出生率の地域構造の変化を探るため、戦前と最近の合計特殊出生率の都道府県コード順に並べた図を掲げた。最近の値と動向は図録1550(全国)、図録7255(都道府県)、また、青森と沖縄の戦前戦後比較は図録7300参照。

 これを見ると、戦前と戦後では、全体に出生率が低下するとともに、東高西低から西高東低へと地域傾斜が逆転したことが明らかである。

 5年あるいは10年おきに東西傾斜の程度を回帰直線の傾きとして算出した値(北海道と沖縄の回帰直線上の値の差)の時系列変化を追ってみた(第2図)。これを見ると戦前から1960年にかけて急速に東高西低の東西傾斜から全国的平準化が進み、その後、1985年〜2005年には0.1台と西高東低の傾向となり、最近、2005年から2010年かけて、これまでの低下傾向から反転して、全国的に出生率が回復する中で、地域構造的には傾きが0.271へと2倍近くとなっており、一層西高東低の傾向が顕著になりつつあると言わざるをえない。

 こうした動きをどのような理論で統一的に説明できるかが問われている。

 なお、各地域ブロックごとの特徴としては以下の点が指摘できる。

東北地方は戦前は岩手を除いて北から南へ出生率が低くなる傾向があったが、現在は、宮城と秋田の出生率が相対的に低い点が目立っている。宮城は県都仙台が東北の中枢都市として成長したという要因が考えられるが、秋田の低さは何故だろう(青森の動きは図録7300参照)。
北関東は特に言うべきことはないようだ。
関東では東京が突出して低い出生率である点は戦前も現在も変わりがないが、戦前はやや神奈川が東京に近い特徴だったに過ぎなかったのに、現在では、神奈川だけでなく埼玉、千葉を含め南関東全体が大都市圏の構成地域として出生率が低い点で目立っている。
北陸地方は戦前はかつての大都市金沢を抱える石川でやや出生率の低さが特徴的だったが、現在では、目立っていない。
中部地方の中では、戦前は、長野と愛知が出生率の低さでやや目立っていたが、現在は、ほぼ同等の水準。
戦前は、関西圏の大阪、京都、兵庫の出生率が全国の中でも目立って低かったが、戦後は、奈良も加えて、大都市圏ならではの相対的に低い出生率となっているが、戦前よりは低さが目立っていない。
大阪は戦前は全国最低の出生率で目立っていたが、最近は、京都、奈良より高く、それほど出生率の低さが際立っている訳ではない。
中国地方、九州地方の中では戦前も戦後も、それぞれ、岡山、福岡の出生率が低い。
四国地方では高知のみが戦前は出生率が低かったが、現在では、関西都市圏に組み込まれた徳島も出生率が相対的に低い。
沖縄は戦前は大阪を除く全国で最低出生率だったのが、戦後は、ながらく最高の出生率が続いている(図録7300参照)。

 出生率が東高西低であった戦前の状況が近代以前、江戸時代までさかのぼれるかというとそうではないようだ。宗門改帳などを使った歴史人口学によれば、江戸時代は東北の方が長野など中央日本、九州など西南日本より出生率(完結出生数)が低かったという(速水融「歴史人口学研究―新しい近世日本像」藤原書店、2009年、終章)。すなわち江戸時代には近年と同様西高東低だったようだ。

 東北日本では早く一人前の働き手を継続的に確保するため初婚年齢が低かったが、厳しい自然の前で多くを養うことはできないため、結婚後の奉公、早期出産停止、間引きなどを通じて、出産数は抑制された(二本松の事例では完結出生数4人以下)。一方、自然に恵まれ、人口を流出させる都市も多かった中央日本や西南日本では、結婚前に奉公したりしていて、初婚年齢は高かったが、結婚すると出産は多かった(尾張・美濃の事例では完結出生数5.9〜6.5人)。西南日本では婚外子も多かった。西南日本では増加人口の流出させる都市も多くなかったため土地を得られないまま生涯結婚しない者も結構いたという。

 北関東、東北などの東日本では明治以降人口の増勢が顕著となった(図録1152、図録7242)。自然災害への対応力、内陸輸送など交通・商業の発達、養蚕などあらたな稼得機会の増加などが理由とされる。もともと初婚年齢は低かったのであるから、出産抑制をとりやめるだけで出産数は激増したに違いない。戦前の東高西低の構造にはこうした背景が影響しているのであろう。

(2014年6月16日・17日収録、7月29日回帰直線の傾きの算出法改訂、2016年1月17日2014年の参考値付加)


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