すでに全世界的なリスク状況をしめした図録9610で、犯罪に関して、先進国では他殺率が低下傾向にあり、これとは対照的に、ラテンアメリカやサハラ以南アフリカといった途上国の一部では、なお、他殺率の上昇が見られている点を紹介した。また、大きく減少した日本の他殺者数の推移については図録2776で紹介した。

 ここでは、まず、OECDの報告書から、主要国の他殺率の19世紀後半からの長期推移のグラフを掲げ、次に、UNODC(国連薬物犯罪事務所)のデータベースにより、長期推移よりやや国数を多くして、近年の他殺率推移について示した。

 まず、主要国の長期推移については、日本における他殺率水準が戦前から戦後にかけて、また戦後一貫して、低下傾向をたどったことがまず目立っている。戦前から戦後直後の段階では、ほぼ、イタリアと同程度の水準であり、英国やドイツなど西欧主要国と比べれば他殺率が高い、殺人の多い国であった。英国はシャーロックホームズが活躍する舞台として何か殺人事件の多いイメージがあるが、これはあくまで小説の話だということが分かる。戦後の日本は、図録2776にも示した通り、他殺は激減しており、他殺率もイタリアを大きく下回り、ドイツや英国をも下回る殺人の少ない安全な国となっている。主要国の他殺率の動きとしては、米国のレベルの高さと大きなうねりが目立っている。

 次に近年の動きであるが、UNODC(国連薬物犯罪事務所)のデータベースにより、世界各国の他殺率の推移をグラフにした。他殺率の水準は人口10万人当たり年間30〜40人から0.5人前後と国によって大きな差があるので、図は高レベル国、中レベル国、低レベル国の3つに分けて示している。

 高レベル国には、中南米諸国は、南アフリカ、ロシアといった国が掲げられており、ジャマイカやメキシコでは上昇傾向(ジャマイカの最近は低下)、コロンビア、南アフリカ、ロシアでは低下傾向、ブラジルでは横ばいとなっている。

 ブラジルは地域による違いが大きく、ノルデステ(北東部)ではこの25年に他殺率が急騰したのに対して、南部に属する地域の中には、他殺率が大きく低下したところもある。例えば、サンパウロは2000年から2010年に他殺率が67%下落したという(World Bank, World Development Rreport 2014)。結果として横ばいなのである。確かに、下の図のようにサンパウロの他殺率は10.8人/年とブラジル全体の20人の約半分となっている。

 それでもサンパウロの治安は日本人にとっては別世界に見えることが以下のような特派員報告にもうかがえる。

「凶悪犯は死んだ方がいい――。ブラジル・サンパウロで暮らしていると、ふと耳にする市民の声に戸惑うことがある。先日、私の仕事場のすぐ近くで起きた日本食レストランへの強盗事件を取材した時もそうだった。犯人は4人組。追跡した警官隊は路上で1人を射殺し、2人を逮捕。残る1人は逃亡した。翌日、銃撃戦の現場を訪ねると、タクシー運転手が吐き捨てるように言った。「警察は何をしていたんだ。全員殺さなきゃだめだろう」捕まえて刑務所に送っても、出所後にまた同じことを繰り返す可能性が高い。「それなら最初から殺した方が社会のため」というのだ。 この国では10分に1件のペースで殺人事件が起きる。背景には格差や貧困があるが、定員オーバーの刑務所では更生も難しい。おびえる市民が犯罪者を憎むのも、背景を考えれば、わからなくはない」(朝日新聞2015.5.13)。

 中南米においては、貧困や失業、不平等の程度が緩和されてきているのに対して、安全の側面が最も急迫する課題となっているとされる(The Economist, November 16th 2013, "Alternatives to the iron fist - How to prevent an epidemic")。犯罪との関連が明かな麻薬取引の他に、低賃金、不登校、家庭崩壊(DVと関連して)などが要因として重要であり、対策として、警察力の強化では効果が薄く、むしろ、警察への信頼や行政機関、関連団体、市民組織が一体となった防犯体制づくりが効果を挙げているとされる(上記のWorld Bank資料及びThe Economistが共通して指摘するところ)。

