日本では、新聞・雑誌に対する国民の信頼度が高く、その分、新聞・雑誌などマスコミの影響力は大きい。この点を、すでに、図録5215で見ているが、ここでは、対象国を増やし、また政府に対する信頼度との相対関係についても分析した。

 2005年の世界価値観調査によると、新聞・雑誌(英語ではThe Press、プレス)を「非常に信頼」、及び「やや信頼」している国民は、日本の場合、72.5%にのぼっており、図に掲げた53か国中、ベトナムに次ぐ世界第2位の高さとなっている。

 世界全体を見渡すと、途上国と儒教圏で新聞・雑誌に対する信頼度は高く、欧米先進国、中でも英語圏(英米、オーストラリアなど)では、信頼度が低いという一般傾向が見て取れる。もちろん、例外はある。途上国でもペルー、エチオピアなどは信頼度が低く、儒教圏では台湾が信頼度が低く唯一の例外となっている。

 日本、韓国を除くOECD高所得国の中で、最も新聞・雑誌に対する信頼度が高いのは、スペインの40.5%であり、これにフランスの38.5%が続いている。新聞・雑誌を信頼している人は、G8諸国など欧米先進国では、日本のほぼ半分以下であるという点は、実に、留意すべき重要事項だと思われる。

 台湾の新聞・雑誌の信頼度が例外的に低い点については、在外中国人向けメディアのサイトでこう記されている。「国境なき記者団の報告書では、台湾メディアの報道に対する信頼度はアジア環太平洋で最下位であることも明らかにした。胡教授は、台湾のメディアは一時的な視聴率を獲得するために、人騒がせな犯罪報道や所謂社会報道が多く占めていると指摘した。実際、台湾の民衆はこれらの報道は国家の発展にとって何の役にも立たないため、これらの報道メディアに対して反感を覚えることが多々あると分析している。」(大紀元2006/11/10 、胡教授とは台湾師範大学マスコミュニケーション研究所の胡幼偉教授)また同じ世界価値観調査の1994年調査における台湾の新聞・雑誌の信頼度は39.1%とそう低くもなかったので、図の低い値は調査年当時(台湾は2006年)の諸事情による影響が大きいと考えられる。

G8諸国の新聞・雑誌信頼度              単位:%、倍
  新聞・雑誌
信頼度
政府信頼度 倍率
(新聞・雑誌
/政府信頼度)
倍率
(新聞・雑誌
/組織・制度
信頼度平均)
日本 72.5 29.1 2.49 1.69
フランス 38.5 28.9 1.33 0.83
ロシア 35.9 42.9 0.84 0.87
カナダ 33.0 36.8 0.90 0.65
ドイツ 28.7 22.8 1.26 0.75
イタリア 24.7 25.8 0.96 0.55
米国 23.1 36.8 0.63 0.55
英国 13.4 32.4 0.41 0.30
(注)(資料)上と同じ

 日本の特徴は、新聞・雑誌(プレス)への信頼度が高い点に加えて、政府に対する信頼度が低いため、新聞・雑誌の信頼度の政府の信頼度に対する倍率が、2.5倍と世界の中でも最も高くなっている点である。G8諸国の数字を比較した上の表を見ても、2番目に高いフランスの1.3倍の2倍程度となっている。またG8諸国の半分以上では新聞・雑誌(プレス)より政府の信頼度の方が高い。つまり主要先進国では政府の発表はマスコミがどう報じようと国民は信じるしかないという傾向があるが、日本では、政府がどんな発表をしてもマスコミがこれを認めるかたちの報道を行わないと国民はこれをなかなか信じないという傾向があるのである。日本では報道人の社会的地位が高く、また政府がマスコミがどう報じるかを気にするのが当然のこととなっているのも頷けることである。

 日本の報道では、海外諸国と同様、事故、災害、病気、犯罪、自殺など負の社会現象が大きく取り上げられる。これは、日本では、社会を良くするためには、そのマイナス面をよく認識しなければならないといったポジティブな動機に裏づけられており、それだけに大きな使命感に満ちているように見える。これは、真実の追求というより社会改善を優先する儒学者的な気風がマスコミにあるためだと思われる(拙著「統計データが語る 日本人の大きな誤解」日経プレミア、参照)。そして、こうしたマスコミの傾向は、戦前から日本社会の底辺に広がっていた社会改善気風と通底しているようだ。「民間のすぐれた伝承者が文字をもってくると、こうした単なる古いことを伝承して、これを後世に伝えようとするだけでなく、自分たちの生活をよりよくしようとする努力が、人一倍つよくなるのが共通した現象であり、その中には農民としての素朴でエネルギッシュな明るさが生きている。そうしてこういう人たちを中軸にして戦争以前の村は前進していったのである。」これは宮本常一の代表作「忘れられた日本人」の最後の一文である。

