日本人の好きな料理の第1位はすし(寿司、鮨)である(図録0332)。また近年では、健康志向のひろがりにより回転寿司をふくめ世界中にすしブームが広がりつつある(韓国は図録0331、アジアは図録8035)。

 そこで、日本の中でも、どの地域で「すし」が好まれているかを図録にした。元データとした家計調査では、すし(外食)とすし(弁当)の2項目の家計支出額(消費額)が計上されているので、両者の都道府県所在都市別の集計をグラフにした。寿司の都市別の消費額(特に外食)については他の食品より毎年の変動が激しい。これは回転寿司チェーンの地域展開の影響などによるものだと思われる(ページ後段の表参照)。そこで通常の3カ年の平均ではなく10カ年次の平均で比較した。

 すし消費の地域性を理解するには、すしの歴史を簡単に振り返っておく必要がある。

 日本のすしの原形は、淡水魚などを蒸した米とともに長期間塩で漬けこんで乳酸発酵させた保存食品、ナレズシであり、東南アジアや中国から伝わり、日本に古来より存在している。現代に残っているナレズシとしては琵琶湖湖畔の「近江のフナずし」が有名である。この場合、発酵しビチャビチャになった米飯部分は捨てて魚肉部分だけ食べる。

 タイでは、2011年、7月から上流で降り続いた大雨による洪水により、首都をとりまく広い範囲で冠水し、10月に入って、自動車・電機メーカーなど日系企業が相次いで操業停止に追い込まれた。東南アジアでは、例年、雨期から乾期への変わり目(タイでは10月)は雨期末の雨による洪水のシーズンであり、今回の被災は洪水の程度が大きかったに過ぎない。タイには「水がひけばアリが魚を食べ、洪水の時は魚がアリを食べる」ということわざがある。世界の中で東南アジアで雨期から乾期にかけて大量に捕獲される淡水魚の保存方法として魚醤とともにナレズシが発生したという説が有力である。

 室町時代には、ナレズシでは食べなかった飯を食べるものにしたナマナレ(生成)というすしが発明された。アユ、ウナギ、コイなどの魚やタケノコなどの野菜を飯と塩だけ使い短期間の発酵で酸味を帯びさせた食品である。さらに塩漬け魚に糀や野菜、あるいは酒を加えることによって、発酵を早めた改良型のナレズシが生まれた。北海道から北陸日本海側にかけてのイズシ(秋田のハタハタずし、北陸のカブラずし)もその1つである。

 そして、江戸時代にはいると、酢を飯にあてる即席ズシが開発され、当初は邪道とされていたが、18世紀以降、江戸から流行し、早ズシの主流となる。酢飯を箱に詰め、その上にすし種の魚貝をのせ、落しぶたをして上からおもしをかけて数時間押すという箱ずし(押しずし)が考案され、上方名物となった。また、江戸中期には江戸前の魚が珍重され、19世紀はじめには、ナレズシ、押しずしをファーストフード化した食品として、酢飯に刺身をのせた握りずしも登場した。それでも、最初は魚介類はすぐに悪くなるので、醤油漬けのすしねたを使っていたといわれる。

 江戸時代の握りずしは、超高級すし料亭と路上の屋台店の両方で商われていた。屋台では、あらかじめすしを握って並べておき客はそこから選んで好きなすしを食べたらしい。そして料亭型すし屋は屋台ブームを取り入れ店内に屋台スペースをつくり、現代のカウンター方式のすし屋へと発展したという。回転寿司は、握りずし発祥時の屋台方式の現代的再現だといえる(日比野1999)。

 幕末の風俗誌である「守貞謾稿」(1853(嘉永6)年、1867(慶応3)年までの追記あり)によれば、江戸で登場した握りずしは江戸では京阪風の箱の押しずしを駆逐し、江戸の握りずし、京阪の箱ずしというパターンが成立した。味づけも東西で次のように異なっていたという。「京阪の鮨酢味強くすを良とす。近年、江戸の製酢味はなはだ淡し。鮨の本意を失す。」(喜田川守貞1853、p.295)なお、当時の京阪と江戸の鮨の対比については【コラム3】参照。

