厚生労働省所管の国立国際医療センター戸山病院エイズ治療・研究開発センターでは継続的に「HIVの疫学と対策に関する研究」を行っており、1999年には全国5000人のサンプルを用いて戸別訪問・面前自計式による調査を行っている。ここでは同センターの報告書から性行動の国際比較に関するデータをグラフ化した。

 パートナーの多数化について、過去1年間に5人以上と性交を持った人の比率を見ると、日本の男性は4.6%とフィンランドの7.0%、スペインの6.6%よりは少ないもののフランス、英国の2.0%を大きく上回り、米国並みとなっている。女性については0.8%と少ない。日本の場合、下に見るように売買春の影響もあると考えられるので必ずしもパートナーの多数化ではないと考えられる。女性の方の国際的位置の方が実態ではないだろうか。

 セックス頻度について、過去1年間に週2回以上セックスした人の比率を見ると、日本の男性は9.8%とデータの得られる欧米諸国と比較して非常に少ないことがわかる。女性についても同様である。

 フランスは男女ともこの比率が5割以上と最も高い。他方、フランスはパートナーの多数化の指標は最も低く、フランス人は配偶者や恋人など決まったパートナーとのセックス回数が多い点が特徴となっている。異性関係の国際比較でもフランスは異性関係非経験者の比率が高く(図録2302)、奔放な恋愛の国というイメージとは異なっている。フランス人は浮気や情事に寛容であるところから(図録2785)、こうしたイメージは出来てしまったのかもしれない。

 売買春については、日本の男性は13.6%が過去1年間に経験しているいう結果となっており、スペインを除く欧米諸国と比べて非常に高い比率となっている。

 これらについて、上記報告書によれば、この調査は「若者でセックスの早年化、パートナーの多数化、性行為の多様化が進んでおり、特に女性で変化が大きいこと、男性の売春率は欧米に比しかなり高率で、特に若者で高いなどを示し、日本人の性行動に先進国の影響とアジア性が混在することを初めて明らかにした。」とまとめている。

 なお、同性との性的接触の経験率については、日本は男性1.5%、女性1.8%であり、欧米諸国と比較して少ない点が特徴である。欧米諸国の中では、オランダの男性が13.4%と際立って高い比率を示している(図録2783で見たようにオランダでは同性愛に対する国民の許容度も高い)。

 この国際比較の対象国は9カ国、具体的には図の順番にベルギー、スペイン、ノルウェー、フランス、フィンランド、オランダ、米国、英国、日本である。

 当図録では、性行動の国際比較に関しては、Durex社の世界セックス調査というインターネット・アンケートの結果を示したことがある(図録2318、図録2318rなど)。 この調査に関しては、興味深いが、結果の信憑性については疑問があるとしたが、上記結果と比較してみよう。

 上図の過去1年間に週2回以上セックスした人の比率とDurex社調査のセックス頻度を比較すると、前者のデータが得られる5カ国のうち最多がフランスであり、最少が日本である点は共通している(下表参照)。他の諸国は必ずしも順位が一致しない。大雑把にいえば、Durex社調査も案外実態を反映していると評価することができる。

セックス頻度の順位
順位 今回調査(男性) Durex社2005 Durex社2006
週2回以上比率 年間回数 週1回以上比率
1 フランス フランス フランス
2 フィンランド 英国 オランダ
3 オランダ オランダ 米国
4 米国 米国 英国
5 英国 フィンランド 日本
6 日本 日本 (フィンランドなし)

 またDurex社調査に関する図録2314の「お金をもらったセックス」の比率を見ると日本のデータはないがアジア諸国の売買春の比率は概して高くなっており、上記報告書が指摘する性行動のアジア性を裏づけていると考えることも可能である。

 日本人のセックス回数の少なさは住宅事情や家庭内の親子の距離などの影響を受けていると考えられ、少子化や家庭生活、ストレス、社会風俗等の点からも問題である。民族性とむすびつけて考える必要はない。日本人のセックス回数はかつてはむしろ多すぎると考えられていたことがある。

 食物史の大家である篠田統は、1961年に刊行され、1970年に復刊された「米の文化史」の中で、精子を構成する特殊アミノ酸のアルギニンについて食品ごとの含有率を調べると、米と肉が小麦粉やミルクを大きく上回ることから米食国民である日本人のセックス頻度の多さがもたらされるとしている。

「アメリカ人のミルクの消費量は世界一である。このミルクと肉類を副食に、パンを主食とする彼らの性生活をキンゼイ報告を通じて拝見すると、新婦の若夫婦の同衾回数は毎週2.5〜3.5回と出ている。次にわが国で、米を主食にして米(の蛋白質)を朝食としている岩手県の農民について、左翼の組合側、及びこれに関係なく岩手医大と、両様の調査がキッチリ一致して、中年夫婦で週平均七回とある。他にたのしみのない農民だから、という人があるが、それにしても生産しない種子は蒔きつけようがない。結局こうなってくると、もはや性生活などといったものでなく、余分にとり入れたアルギニンの排泄である。」(上掲書)