 欧米ではマスコミの言うことをそのまま信じる者は少ない(図録5215)。それに対して、上で見たように、日本人など儒教国の国民は、「文」に対する従来からの尊重精神から、マスコミの言うことを真に受ける傾向が強い。このため、社会のマイナス面の指摘に偏りがちなマスコミの報道が、自分たちの社会に対する暗い見方を必要以上に増幅するという副産物を生んでいるのも確かであろう。そして、これが、おそらく、高い所得水準の割に日本など儒教国の幸福度が低い大きな理由のひとつになっていると思われる(図録9482参照)。

 内閣府の生活の質に関する調査では、組織への信頼の程度別の幸福感(幸福度)を集計しているので下に掲げた。これを見ると、一般に、種々の組織への信頼度の高い人ほど幸福度が高いことが分かるが、報道機関に関しては、信頼している人の幸福度が余り高くなく、また信頼している人と信頼していない人との幸福度の差が小さいという結果になっている。このデータの解釈の仕方としては、批判的な見方をする人ほど幸福感が薄く、また報道機関への信頼度も高いととらえるよりは、単純に、報道機関を信頼している人ほど社会を暗く考えてしまって幸福度も低くなると考えた方がよいだろう。


 現代日本のマスコミ人は、かつて社会の木鐸といわれた時代ほど社会改善意欲が見受けられないにもかかわらず、社会のマイナス面を暴くのには相変わらず熱心であり、結果として、国民を脅すようなかたちで生業をたてているように見えてしまう側面があるだろう。これが、国民の一部に、マスコミ嫌いを作り出す理由となっていると考えられる。

 メディアに関しては偏向報道への批判がしばしば行われる。御用新聞という言葉は政府の主張を無批判的に報道するメディアに対して用いられ、左翼新聞という言葉は、政府批判や左派的主張を無批判的に行うメディアに対して用いられ、いずれも偏向報道として批判される。日本におけるメディアへの信頼度の高さは偏向報道が多いにもかかわらず信頼度が高いものとして「国民は馬鹿だ」というような主張の根拠となる場合が多い。ところが、むしろ、偏向報道だから信頼度が高いという考え方も米国の研究者の分析ではあるようだ。

 英国エコノミスト誌(サウガト・ダッタ編「英エコノミスト誌のいまどき経済学」日本経済新聞出版社(原著2011年)第4章「偏りのある市場」)によれば、米国でも日本と同様に政治家が偏向報道への批判を繰り返しているようだ。2008年大統領選挙では、オバマ大統領は右よりテレビ局であるFOXテレビを、また、共和党指名の副大統領候補だったサラ・ペイリンはニューヨーク・タイムズなど「リベラル・メディア」を偏向報道と言い立てていた。

 ところが、ハーバード大学の2人の経済学者は有名な論文の中で「人々が正確性だけを重視すると考えるのは甘すぎるのではないかと書いている。そこで両氏は、新聞の読者は読んだものによって自分の信念が裏づけられることを好むと仮定し、その結果をモデル化した」。また、シカゴ大学ビジネススクールの2人の経済学者はこれを実証的に検証した。それによれば、郵便番号別の地域の政治傾向のデータによって「購読層の政治的構成を踏まえ、サンプル中の各新聞にとって利益が最大になる偏向度が計算できるのだ。両氏はこの利益が最大になる偏向度を、各新聞の報道の実際の偏向度と比較した。すると両者には驚くほどの一致が見られた。平均的な傾向として、各新聞は両氏が利益を最大とみなした偏向度から、右にも左にもずれていなかったのだ。これには商業的にもっともな理由がある。彼らのモデルは、この「理想の」偏向レベルを少しでも外れると発行部数が大きく落ち込み、利益が損なわれることを示していた」。エコノミスト誌によれば「偏向報道はメディアの機能不全の兆候と受け取られる。本当は健全な競争の兆候かもしれない」というわけである。話はここで終わらない。両氏は偏向を決めているのはオーナーなのか需要なのかにまで研究を及ぼす。米国では複数の新聞をもつ大手メディア企業があるが、同じオーナーの新聞2紙とこれとは別にランダムに選んだ新聞2紙とを比べ、相関を調べた結果、「偏向へのオーナーの影響は無視していいということだ。読者の政治的見解は、計測された偏向の約5分の1の要因になっていたが、オーナーについてはゼロに等しかった。」つまり、ジャーナリストもメディア・オーナーも、偉そうなことを言ってはいても、自分の書いたものが売れればよいという行動パターンなのだとされているわけである。

 これは市場経済精神の徹底した米国だからであり、儒教の影響に強い日本では当てはまらないという議論もあろう。ただ、日本近代のジャーナリズムの当初からの特徴として時流に対する柔軟性があげられるという指摘もある。鶴見俊輔は『転向』上巻の序言「転向の共同研究について」で転向と非転向についてこう言っている。「日本思想の流れに武士的なものと庶民的なものとがあるように、転向観にも同じ二つのタイプがある。武士的転向観は完全な非転向を模範として説くことに終始する理想論であり、その理想的非転向の模型からの逸脱として、現実個々の転向例を断罪する。この考え方は、日本の学者の系譜、進歩的政治家の系譜をつらぬき、共産党にひきつがれているものと見てよい。庶民的転向観は、流されてゆくだけが人生だと見て、転向だけがあると考える現実主義に根ざし、非転向というものは偽善者のポーズにしかすぎぬとする。この考え方は、実業にたずさわる人々の系譜、ジャーナリストの系譜をつらぬいている。」日本のこれまでの転向論議はこの「二つのタイプの交替と無原則な折衷」であったのだが、そうした状況を克服し、「転向、非転向の時点と特徴をはっきりと記述する習慣」をつけようという宣言である。