 江戸時代以降、全国各地で、ナマナレの各種改良型に加え、巻きずし(関東のノリ巻き、関西の太巻き)、棒ずし(京都のサバずし)、ちらしずし、いなり寿司(名古屋起源が通説)など多種多様な寿司が新たに開発される中、基本的には、明治から大正にかけて「関東の握りずし、関西の箱ずし」という状況が続いていたといわれる。

 すしといえば、活きのよさがいのちの握りずし、あるいは握りずしを中心とする江戸前寿司という考え方が食にうるさい文化人などの発言もあって普及していった。食通文化人の代表格である魯山人(1952〜53)はこう言っている。「江戸前寿司の上方寿司と異なるところは、材料、味つけおよび技法の相違にある。これはいうまでもないが、まず第一は生気のあるなしである。江戸前寿司は簡単で、ざっくばらんな調理法を用い、お客の目の前で生きのいいところをみせ、感心させながら食べるところに特色がある。それに、まぐろの脂肪がすこぶる濃厚でありながら、少しも後口に残らぬという特徴があって、まさに東京名物として錦上花を添えている。このごろ京阪流箱寿司は、上方の何処の地方にもはやっているが、なれ寿司を基調とする調理に意気のない野暮ったさが、即興に生きる江戸ッ子には、とんと迎えられる様子もない。わたくしは当然のことと、あえて訝しく思わない。(中略)なにはともあれ、大阪の箱寿司が握りに圧倒されたのは、寿司食いの勝ちで、寿司屋の負けである。」

 すしはもともとは保存食品だったので、すし屋(握りずしの外食店)であっても、長くすし弁当の精神を引き継いでいた。東京江戸橋「吉野鮨」主人吉野f雄(ますお)によれば、「すしは、たとえ握りずしでも、馴れる時間が必要だ。握るそばから食べていくのは屋台店のことで、一軒の店をもつ以上、出前で配達して行った、ちょうどそのときにうまくなければいけない。このごろのように、ちゃんと一軒の店をかまえていながら、握るそばから食べるナンて風は、大正十二年の東京大震災以後の話だ。あれで屋台店がなくなって、一軒の店をかまえたのはよいが、屋台店の風まで店にもちこんじゃったのだ。(中略)久保田万太郎がすしの赤貝をのどにつめて死んだ由。昔はあんな粘るものは必ず酢(塩をきかせた)でサッと洗ったものだが、近ごろは新鮮さを大切にしすぎて、その手続きをしないから、あんな悲劇がおこる。」(篠田1970)

 戦後のコールドチェーンの発達により生イワシまでもが寿司ネタとなる状況を生んでおり、保存食品でありながら保存食品を脱した食味を求めるのが日本におけるすしの本質であるとすれば執拗なまでに究極の姿を追求しているといえる。

 日比野(1999)は、こうしたすしの歴史を総括し、飯を食べるナマナレが「すしの第一革命」、酢の使用による早ズシが「すしの第二革命」、そして、各地に根づいたスシ文化に対する握りずしの全国展開を「すしの第三革命」と呼んでいる。握りずしの全国展開は、@明治政府による東京文化の推奨、A関東大震災や戦災によるすし職人の地方流出、B握りずしのみを除外とした飲食業営業禁止(1947年飲食営業緊急措置令)を通じて進んでいったとされる。

 こうしたすしの歴史を踏まえると現在のすしの地域分布がよく理解できる。「すし外食」は、回転寿司をふくむ握りずしの消費が中心であるため、「すしの第三革命」で全国展開したとはいえ、握りずしが開発された関東以東でなお消費量が多い。明らかに東高西低の傾向が見て取れる。第1位都市は、関西文化圏に属する金沢であるが、これは石川県民がそもそも魚が好きであり(図録7239)、金沢では高い消費水準を背景に日本料理店が発達しているからだと考えられる(図録7805)。

