最低賃金レベルの国際比較については図録3342で見たが、ここでは主要国について時系列変化を追うことにする。

 日本の最低賃金レベルは3点で目立っている。すなわち、

第1にレベルが以前から相対的に低い
第2にレベルが安定的に推移している
第3に上昇傾向にある

 1970〜80年代には米国のレベルも今ほど低くなかったので先進国における日本のレベルの低さは今以上に目立っていた。

 レベルの変動については、激しい変動幅を見せているのはチェコや韓国であり、その時々の政権の姿勢によって大きく左右されているのではないかと想像される。

 米国ではレベルの低下が一定期間継続した後に短期的に一気に上昇するというサイクルを何回も描いているのが特徴であるが、インフレと賃金上昇の中でしばらく最低賃金が据え置かれ、ときどき見直されるという経過を何回もたどったと考えると理解しやすい。そして、こうした経過を繰り返す中で長期的にレベルが下がってきたのである(【コラム】米国の最低賃金事情参照)。

 日本の動きは変動幅という側面からは極めて安定しており、傾向としては1990年代以降若干上昇傾向にある点が特徴である。これは自民党の長期政権下では余り最低賃金を大きく変更するという政策が論じられない中、デフレ経済の進行の中で賃金も低下傾向にある中で最低賃金の据え置きが継続してきた結果ではないかと考えられる。2009年の民主党政権の誕生に先だって最低賃金の1000円までの引き上げが課題となったが、民主党政権下でも実際の引き上げはそれほど大きなものではなかった。

 レベルは日本よりずっと高いがフランスや英国では米国と異なり最低賃金レベルが比較的安定した上昇傾向にある。これらの国のインフレ傾向を考えるとこれはインフレ率とリンクした引き上げ制度があるからではないかと想像させる動きである。

 安倍晋三首相は2015年11月24日の経済財政諮問会議で、現在全国平均798円の最低賃金を来年以降、毎年3%程度ずつ引き上げて、全国平均で1000円を目指すことを表明した。週内にまとめる「1億総活躍社会」実現に向けた緊急対策に盛り込むという(毎日新聞2015年11月24日)。このアップ率を2014年の値に適用した水準を図の中に示した。もちろん目標達成の時には対比されるフルタイム労働賃金の水準も高くなっている筈だから実際は目標達成してもこの水準にはならない。しかし、このアップ率はかなり野心的なものだということだけはうかがわれよう。

 図で取り上げているのは、チェコ、フランス、日本、韓国、英国、米国、オランダの7カ国である。

【コラム】米国の最低賃金事情

 The Economist(2013.2.14)により、米国の最低賃金事情を紹介しよう。記事の表題は"Trickle-up economics"であり、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富がしたたり落ちる(トリクルダウン)」とするトリクルダウン・セオリーの名称を逆にし、最低賃金の引き上げがトリックルアップ、すなわち経済全体の底上げにつなげようという米国の政策意図をあらわしている。

 オバマ米大統領は所得格差の是正を重要政策として掲げ、すでに富裕層以外の減税維持というかたちで富裕層向けの対策を講じてきたが、2013年2月12日には貧困層向けに連邦最低賃金を15%引き上げる提案を議会に行った。ホワイトハウスによればこれにより150万人の低賃金労働者が裨益すると見られる。

 米国の最低賃金はOECDの中で最低レベルにある。これは議会がたまにしか最低賃金を見直さないからである。時間とともにインフレが進み賃金も上昇すると最低賃金レベルは下がっていく訳である。2009年に時給7.25ドルに上げられたのが最後である。連邦最低賃金を上回る最低賃金の州が2010年には15州だったが今は20州となっている。オバマ大統領の提案は2015年までに時給9ドルまでに名目額を引き上げ、1979年の水準に引き上げるというもの。インフレ率との連動やチップを受け取る労働者への適用(20年来初めて)も考えられている。

