25〜34歳の未婚男性の年収は同年代の未婚女性の結婚相手に期待する年収と比べ高くない。

 青森では、未婚女性で結婚相手に期待する年収が600万円以上が13.6%であるのに対して、600万円以上収入のある未婚男性は0.9%に過ぎない。東京ではさらにこのギャップは39.2%と3.5%に広がる(山田昌弘「パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書) 」による)。

 若年層でパート・アルバイト、フリーターといった不安定・低収入層が増加し、また安定した相対的に高い収入の層は既に結婚している場合が多いからだと考えられる(図録3250、図録3450参照)。

 この結果、バブル経済の頃リッチな生活を謳歌していた未婚女性は今や適当な相手の出現を待っても得られる確率が低いので30歳を越してしまい、また未婚男性も妻子を養うに足る年収を得られないので結婚が遅れるということになる。

 この調査を行った山田昌弘氏は、これを「パラサイト・シングルの不良債権化」と呼んでいるが、こうした事情が未婚率の上昇や少子化の一層の進展に結びついている点が注目される。未婚女性の期待収入が無闇に高いのではなく、家庭生活や子育てに、稼げる以上のお金がかかるようになってしまったということなのだと考えられる(少子化については図録1550参照、子育て費用との関係については図録1570参照)。

 収入期待が上昇すると出生率が低下するという点は、早くから経済学者の気づくところであった。マーシャル(1842-1924)は「経済学原理」の中でこう言っている。

「通観してみると、かれら自身およびその家族の将来のために高い費用を投じてそなえをしようなどとはしない人々ないし活動的な生活を送っている人々に比べると、ゆたかな人々の場合は、出生率が一般に低いといってよく、また妊娠率はぜいたくな生活をおくることによって低下するともいえよう。...アメリカ南部諸州では、肉体労働は白人にとっては不名誉なこととみなされていたので、奴隷をもてない人々は、まともな生活をおくらなくなり、ほとんど結婚しなかった。」(マーシャル「経済学原理 」東洋経済、第2巻、p.144、p.168)

 2004年12月3日に政府は少子化社会対策基本法(2003年)に基づいた初の少子化白書(2004年版)を閣議決定した。この中では、「少子化の原因」として
 1-1 晩婚化・未婚化の進展
 1-2 夫婦の出生力(出生数)の低下
の2つをあげ、また「少子化の原因の背景」として
 2-1 仕事と子育てを両立できる環境整備の遅れや高学歴化
 2-2 結婚・出産に対する価値観の変化
 2-3 子育てに対する負担感の増大
 2-4 経済的不安定の増大等
の4つをあげている。

 少子化の因果関係の連鎖はどうなっているか、また相互に独立した要因のうち、どれがどの程度要因として大きいかを分析しないと対策もまた総花的あるいは刹那的となってしまう。

 私見によれば、2-3と2-4が大きく、正確に言えば、少子化の究極要因としては、収入期待と子育て費用のギャップをあげなければならない。

 対策は、このギャップを意識させないようにするか、収入期待と子育て費用を近づけるようにするかである。前者は、後先考えずに子どもを生んでもらってから生まれたからには何とかなるように政府が援助するという方策であり、後者は、所得向上が期待できればよいが、そうでなければ、国民全体として子育てにお金をかけないような簡素で効率的な教育を目指すか、究極的には階級を形成するかである。

 以前から私は階級形成の原因は需給の無意識的調整だと考えている(注)(注2)。金持ち階級と違うと思えば、貧乏人は金持ちのように教育にお金をかけなくても精神的に耐えられる筈である。みんなが同じように子どもに平等に教育を与えようとすると苦しくなり、むしろ子どもを生まない方がよいという選択をしてしまう。我々には我々の教育の与え方があると考えられれば、お金持ちのように教育費用を支出する必要はないのである。ヒスパニック系が欧州系の白人より出生率が高いのはそうした階級の違いがあるからであろう(図録8700参照)。

 なお、実際の年収によって結婚した者の割合がどのようにことなるかについては図録2452参照。

(注)19世紀の思想家トクヴィル(トックビル)はこう言っている。「人間の心の深奥には、正義の相対性という奇妙な原理が潜んでいる。人間は異なる階級の間に認められる不平等より、同一階級の内部に存在する不平等の方にはるかに大きな衝撃を受けるものである。」(「アメリカのデモクラシー 」第1巻、1835年、第2部10章、岩波文庫)これは米国の奴隷制が廃止された場合、解放された黒人が同じく市民となった白人との社会経済的格差の中で苦しみ苛まれる状況を予言している分析である。同一階級の内部の不平等に苦しむことのないよう階級が分化すると私は考える。

(注2)日本のようなタテ社会ではヨコにつながる階級ができにくいため、需給の無意識的調整が行われにくく、下層の者はそれだけみじめな思いをする。中根千枝はこの点について以下のように述べている(「タテ社会の人間関係 」講談社現代新書、1967年、p.102)。

「日本の「タテ」の上向きの運動の激しい社会では「下積み」という言葉に含まれているように、下層にとどまるということは、非常に心理的な負担となる。なぜならば、上へのルートがあればあるだけに、下にいるということは、競争に負けた者、あるいは没落者であるという含みがはいってくるからである。

 インドに行って驚くことは、貧しい下層カーストの人々が、少しも日本の下層の人々のように心理的にみじめではないということである。これは、そのカーストに生まれれば死ぬまで、そのカーストにとどまる−競争に負けたという悲惨さがない−という安定した気持ちと、同類がいて、お互いに助け合うという連帯感をもちうるためと思われる。

 日本では、すでに詳しく論じたように、あらゆる層において、同類の集団というものができない。下層において孤独であるということは、いっそうみじめであるということはいうまでもない。」

(2004年12月3日収録、2008年8月13日トクヴィル引用追加、2014年5月14日中根千枝引用追加)


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