背景があるのである。

 世銀のデータベースでは2012年に対前年人口増加率が大きなマイナスとなっているが、これは、24年ぶりに国勢調査が実施されてこれまでの推計が過大だった点が改められた影響である。ドイツではプライバシーなどの問題から国勢調査に反対する声が強く、1987年に行われた調査の数字を基礎に、出生、死亡、そして転出入を増減させて人口が示されていた。しかし、これでは信頼できる数字が得られないので、ようやく2011年に、24年ぶりに調査が行われた。「連邦の人口は、調査日の2011年5月9日に8,020万人と公表された。従来は約8,180万人とされていたので、約150万人、2%縮小したわけである。消えた数字の多くは外国人によるものなので、大きい差が生じた主因は、ドイツに転入して登録した後に、届けないまま転出してしまった外国人の影響だと考えられる。」(ルール地方よもやま通信、2013.06.03)

 こうした影響で2012年以降の世銀データベースの人口増減率は変動が激しすぎる。そこで図ではFAOの年次人口の推計値から2012年以降の人口増減率を算出している。

 これによると2012年以降は社会増減率が久方ぶりにプラスとなっている。中東情勢の不安定による移民・難民の流入像の影響と考えられる。2015年にはシリアなど中東からの難民が急増、11月末までに96万人となり年間の難民申請もボスニア紛争による過去最多の40万人台を越え、さらに政府予想の年間80万人も越える勢いである(毎日新聞2015年12月9日)。

(参考資料)
労働政策研究・研修機構「海外労働情報」など
http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2007_9/german_01.htm
http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2008/08-046.htm

(イタリア)

 イタリアの人口動態は日本と似たところがある。すなわち出生率の低下と人口の高齢化により、自然増減率が大きく低下し、1980年代には日本に先駆けて人口増加率もゼロに近くなった。日本と大きく異なる点は、人口減少が定着すると思っていたら、21世紀に入って、急激な不法移民を含む移民増により、人口増加率が0.5%〜1%以上となったことである。1%の社会増は日本でいえば1億人×0.01=100万人の入国超過数という規模であり、社会的影響は計り知れない。

 イタリアは他の西欧諸国と異なり、かつて移民送り出し国として有名であった。第2次世界大戦以前は米国やアルゼンチンへの移民が多かったが戦後は失業者の多いイタリア南部からドイツ、フランスへアルプスを越え出稼ぎ労働者として出掛けていた。1960年代には、まだ、図に見られるとおり、西欧諸国の中で、唯一、社会減であるのが目立っていた。ただし1960年代には経済成長がはじまり、南部出身の労働力はむしろ北部工業地帯に多く向かうようになったため、社会減の程度はそれほど高くない。

 1972〜73年頃から社会減がゼロに近くなったのは、イタリア人の流出をアフリカ系や南米系の流入が補うようになったからといえよう。ドイツ、フランスなどで石油危機による景気低迷のため移民を抑制する動きが出て、グラフを見てもこの頃社会増が急減している。このため行き場を失った外国人労働者が移民規制の緩いイタリアに流入したと言われる。

 経済発展にともない、先進国ではいずこも同じであるが、露天商、飲食業、家事労働、介護、中層零細企業など底辺労働に外国人、あるいは不法就労者を使わざるを得ない状況が訪れ、不法移民を含む海外からの流入者は増加していった。

 以前に移民送出国であったことも関係していると思われるが、イタリアは東欧や北アフリカなど近隣途上国の貧困に共感を示す、移民に寛大な国として知られていたこともこうした動きを促した。途上国援助では「分権化援助」といって地方自治体レベルの取り組みが盛り上がった(「NGO及び地方公共団体等との連携の在り方に関する基礎調査報告書」平成12年3月、財団法人国民経済研究協会の「資料編1」p.10〜11参照)。また、1998年には不法滞在者特別治療制度として不法移民にも無料で医療を提供する制度もできている。

 ただ図を見ると、1990年代、ドイツに東欧などからの移入者が大きく増加した時期にはそれほど多くの移民が流入した形跡は認められない。ところがドイツへの流入が21世紀に入ると減少し、これに代わるかのようにイタリアへの流入が急増した。アフリカから小舟にのって押し寄せる不法移民に加え、EUに2004年東欧10カ国、2007年にはルーマニア、ブルガリアが加入し、これらの諸国、特にルーマニアなどラテン系の言葉をもつ国からの移民が増加した。

 2002年には移民受入への制限が強化され、労働目的の入国には事前に雇用主との間で滞在契約を交わしておくことが義務づけられた。このとき、滞在許可証の交付に指紋採取が求められるようになったのに対して、、映画監督のスピルバーグやピアニストのアルゲリッチ等の著名な外国人が、すべての移民を「潜在的な犯罪者」と見なすものであるとして、反対声明を発表するなど、国際的にも波紋が広がった。