 一方、持ち帰り寿司を含む「すし(弁当)」の方はというと、京阪神が最も多く、以東、以西に離れるにつれて、山のすそ野のように消費額が少なくなる傾向が明らかである。箱すし(押しずし)の文化中心が京阪神地方にあったことがすし弁当の消費パターンに大きく影響しているといえよう。

 この点をより分かりやすく理解するため、以下に、すしの外食と弁当の消費額の散布図を作成した。これを見れば、すし(外食)がすし(弁当)に対して相対的に多い都市が関東以東と札幌、仙台といった転勤族が多い地方拠点都市に多く、逆に、すし(弁当)がすし(外食)に対して相対的に多い都市が、関西の諸都市に多いことが分かる。前者は「握りずし文化圏」、後者は「箱ずし文化圏」と呼ぶこともできよう。扇の要の位置にあるのが金沢市であり、両者の性格をあわせもっている点に特徴が求められる。



寿司好き都市の変遷
順位 2000〜02年平均 2004〜06年平均 2008〜10年平均 2011〜13年平均
すし(外食)の上位10都市 
1位 甲府市 金沢市 金沢市 岐阜市
2位 札幌市 川崎市 宇都宮市 宇都宮市
3位 金沢市 宇都宮市 名古屋市 金沢市
4位 宇都宮市 奈良市 岐阜市 名古屋市
5位 名古屋市 東京都区部 甲府市 静岡市
6位 東京都区部 富山市 さいたま市 福井市
7位 福島市 長野市 神戸市 札幌市
8位 浦和市 北九州市 奈良市 鹿児島市
9位 富山市 さいたま市 東京都区部 浜松市
10位 仙台市 仙台市 福井市 千葉市
すし(弁当)の上位10都市 
1位 京都市 京都市 広島市 静岡市
2位 名古屋市 名古屋市 和歌山市 金沢市
3位 和歌山市 大津市 神戸市 名古屋市
4位 金沢市 奈良市 京都市 京都市
5位 高知市 神戸市 徳島市 高知市
6位 大阪市 金沢市 名古屋市 浜松市
7位 富山市 徳島市 高知市 和歌山市
8位 大津市 高知市 大阪市 奈良市
9位 神戸市 和歌山市 奈良市 堺市
10位 静岡市 大阪市 金沢市 大津市
(資料)家計調査

 上には、3カ年平均の上位消費都市がどう移り変わってきたかを示す表を掲げた。順位の変動がかなり激しいことが分かる。すし(外食)の方で4期連続10位以内は2市(金沢市、宇都宮市)だけであり、すし(弁当)の方で4期連続10位以内は5市(和歌山市、京都市、名古屋市、高知市、金沢市)だけとなっている。回転寿司チェーンやすし弁当チェーンの地域展開の影響があるのであろうが、その他、偶然や地域的ブームなども関係しているのであろう。寿司好きは、しばしば、新聞等が話題として記事にするが、かつては山梨(甲府)が取り上げられ、最近は岐阜が取り上げられた(コラム参照)。いずれも内陸部である点、また突如1位にのし上がる点で共通性が感じられる。

*参考文献

・喜田川守貞(1853)「近世風俗志―守貞謾稿 (1) 」 岩波文庫、原著1853(嘉永6)年、1867(慶応3)年までの追記あり
・日比野光敏(1999)「すしの歴史を訪ねる 」岩波新書
・吉野f雄(1998)「すし」(平凡社大百科事典第2版)
・篠田統(1970)「すしの本 」柴田書店(再刊、岩波現代文庫、2002年)
・北大路魯山人(1952〜53)「握り寿司の名人」(『魯山人の食卓 』角川春樹事務所、1998年)

【コラム】山梨県民はすしがお好き?

