納豆は東日本でよく食べられ、西日本では消費が少ないということはよく知られている。そこで地域別の納豆消費額のグラフを作成した。

 確かに東高西低の傾向が認められるただし、九州地方については西日本の中でもかなり消費量が多いことも目立っている。

 納豆消費が最も多いのは福島市であり、これに水戸市が続いている。水戸は水戸納豆というブランドを有し、生産地としても有名である。逆に消費が最も少ないのは和歌山市であり、これに大阪市が続いている。

 健康ブームで納豆消費が西日本でも広がりかつてほど地域差はなくなったとされる。確かに下表の通り、バラツキ度をあらわす変動係数(標準偏差÷平均値)は1965年の0.894から2004〜06年平均には0.274へと大きく縮小している。もっと分かりやすく表現すると、この40年で上位3位の県庁所在市の下位3位に対する消費倍率は20.8倍から2.8倍へと7分の1以下になっている。

縮小する納豆消費額の地域差
  変動係数 上位3位平均
/下位3位平均
(倍)
1965年 0.894 20.8
1980年 0.703 11.5
1994年 0.492 5.8
2004-06年 0.274 2.8
(資料)家計調査年報

 全国納豆協同組合連合会のHPでは「なぜ西日本では納豆を食べない人が多かったのですか?」という問いに対して「気候が温暖で、瀬戸内海などから魚がいつでも手に入る西日本では納豆を作る習慣がなく、それが現在でも「納豆を食べない」要因となっていると考えられます。」と答えている。

 しかし、こうした理由であると単純に東高西低でなく、近畿地方より九州地方で納豆の消費がかなり多い点を説明できない。

 むしろ、縄文時代には稲作以前の焼畑農耕などにもとづく納豆ないし類似の食品の消費が全国的に広まっていたが、その後、海外から入った弥生人が北九州から近畿にかけて新しい食文化をもたらし、その結果、近畿・中四国では納豆消費が少なくなったとした方が説得的のように思える。

 日本の西日本から中国・雲南、アッサムにかけての照葉樹林文化地帯は、モチやチマキ、オコワなどのモチ性食品、味噌・納豆など大豆発酵食品、飲茶慣行、繭からの絹づくり、麹を使った酒造、歌垣の伝統などの特有の文化要素が成立した地帯として知られる(佐々木高明「日本文化の多重構造―アジア的視野から日本文化を再考する 」小学館、1997年)。大豆消費の国際比較及び納豆のアジア分布については図録0432参照。

 中尾佐助「栽培植物と農耕の起源 」(1966年)は世界の農耕文化発生地の1つである東南アジアの根菜農耕文化でヤムイモ、タロイモ、バナナにもとづく農耕文化が成立したとし、それが温帯にのぼって照葉樹林文化を生んだとした。温帯では気候条件上タロイモの一種であるサトイモが主となるものとされた(後に中尾はむしろ照葉樹林文化の影響で根菜農耕文化が生まれたとする新仮説を提出したが)。

 この仮説に刺激されて佐々木高明はモチ性食品の成立由来を根菜農耕文化に求めている。「もともとイモ文化の中には、儀礼食としてイモをつぶして食べる慣行が古くからあり、それを御馳走とみる傾向があった...ネバネバもしくはグチャグチャしたものを好むという傾向を生み出す基礎となり、モチをいう特殊な食品を生み出す背景となったのではないか」(上山春平・佐々木高明・中尾佐助「照葉樹林文化 続―東アジア文化の源流 (2) 」中公新書、1976年)。ネバネバした糸引き納豆もこのため日本で好まれているというわけである。

 縄文時代に我が国に伝来したとされるサトイモに関しては、東北地方に芋煮会といった慣習が残るほか、滋賀県蒲生郡の日野神社のイモクラベ祭りでは収穫したサトイモを竹にくくりつけ、大小を競い、翌年の豊凶を占う神事が残っていたり、南九州の村々で餅とサトイモの双方を小正月の供え物にするなど、稲作以前からの我が国古来の農耕文化の主要要素と考えられている(佐々木高明1997年)。

 そうだとすると納豆消費の多い地域はサトイモ消費も多いのではないかという点が気になる。そこで納豆消費とともにさといも消費の地域分布を図に重ねてみた。

 納豆消費とさといも消費は微妙にシンクロナイズしていると思われる。全体としての東高西低傾向、近畿・中四国で消費が少なく、九州で多いという点や県庁所在都市の凹凸が一致する場合が多い点にそれがあらわれている。芋煮会のさかんな東北では全体として、あるいは長野では、むしろ納豆と比べて消費自体は余り多くはないが、これはサトイモの品種によっては低温を嫌うものがあるためと思われる。

 1965年当時の地域分布を調べてみると九州地方の納豆やさといもの消費は全体としては関西・中四国地方と比べそう違いはなかった。ただ熊本だけは例外で納豆もさといもも東日本並みに消費が多かった(今でも熊本が最も多いが、当時は突出していた)。その後、熊本の消費レベルが九州全体に広がって、現在の構造が定着したのである。東日本の出店が熊本にあり、九州は熊本に導かれるかたちで関西からの影響から脱して本来の姿に戻ったというように見える。

 なお、ソースの消費量は納豆やサトイモとは逆に近畿・中四国で多い点については図録7740参照。

 図録7722では、納豆、さといも、パン、ソースの消費の地域分布を地図上で示し、日本人の人体や言語の地域構造の例もあげながら、日本文化の重層構造の成立過程の一端について概観したので参照されたい。

(2008年8月3日収録、8月28日1965年当時地域分布コメント追加)


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