年末恒例のNHK紅白歌合戦の平均視聴率の推移を示した。1989年以降は紅白歌合戦自体2番組に分かれたので2部の方の平均視聴率で判断した。

 1963年には81.4%とピークの値をしるしたが、その後も、1984年までは80%前後の高い値を維持していた。国民の多くが年越しとともにこの番組を見ていたといえる。紅白歌合戦の視聴率は他の高視聴率番組と比較しても図抜けた高さをもっていた(図録3964a)。

 こうした状況が変化したのは1985〜1990年の時期であった。平均視聴率のレベルは70〜80%の水準から50%前後の水準へと急落したのである。この時期はいわゆるバブル経済が頂点に達しようとしていた時期である(図録5075(株価)、図録2173(塩分摂取量)、図録2670(ディスコなどバブルの象徴))。日本人は浮かれてしまっていて年末に家族そろって紅白歌合戦という雰囲気とは疎遠になったのであろう。

 それでは、バブル崩壊で、再度、紅白がよく見られるようになったかというとそういう訳ではない。1990年代はほぼ50%前後の水準で推移、2000年代に入ると40%前後へと低下するなど長期的に視聴率は低迷した。

 2010年代に入るとやや回復傾向が認められ、2013年には44.5%と45%水準にまで戻している感じである。2011年の東日本大震災が家族の絆を再確認する効果をもたらした影響かもしれない。しかしこれも一時的現象だったようであり、14年から低下傾向となり15年には39.2%と過去最低となっている。

 参考までに以下にNHK紅白歌合戦の歩みを年表風にまとめた。

NHK紅白歌合戦の歩み
年次 主な出来事
1945 前史 大みそか、紅白歌合戦の原型となる「紅白音楽試合」がラジオで放送(GHQの検閲で「合戦」という好戦的とみなされた言葉を禁止され「試合」に)
1951 1 1月3日、男女7組ずつの出場、ラジオ放送でスタート。会場はかって存在したNHK東京放送会館(千代田区内幸町)のスタジオ
1952 2 1月3日開催。松島詩子が交通事故、急きょ越路吹雪が代打出場
1953 3 1月2日開催。2月の放送開始に向け、テレビカメラも設置
  4 この年2回目の開催。この回から大みそか開催、テレビ中継始まる。会場は日本劇場に
1954 5 美空ひばり初出場。トリは渡辺はま子と霧島昇
1955 6 民放が同時間帯に歌合戦を放送
1961 12 坂本九、大ヒット曲「上を向いて歩こう」で初出場
1964 15 カラー放送開始
1963 16 視聴率最高値の81.4%を記録
1966 17 ビートルズ来日でグループサウンドブーム。ブルー・コメッツ初出場
1973 24 美空ひばりが出場を辞退、島倉千代子がトリに。会場がNHKホールに(現在まで継続)
1975 26 ブラジルへ衛星中継開始
1978 29 初のポップス系トリ。沢田研二「LOVE(抱きしめたい)」、山口百恵「プレイバックPart2」
1981 32 日本野鳥の会による客席投票のカウント始まる
1984 35 都はるみ「引退宣言」でトリ
1985 36 小林幸子、十二単で歌う(この頃から衣装が派手に)
1989 40 2部構成始まる。40回記念で4時間25分に拡大
1992 43 この年から2009年まで小林幸子と美川憲一との派手な衣装対決が紅白恒例の話題にひとつとなる
1993 44 藤山一郎さんの死去で、「蛍の光」指揮は宮川泰さんに
2005 56 総合司会にみのもんた起用、紅白の「民放化」のあらわれ
2006 57 フィナーレ「蛍の光」指揮は3代目、平尾昌晃さんに
2007 58 AKB48が初出場
2010 61 NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」主演松下奈緒が紅組司会。以降、朝ドラ又は大河ドラマの主演女優の司会が定番化(民放化から離れ、NHK色強める)
2011 62 東日本大震災被災地を歌で元気づけるため東北出身の歌手ら登場
2012 63 美輪明宏「ヨイトマケの唄」で初登場
2013 64 北島三郎、「まつり」で大トリ、紅白から卒業
2014 65 サザンオールスターズが特別枠で31年ぶりに生中継サプライズ出場
(資料)東京新聞2014年12月22日など

(2014年8月8・9日収録、12月22日年表追加、2015年1月2日更新、2016年1月2日更新、2017年1月2日更新)


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