 毎日新聞が「追跡・発掘:山梨県民はすしがお好き?「海へのあこがれ」根底に」という記事を引用した(2012年06月16日地方版)。上記データでは甲府市民は全国第3位のすし(外食)消費レベルとなっており、その理由を探れるという点からも興味深い。

 ◇「無尽文化」が外食誘う 人口10万人当たりのすし店数、日本一

 海がない山梨県では海産物はとれない。にもかかわらず、国の統計によると、人口当たりのすし店数が全国1位だ。山梨ならではの食技法まであり、全国一すしを愛する県民と言っても過言ではない。それほどまでになぜ山梨県民はすしを好むのか、探ってみた。【春増翔太、屋代尚則】

 「山梨はすし店が多い」。そんな話をよく耳にする。甲府市中心部を歩けば、わずか100メートルの間に5、6軒が並ぶ。そこで、総務省統計局の11年度経済センサスと10年国勢調査を基に、各都道府県ごとのすし店数を算出してみた。

 その結果、人口10万人当たりのすし店数は山梨県38.1軒。2位の石川県は33.5軒だ。山梨県は最下位の高知県(10.9軒)の3.5倍で、単純に考えれば、山梨県民は、高知県民の3.5倍の頻度ですし店を利用しなければ成り立たないことになる。

 「家族での食事や祝いの席、法要。いろいろな場面で利用してもらっています」と話すのは、県内すしチェーン大手「若鮨(わかずし)デリカフーズ」の依田直巳・店舗運営部長。同社の店では、週末になると子供の誕生日会や還暦祝い、退職祝いなどの予約が増える。「山梨の食文化には、『祝いの席で必ず食べるもの』があまりない。だから、すしを食べる機会が多いのでは」。依田部長はこう分析する。

 山梨学院短大の松本晴美教授(食生活論)も「幼少期に良い雰囲気で食べることが多いすしを、大人になってからも好む傾向がある」と指摘する。加えて、山梨独自の「無尽文化」が外食を盛んにしているという。

 ではなぜ「外食=すし」なのか。依田部長と松本教授は「海へのあこがれ」をそろって挙げる。海がない山梨で、海産物は貴重品だった。塩漬けマグロが貴ばれ、あわびは煮貝として名産になった。

 08年に企画展「甲州食べもの紀行」を開いた県立博物館(笛吹市御坂町成田)の植月学学芸員によると、江戸時代から山梨ではすし屋が多かった。当時は、塩漬けなどで加工された魚だった。海産物は、明治時代までは鮮度を保つのが難しく高級品だったが、その後の流通の発達で気楽に食べられるようになり、更に好まれるようになったという。

 山梨では古くから、握りずしに、しょうゆベースのたれを煮詰めた「ツメ」を付けるのが一般的だ。スーパーの総菜売り場にも今も、ツメを塗ったすしが並ぶ。「鮮度の良くない魚しか来なかった時代の工夫です。そこまでしてでも鮮魚を食べたかったのでしょう」と松本教授は指摘する。

 創業1897年のすし店「魚そう本店」(甲府市中央4)3代目社長の小沢宗一さん(56)によると、静岡から塩漬けして運んだマグロの塩分を調和するために甘いツメを塗ったという説もあるという。「流通が発達して鮮度の良い海産物が入るようになった今でも、当時の工夫が食文化として残っているのですね」

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 ◇10万人当たりのすし店数◇

 1位 山梨県38.1
 2位 石川県33.5
 3位 東京都32.7
45位 鳥取県13.8
46位 沖縄県11.3
47位 高知県10.9
   全国平均22.5

【コラム2】 岐阜市民はすしがお好き?

 日経MJの2015年1月1日号の個性キラリ私の街「海はなくてもすしが好き」と題された記事を引用する。長期データではそう上位ではないが、2011〜13年平均のデータで岐阜市が1位に躍り出たので取り上げられたものである。

 日本食の代表格でもあるすしの消費は意外にも海産物が豊富に取れる北海道や北陸ではなく、中部地方の岐阜市が1位になった。外食好きとされる市民性に加え、隣接する愛知県内には酢やしょうゆメーカーなども多く、すし文化が昔から根付いている点も消費量を後押ししているようだ。(中略)