 中レベル国には、米国、イスラエル、アルゼンチンのほか、台湾、韓国、タイ、インドなどアジア諸国が多く含まれている。中レベル国は、米国をはじめ、概して、他殺率が低下傾向にある。例外は、韓国であり、他殺率が上昇している。

 低レベル国には、英国、フランス、ドイツ、イタリアをはじめヨーロッパ先進国が含まれているほか、日本、中国、シンガポール、オーストラリアといったアジア・太平洋諸国が含まれている。

 これらの諸国は、おおむね、他殺率が低下傾向にある。ノルウェーで2011年に急に他殺率が跳ね上がっているのは、反移民のヘイトクライムである連続テロ事件(77人死亡)があったためである(図録1171参照)。

 この図では、近年になって、日本とシンガポールとで最低他殺率を競い合っている様子が印象的である。

 国別ではなく都市別の他殺率も関心がもたれるところであるが、ここでは、特定の目立った都市の他殺率のデータを以下に掲げた。ヨハネスブルグ(南アフリカ)が特段に高く、ラテンアメリカのサンパウロ、メキシコシティーがこれに続き、犯罪都市の汚名から脱却したとはいえ、次に米国のニューヨーク市が多くなっている。モスクワよりニューヨークの方が他殺率が高いとはやや意外である。このほか、ここで取り上げているのは、他殺率の高い順にナイロビ(ケニア)、バンコク(タイ)、ソウル(韓国)、アンマン(ヨルダン)、ソフィア(ブルガリア)、ムンバイ(インド)、コロンボ(スリランカ)、ローマ(イタリア)、アルジェ(アルジェリア)である。


【コラム】歴史的な暴力の減少

 本文に示されたおおかたの国での他殺率の低下は、人類史的な暴力の減少に沿ったものだと論じる学者が登場している。以下にこの論者の説を紹介した東京新聞の筆洗コラムの記事を引用しよう(2016年7月24日)。

「その学者はこんなふうに書き出している。「信じられないような話だが」。続いて「ほとんどの人は信じないに決まっているが」としつこい。そこまでためらい、やっとこう主張する。「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ」。スティーブン・ピンカー氏の『暴力の人類史』(青土社、原著2011年)。ハーバード大の心理学教授である。教授がためらった理由は分かる。誰もそう感じていないからである。テロに紛争に殺人事件。世界は暴力に満ちている。「最も平和な時代」の実感がまるでない。それでも、同書によると家庭内から国家間にいたるまであらゆる暴力は減少に向かっている。英国での殺人件数でいえば、十四世紀と二十世紀と比較した場合、95%減である。安定した国家統治や知識、理性の向上によって人類は暴力を大幅に減らすことに成功したという。現代をより暴力的な時代と考えるのは血なまぐさい事件を記憶にとどめやすい一種の「錯覚」で教授は、「現在はそれほど邪悪ではない」という。」

 アマゾンのカスタマーレビューによると著者のしめくくりの言葉は次のようなものである。

「だが、この惑星が重力の不変の法則にしたがって回りつづけてきた一方で、その種は苦しみの数を下げる方法を見つけてもきた。そして人類のますます多くの割合が、平和に生きて、自然な原因で死ねるようにもなってきた。私たちの人生にどれほどの苦難があろうとも、そしてこの世界にどれほどの問題が残っていようとも、暴力の減少は一つの達成であり、私たちはこれをありがたく味わうとともに、それを可能にした文明化と啓蒙の力をあらためて大切に思うべきだろう。」(下巻579頁)

(2013年11月29日収録、2014年10月16日主要国長期推移追加、2015年5月13日サンパウロ特派員報告引用、2016年7月24日コラム追加)


[ 本図録と関連するコンテンツ ]



関連図録リスト
分野 社会問題・社会保障
テーマ 犯罪
図録書籍 図書案内




既刊第1弾


既刊第2弾
アマゾン検索

 
(ここからの購入による紹介料を通じたサイト支援にご協力下さい)