 2007年10月にはルーマニアのロマ民族(ジプシー)による強姦、瀕死女性遺棄死亡事件が起こった。その他、低い待遇に抗議する移民の暴動など移民と関連する社会事件が頻発する中、2008年4月の総選挙では、南北独立と移民排除をスローガンとするイタリア北部同盟の集票に助けられてベルルスコーニが圧勝した。これを受け、移民制限に対する強化策が一層図られるようになった。

 2008年5月には不法滞在者に住居を貸与した者は、6か月から3年の懲役及び当該住居の没収を科せられることになった。2009年4月には北部同盟発議により政府は不法滞在者特別治療制度(上述)で治療を行った医師に対して、治療後、不法滞在者の警察への告発を要請し、イタリアの医師会がこれに反対するといった事件も起きた。同年5月にはベルルスコーニ政権は「治安法案」を下院で可決した。首相は「多民族国家という左派の考えを我々は認めない」と発言。イタリアは移民寛容政策から排斥政策へと明確に転換した。

 移民の増加はアフリカや東欧からだけにとどまらないらしい。フィレンツェ市から約16キロ離れた古都プラートはネットワーク型の産業構造をもつ高級繊維製品の産地として栄え、サードイタリアとして名高かった。ここで、多くが不法滞在者の中国人移民が過去20年間で激増し、現在は4万人、現地人口の約4分の1を占めるに至り、欧州最大とも言える中国人密集地になっている。「欧州繊維業の中心」は傍若無人な中国系移民により安価な衣類の加工基地へと変貌しているというのだ(イタリアにおける中国人移民の評判については図録8192参照)。

 2011年以降、移民問題には新たな局面が展開している。すなわちチュニジアの政変(2011年1月)やリビアの内戦(2011年2月以降)、「アラブの春」以後の各国の国内対立、2015年以降本格化した「イスラム国」を中心としたイスラム過激派のテロや内戦(図録9359)など、中東・北アフリカ地域でパンドラの箱を開けたような混乱が続いている。この混乱で北アフリカ難民・中東難民が地中海対岸のイタリアにボートで押し寄せる事態がも深刻化している(右にイタリアへの密航に関するデータ)。

−2011年の状況
「イタリアでは移民が過去10年で20倍に増え人口の1割近くの400万人以上になり、アラブ諸国の政変で今後も急増が予想される。特に2月以降、チュニジアからの移民船が増え、今年約2万9000人がイタリア南部に漂着し、数百人が海難で死亡している。伊政府はチュニジアからの移民を受け入れてきたが他の欧州諸国が協力しないことに不満を抱き移民の一部に4月以降、「自由越境のパスポート」に当たる暫定滞在許可証を発行し独仏などへの出国を事実上促した。」(毎日新聞2011.4.18)難民の「大半がチュニジア人で、旧宗主国フランスへの入国を希望しているという。(中略)フランス政府は17日、イタリア北西部ベンティミリャと仏南部ニッツァを結ぶ鉄道を半日間、全面的に運休させる異例の措置を講じた。国境を一時封鎖し、難民が無秩序に流入するのを阻止した格好だ。これに対しイタリアのフラティニ外相は同日「欧州内の出入国審査を免除するシェンゲン協定に違反する」と抗議した。仏政府は、南仏で無許可のデモを計画していた難民と支持者ら約三百人の入国を防ぐ治安維持が目的と釈明。ゲアン内相は18日、同協定には抵触しないと反論した。(中略)イタリアのベルルスコーニ首相とサルコジ仏大統領は26日にローマで会談し、難民問題への対応を協議する」(東京新聞2011.4.19)。ただし、図録のデータ上は2011年の社会増が前年に比べ特段増えているようには見えない。

−2015年の状況
「欧州連合(EU)は20日、ルクセンブルクで緊急の外相・内相会議を開き、EUがイタリア沿岸で行っている出入国管理作戦「トリトン」の資金や船を倍増することで合意した。また、23日に緊急の首脳会議を開き対応を協議する。
 独政府によると、トリトンでは加盟21カ国が共同で沿岸警備船など9隻を運航してきたが、これを2倍にして難民救出機能を強化する。同時に、国際刑事警察機構(ICPO)などと協力、密航のブローカーに対する犯罪捜査に取り組む。さらに密航船に乗らなくても欧州に正規に難民申請できるよう、5000人規模で受け入れるプログラムを試験的に行う。イタリアへの財政支援も倍増する。
 ただ、こうした対策では「すぐに問題は解決しない」(EU外交筋)ことはEU自身も自覚している。EUの作戦はイタリア沿岸に限られ、リビアにまで活動範囲を広げることにはためらいがある。難民の救出作戦がかえって密航者を増やす懸念もあるからだ。EUではシリア人を中心に難民申請が急増、昨年は2011年の倍の60万人を超えた。各国は債務危機の余波で財政が苦しく、これ以上の難民受け入れに消極的だ。
 根本的な対策として「難民が通過するリビアなどを安定させる必要がある」(シュタインマイヤー独外相)との認識がEUにあり、モゲリーニ外務・安全保障政策上級代表(外相)は密航船の9割が出航するリビアの沖に共同で軍艦を派遣して治安を安定させることなど、密航船根絶に向けた五つの対策案を20日の会議に提示した。だが、リビアへの関与はあまりに危険で「合意する見通しはない」(EU外交筋)。
 そもそもリビアが内戦状態に陥ったのは、「アラブの春」による反政府デモを支援する形で英仏が軍事介入し、その後、北大西洋条約機構(NATO)が「市民の保護」を名目に軍事作戦に踏み切り、カダフィ政権を崩壊させたことに起因する。NATOの介入を認める国連安保理決議で棄権したウェスターウェレ独外相(当時)は、介入後の新政権樹立に何の展望もない攻撃は「無責任」と警告していた。リビアから押し寄せる密航船で欧州はツケを払わされている格好だ」(毎日新聞「クローズアップ2015:地中海・相次ぐ遭難 密航ビジネス横行」2015.4.21)。