 岐阜県鮨商生活衛生同業組合(岐阜市)によると「外食好きの市民が多く、記念日などではすしを食べる習慣が根付いている」という。実際、家計調査でも岐阜市の12年の外食にかける年間消費額は22万1296円と全国平均よりも4割多くなっている。

 岐阜市は2位の宇都宮市同様、海に面しておらず、歴史的に海産物が重宝されていたという点もすし好きな市民性を育んだのかもしれない。今後もハレの日の外食として、内陸部のすし店はにぎわいを見せそうだ。

【コラム3】江戸末期における東西のすし

 幕末の風俗百科事典ともいうべき「守貞謾稿」は、著者の喜田川守貞が大阪生まれで30歳で江戸に移って江戸の風俗を研究したこともあり、京阪と江戸との対比がちりばめられているのが特徴だが、振り売りの「鮨売り」の項で、振り売りだけでないすし一般についても東西の対比を分かりやすく説明しているので以下に引用する(喜田川守貞1853、p.293〜295)。江戸では馬鹿高い鮨を売った者がお縄になったことがあるといった興味深いエピソードも含まれている。

鮨売り

 三都ともに自店、あるいは屋台見世にてこれを売るあり。ただ京阪にこれを巡り売る者これなし。江戸にても、あるひは童子筥に納れてこれを肩ぎ、あるひは御膳籠等を担ぎ売るものもあり。初春には専ら小はだの鮨を呼び売る。

 因みに云ふ、京阪にては、方四寸ばかりの箱の押しずしのみ。一筥48文は鳥貝のすしなり。またこけらずしと云ふは、鳥卵やき・鮑・鯛と並に薄片にして、飯上に置くを云ふ。価64文、一筥およそ12に切りて4文に売る。また筥ずし、飯中椎茸を入る。飯二段になりたり。また浅草海苔巻あり、巻ずしと云ふ。飯中椎茸と独活(うど)を入れる。京阪の鮨、普通以上三品を専らとす。しかも異製美制をなす店も稀にこれあり。また鮨には、梅酢漬けの生姜一種を添ふる。赤き故に紅生姜と云ふ。

 また江戸にても、原(もと)は京阪のごとく筥鮨。近年はこれを廃して握り鮨のみ。握り飯の上に鶏(卵)やき・鮑・まぐろさしみ・海老のそぼろ・小鯛・こはだ・白魚・蛸等を専らとす。その他なお種々を製す。皆各一種を握り飯上に置く。巻鮨を海苔巻と云ひ、干瓢のみを入る。新生姜・古同(生姜)ともに梅酢につけず、弱蓼(わかたで)と二種をそゆる。また毛ぬきずしと云ふは、握りずしを一つづつくま笹に巻きて押したり。価一つ6文ばかり。毛ぬきずしの他は貴価のもの多く、鮨一つ価4文より50〜60文に至る。天保府命の時、貴価の鮨を売る者200余人を捕らへて手鎖にす。その後、皆4文・8文のみ。府命弛みて、近年20〜30文の鮨を製すものあり。(中略)

 また因みに云ふ、江戸は京阪より諸小賈多く、特に鮨・蕎麦の二店大略毎坊これあり。湯屋・髪結床も大略毎坊これあり。この四戸なき所を稀とす。すし・そば店に次いで餅・菓子店多し。

 また因みに云ふ、京阪の鮨酢味強くすを良とす。近年、江戸の製酢味はなはだ淡し。鮨の本意を失す。

 また天保末年、江戸にて油あげ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸・干瓢等を刻み交へたる飯を納れて鮨として売り巡る。日夜これを売れども夜を専らとし、行燈にとりいを画き、号して稲荷鮨あるひは篠田鮨と云ふ。ともに狐の因みある名にて、きつねは油揚を好むもの故に名とす。最も賤価なり。尾の名古屋等、従来これあり。江戸も天保前より店売りにはこれあるか。けだし両国等の田舎人のみを専らとす鮨店に従来これあるかなり。

(2012年6月18・19日収録、6月25日コメント改訂、2015年1月5日寿司好き都市の変遷の表、及びコラム2追加、9月3日コラム3追加)


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