 いろは歌留多には「月夜に釜を抜く」があり難解句とされる。カルタはポルトガル起源の言葉であり、いろは歌留多は南蛮起源のカード遊びと日本の貝合わせの遊びが融合して元禄時代に成立したといわれる。広辞苑には「明るい月夜に釜を盗まれる意から油断大敵のたとえ」とあるが、真意は、月のさわりの夜に亭主にその旨を警告していても後ろから男色的行為に及ばれることがあるので女房たるもの用心しなければならないということらしい。その証拠に、古川柳には「折りふしはめかけ月夜に釜抜かれ」もあるという(滝川政次郎「いろは歌留多」『倩笑至味』1963年)。なお、こどもが遊ぶいろは歌留多にこうした諺は適切ではないということで「月とすっぽん」に差し替えられている場合が多い。話が長くなったが、ここで言いたいのは、現代では想像しにくくなっているかつての日本人の旺盛な性生活がこの話からうかがえる点である。

【コラム】人間はどうしてホモ・セクスアリスになったか

(図録3995のコラム「くちびると胸のふくらみの進化論」では、ヒトに見られる外にまで粘膜がめくれているくちびるや女性の胸のふくらみが他のほ乳類には見られない人類特有の特徴であり、もっぱら性的な目的、すなわち雌雄をつがわせる目的で進化したものだということを解説した。これは人類が性的動物(ホモ・セクスアリス)であることの一側面にすぎないことにふれた文章を私の著書「統計データはためになる!」(技術評論社、2012年)から以下に引用する。)

 他の動物と比較して性的だといえる人類の特徴はこうした身体面には止まりません。求愛から交尾前、交尾にいたる性行動のそれぞれの頻度、時間の長さ、テンションの高さ、周期性・季節性の欠如、そして生涯における期間の長さにおいて人類は霊長類の中で極めて異例であることが知られています。まさに人間は、ホモ・サピエンスであるとともにホモ・セクスアリスだといえます。

 何故、こんなにも人類は性的なのかといえば、それは人類がホモ・サピエンスだからです。人類は知的な進化の過程で胎児の頭蓋が大きくなったため子を未成熟で生まざるを得なくなり、また生んだ子どもを長い間掛けて丹念に成人するまで育てなければならなくなりました。これが同時に知識の世代間伝承にも結びつきました。こうした子育てという行為を支障なく遂行するためには、後に夫婦という制度的な結合にたどりつく雌雄の継続的なカップル、すなわち「つがい」が最適だったことから、これを促すため人間は性的となったのです。「(メスは)月経周期のただ一点でしか排卵しないのだから、他のときにおこなう交尾はすべて生殖の機能をもちえない。裸のサルがこれほどよく交尾するということは、子どもをつくることにでなくて、性の相手のために報酬を与えあうことによってつがいの結合をかためることに関連があるのである。したがって、夫婦において性的な満足がくりかえし達成されることは、詭弁でも現代文明のデカダンス的産物でもなくて、われわれの種に根ざした生物学に基礎をもつ、進化的に健全な傾向である。」(デズモンド・モリス1967)

 なお、継続的であるだけでなく、相互に排他的なつがいの形成、すなわち一夫一妻制も霊長類型の基本に食肉類的な変更の付加という人類の本質に固有な生物学的な特性だとされます。すなわち長い遠征に出掛けることの多かったオスの狩猟グループにおいて集団の協同性を確保するため、霊長類時代のボスザルによる専制的なメス支配は影をひそめ、「メスたちは分配され、性の組織化は専制的な色合いを失って、しだいに民主的になっていったであろう。(中略)さらに、いまやオスは致命的な武器で武装されていたから、性をめぐる争いはいままでよりずっと危険なものとなってきた。これも一匹のオスが一匹のメスで満足せざるをえない十分な理由となった。」(同上)

 一夫一婦制はかつてエンゲルスが考えたように私有財産の発展に対応するものではなく、むしろ私有財産の方が夫婦単位の子育てを容易にするかたちで一夫一婦制に対応して発達したといえるのです。

 知的な動物であることから人類は性的な動物、すなわち、ホモ・セクスアリスになりました。人間は、身体的特徴自体がセクシーにできており、また性行動や性的暗示に極めて敏感なだけに、つがい(カップル)が自分たちだけですごす私的な生活の場以外の公的な局面では性的特徴や性的行為を意図的に隠さなければ、第三者を過剰に刺激しすぎることになります。こうして、衣裳(ファッション)、歌舞、文芸などを通じ世界の各民族はセクシーさを感じるところを「隠しながら強調する」様々な表現手段を発達させ、これが人類の文化の豊かさの不可欠の部分を形成することとなったのです。

*参考文献デズモンド・モリス(1967)「裸のサル」角川文庫、1979年


(2008年10月21日収録、2010年6月17日いろは歌留多コメント追加、2013年1月14日コラム追加、2014年1月6日Durex社2006データ追加、1月17日フランス人コメント追加)


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