 日本では最低賃金の引き下げは、中小企業経営の悪化につながる点が懸念材料として必ずもちだされるが、米国では価格上昇による需要減、すなわち低賃金労働者がかえって職を失うと難じられることが多い。今回の最低賃金引き上げ提案についてもホワイトハウスは1999年の英国や米国の州による最低賃金引き上げ事例から実際は労働需要は減っておらず、むしろ購買力の向上を通して経済成長にむすびつくと主張している。

 なお、2014年になっても最低賃金論争は収まらず、1月のオバマ大統領の一般教書演説では、格差是正を目指し「行動の年」を主張し、不法移民の権利拡大(例えば不法移民でも運転免許取得を可能に)と並んで平均賃金の引き上げを議会に迫っており、議会が呑まなくとも、連邦政府の契約職員に適用する最低賃金を現状の時給7.25ドルから10.10ドルに引き上げる大統領令を発すると表明している。

 その後も最低賃金は基本的には同一で推移しており、2015年に16年の大統領選にクリントン候補と並んで民主党から立候補した無名だがブームを巻き起こしはじめたバーニー・サンダース上院議員(バーモント州選出、73歳のユダヤ教徒で左寄り)の主張は次の通り。「富裕層の所得税やキャピタルゲイン税を引き上げる一方で、中間層以下の減税を約束し、現在自給7ドル25セント(約880円)の最低賃金を15ドル(約1800円)に引き上げるとしている」(太郎の国際通信「リベラル・バーニーが来た」東京新聞2015年7月19日)。

 The Economist(2015.7.25)のFree exchange(経済学論潮頁)では、米国のこうした最低賃金論議のほか、ドイツの旧東独地域における最低賃金の引き上げ(62%増、2015年1月導入)や英国における2020年へ向けた水準引き上げの動きを踏まえ、最低賃金引き上げ効果に関する数本の経済学論文を取り上げている。そして、各論文は、おおむね、短期的に雇用減の効果は小さいが長期的にはかなり厳しい結果を生むという見方で共通している点を紹介し、政治家の人気取り政策に警鐘を鳴らしている。

【コラム】参照すべき平均賃金は平均値か中央値か

 平均をあらわす仕方に算術平均である平均値(Mean)と高低で並べた真ん中の値をとる中央値(median)とがあり、身長の分布のような正規分布に近いものは両者が一致するが、世帯所得、賃金といった分布が片寄っているものは、どちらを使うかで大きな違いが生じる。統計の解説書籍では、まず、このことにふれるのが定番となっている(例えば、ダレル・ハフ「統計でウソをつく法―数式を使わない統計学入門 」講談社ブルーバックス、1968年)。少数の超高賃金社員がいる場合、平均値は中央値に比べてかなり高くなるので、企業の平均賃金を高く見せたい事業主は平均値を使いたがるし、低くさを強調したい労働組合は中央値を使いたがるという訳である。

 こうした事情を考慮に入れ、一般的に、平均賃金の場合は、可能な限り、中央値を使用するのが基本となっている。

 実は、最低賃金のフルタイム労働者の賃金との相対水準を求める仕方にも、平均値と対比させる計算と中央値と対比させる計算と2通りがOECDのデータベース(OECD.Stat)に掲載されている。両方の値とその差を以下に掲げた。


 平均値と中央値は賃金分布が上方に片寄っているほど平均値の方が高い値になり、従って、最低賃金レベルは、逆に、低い値となると考えられる。平均値対比と中央値対比の差が最も大きいのはフランスであり、米国もこれに次いで高い。逆に、日本は差が最も小さくなっている。こうしたところにも、日本の経済格差が決して大きいわけではないことがうかがわれ、興味深い。

 ここで取り上げたデータは、「統計でウソをつく法」の格好な例となっている。米国の最低賃金の低さを主張したいオバマ大統領は、最低賃金が平均の3割以下の低さであると主張したいだろうし、これに反対する共和党側は、4割近くの水準なので問題なしと主張したいであろう。

(2013年2月27日収録、2014年1月30日更新、コラム「参照すべき平均賃金は平均値か中央値か」追加、2015年1月15日更新、7月20日米国の最低賃金事情コメント追加、8月26日Economist記事紹介追加、11月25日更新)


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