 同様の対比は、江戸町人の子孫である長谷川如是閑の自叙伝の中で田舎武士と江戸っ子を比べている次のような叙述にもうかがわれる。「何事をも茶化したがる都会人的遁避主義のお陰で、明治時代になっても、都会の江戸っ児は、時代の歴史の当面に立つことを避けて−−というより立ち得ないで−−ただ横合いから、批判の白眼で時代を睨んでいるのに留まったのである。だから明治時代に幅を利かしていたものは、みな地方での人々で、いわゆる「田舎もの」ばかりだった。江戸っ子で世に聞こえていたものは、今いうインテリと小説家だけだった。殊に小説家は江戸生れに独占されていた。これは小説には必ずなくてはならぬ会話の直写が「田舎もの」にはどうにもならなかったからであった。」(長谷川如是閑「ある心の自叙伝」講談社学術文庫、原著1950年、p.14)

 先の鶴見俊輔の文章は、しまね・きよし「転向ー明治維新と幕臣」三一新書(1969年)からの孫引きである。しまね・きよしはこの本の中で、ジャーナリズムの思想として、幕臣出身で1968年に日本初めての新聞の1つを発行し、維新政府を批判して逮捕され入獄したり、逆に御用新聞と批判された東京日日新聞(大阪毎日新聞と合体して現毎日新聞)の主筆をつとめたりし、軍人勅諭の起草者との説もある福地桜痴(福地源一郎)を取り上げている。政府の中でも維新のときに最初から反幕だった長州はよいが幕府を裏切った薩摩にはアンチをつらぬき、北海道開拓使払い下げ事件の時には、「攻撃目標が薩摩閥であったので、はっきりと反政府の立場にたって攻撃をおこなった。福地は『東京日日新聞』にその反対論を掲載しただけではなく、それまで論争していた急進的民権家とともに壇上にたって演説もおこなった。福地の政府攻撃は急進的民権家よりも激しくさえあった。しかし、福地はこの払い下げが取り消しになるとともに、政府と疎遠になった時期をとびこして、ふたたび振り出しに戻って政府と密着する」(p.173)。最後は、伊藤博文と約束していたと考えていた東京日日新聞の官報化が挫折し、官報の発行で読者数の急減に見舞われると、再度反政府の立場に戻ったが筆は絶ったという。なお、雅号の桜痴は吉原の愛妓桜路に溺れたのを記念するためだったという(中山太郎「売笑三千年史」ちくま学芸文庫、p.618)。敗残の幕臣の高いプライドと屈折した心情が現代のジャーナリストにまで受け継がれているといえよう。その結果、意図したわけではないかもしれないが、偏向報道も生じるし、また時流に素早く対応した論調ともなるのであろう。これが結果として国民感情にもよく連動し、国民から信頼を得ることになったのかも知れない。

 ということで、何故、日本だけで新聞への信頼度がこのように高いのかをジャーナリズムの発生からたどってみようということで調べてはいるものの、釈然とした理由はなお見つからないというのが現状である。今のところ、私見では、もともと日本人は中国や欧米と異なり国家という存在に疎遠な民族なのであるが、明治維新とともに、外国への対抗上、比較的強力な国家ができてしまい、生活心情的に困ったなと思っていたところに、国家に密着したり反対したりするものの国家を実は何とも思っていないジャーナリズムという存在が現れたので、待ってましたとばかりに、これに妙に親近感をもったというのが日本人に特有の新聞・雑誌への高い信頼の理由なのではなかろうか。

 図で取り上げた国は、信頼度の高い順に、ベトナム、日本、ヨルダン、韓国、マレーシア、インド、香港、中国、南アフリカ、ガーナ、マリ、インドネシア、ウルグアイ、メキシコ、ブルガリア、ザンビア、ブルキナファソ、グアテマラ、モロッコ、ウクライナ、チリ、コロンビア、タイ、ブラジル、スペイン、ルーマニア、モルドバ、フランス、ノルウェー、ロシア、ポーランド、アルゼンチン、スイス、キプロス、フィンランド、カナダ、スウェーデン、オランダ、トルコ、グルジア、ドイツ、イラン、スロベニア、ニュージーランド、イタリア、エチオピア、米国、セルビア、トリニダードトバゴ、ペルー、台湾、英国、オーストラリアである。

(2013年10月20日収録、2014年8月19日内閣府調査引用・コメント、2015年1月29日偏向報道や福地源一郎に関する記事を紹介、1月30日高い信頼についての私見追加、8月13日長谷川如是閑引用追加、8月18日同正宗白鳥からの孫引きから原著引きへ)


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