 実際、図録でも2014年にはすでにイタリアの社会増とそれによる人口増が著しくなっている。

 イタリアで外国人観が悪くなっている状況については、図録9014(各都市の外国人観)、図録8192(移民中国人への反感)参照。

(参考資料)
萩原愛一「イタリアの移民法」外国の立法239(2009.3)

【コラム】人口増減と自然増減・社会増減のデータの違い

 人口動態の内容をなす人口増減と自然増減、社会増減の関係はそれほど複雑な関係ではないのでここであげたグラフはよく出てきてよさそうなものであるが、実際は、そうお目にかかれない。というのは足すと人口増加率となるような自然増減率と社会増減率の数値が発表されていないからである。元になる統計データがそれぞれ異なった統計セクセクションによって収集されているのも理由のひとつである。日本では人口総数は総理府統計局、出生、死亡などは厚生労働省、流出入(出入国)は法務省が担当している。総務省統計局が作成している日本統計年鑑では一応これらの整合性をとった数字が掲載されているので図ではこれを採用した。

 出生率(合計特殊出生率と区別して粗出生率とも呼ばれる)、及び死亡率は各年の出生数と死亡数を年央推計人口で割ったもの(人口千人当たりで表示されるのが普通)であるが、この2つを差し引きすると自然増減率になる。社会増減率も同様である。ところが、人口増加率は、一般には、日本では毎年10月1日現在の推計人口の対前年増加率、世界銀行のデータベースでは年央推計人口の対前年増加率として公表される。つまり年間の人口の増加ではなく、年次中間の基準時の間の人口増加を前年の基準時における人口で割った増加率であらわしている。従って、公表される人口増加率と人口動態の率とは、ずれた期間の増加数をもとにしている。また片や期首、片や期央という基準時も異なる増減率となっており、人口動態の原理からすれば足して一致して良いはずなのに、公表数字は、単純に足しても一致しない性格のものである。そこで、整合的な数字をつくるのは結構面倒くさいため、ここであらわしたようなグラフを統計当局が各国比較で公表することも少なくなる。わが国の総務省統計局は日本については毎年、毎月の推計人口を発表しており、ここでは、人口増についての自然動態、社会動態への要因分解の数字も整合をとって計算し公表している。

 この図録では、自然増減率を人口増加率と整合的な値に補正するすることによって矛盾を解消して表示している。具体的には、出生率、死亡率は毎年そう大きく変動しないとみなし、出生率から死亡率(原則、それぞれ、過去2年の平均値の)を引いて自然増減率とした。(改変前は、出生率、死亡率から出生・死亡数を算出し、母数として前年の年央値を使い自然増減率を再計算していたが、厳密さのバランスがとれないので、世銀から公表される母数として当年の年央値を使った出生率、死亡率から自然増減率を求めるように変更した。)

 なお、年央人口がどうして推計人口かというと、どの国も年の中央の7月1日の人口を毎年実際に調査している訳ではないので推計人口とならざるを得ないからである。毎年の人口は、わが国の国勢調査のようにだいたい5年に一度行われるセンサスの結果数字をもとに毎月の出生、死亡、流出入の人口動態の値を差し引きして推計する。この図録で使用している世界銀行のWDI(World Development Indicators)データベースは、1人当たりGDP等の基礎データとして使用するため、こうした各国の年央推計人口を収集しており、それが得られないときは自ら各国の年央人口を推計している(世界の国々の人口をあらわした図録1167はこれをグラフ化したもの)。ここでいっている推計人口の「推計」は、将来推計人口の「推計」とは将来ではなく過去のデータを推計しているという違いがある。

(2010年11月1日収録、11月27日英国についてのコメント追加、2011年4月19日北アフリカ情勢による新局面追加、2012年11月22日更新、11月26日英国コメント追加、12月13日日本の値の出所を日本統計年鑑に変更、2013年4月27日更新、2014年1月14日EU地域に関するコメント追加、2月12日更新、自然増加率算出法改変、10月5日年次更新、2015年8月20日年次更新、12月10日ドイツ情勢改訂、2016年11月29日更新)


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