かつては全国各地に芸妓(芸者・芸子)が宴会専門職として営業している花街(花柳界、色里)があった。東京、大阪、京都の三都の花街については図録7846に掲げたが(花街や芸妓の解説もこちら)、ここでは、それらを除く全国の花街の芸妓数をグラフにした。資料は同図録と同じ松川二郎(1929)「全国花街めぐり」誠文堂によっており、そのうちの三都以外の分(東京、京都の都市部以外も含む)を掲げた。なお、このデータは、調査済みの結果であり、三都以外の全国の主要な花街でもなお尽くされていない場所がある点に留意が必要である。

 こんな感じで三都を除いても全国津々浦々に花街が存在し、三味線の音が鳴り響いていたことがうかがわれると思う。

 17花街を擁する名古屋の花柳界の芸妓数が2,500と最も多くなっているが、資料に個別の芸妓数のデータはないが個別花街別ではこれほど突出しているわけではない。

 各地の花街には、それぞれの特徴と逸話にあふれているが、ここでは、一例として、長崎の花街について以下に紹介する。

長崎の花街

 江戸時代長崎の丸山遊廓は、「京島原の女郎に、江戸吉原の張りをもたせ、長崎丸山の衣裳を着せ、大阪新町の揚屋にてあそびたし」といわれたように、遊女の衣裳の美しさで有名だったが、日本唯一の開港地として、日本人向けに加え、唐人(中国人)向け、阿蘭陀(オランダ人)向けという三種の専門遊女がいたことでも余所とは異なる花街であった。安政開港後には、稲佐に製鉄所ができてロシア人向け遊女もいた(西山松之助編「日本史百科遊女」近藤出版社、1979年)。

 松川二郎(1929)によると、長崎では、芸妓のことを今でも「芸子衆(げいこし)」と呼んでいるが、市中に芸妓が活躍するようになったのは丸山の遊女よりずっと新しく、1781年大阪から芸達者で座敷廻しにも秀でた2〜3名の旅芸子が下ってきて、幕府公認(1639または1642)の丸山遊廓にも入り込んで持てはやされたのがはじまりといわれる。長崎は唯一の開港地として江戸幕府の直轄地であり、旅の者の滞在許可は百日以内と規制が厳しかったので、芸子も入れ替わり流入して営業していたが、丸山遊女が圧迫を受けるに至ったので、当局は1814年に旅芸子の入国を禁止した。しかしこの頃までに、旅芸子に刺激され市内散在組と丸山居住組の地元の芸子衆が生まれており、これが、後年、丸山の「山芸子」と町場の「町芸子」に別れるに至るいわれとなった。

 なお、百日以内の規制下の入れ替わりで、大阪まで戻らず博多で稼いで長崎へ戻るパターンも生じ、その一部が博多に定住し博多芸妓のルーツとなった(西日本新聞2000.9.27)。

 江戸期に、とくに幕末期における平賀源内、頼山陽、蜀山人、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、伊藤博文、井上馨、大隈重信、オランダ人シーボルトなど長崎の花街での遊興と情話は枚挙にいとまがない。

 昭和初期、長崎は、丸山、稲佐、出雲町、戸町の4遊廓と本紙屋町中心の町芸者の1街、合わせて5花街を有した。代表的な花街は170名の芸妓(山芸子)を有する丸山東検番であり、廓内の料理屋だけでなく市内に散在する料理店・待合を出先としていた。南検は廓直属である(廓外ではもっぱら市中の鋤(すき)焼屋に出入)。町検番は、丸山東検番より1年早く設立されており、上記の経緯から、廓とは関係なく、市内に散在する料亭および待合を出先とし、町芸子として、独自の気風を保ち、一流の宴会に侍するのは多くこの町芸子であった。

 松川二郎(1929)は、長崎花街情緒として次のように述べている。

「古来長崎は美人系と称せられる程あって、美人に富むことも全国の花街中でも先ず有数の方であろう。それに顔が総体明るくできているのも、伝統と環境の賜であろう。芸妓としてはやや意気と張りに乏しい憾みのある代わり、温順と親切を以て特色とし、彼れ等自身も亦それを誇りとして居るようである。殊に情緒極めて纏綿、一たび長崎女に馴染めば遂に離れがたくなり、故国を忘れて一生を女の為に犠牲にするに至ると。古来外国人中にも長崎の女を妻にして、長崎や五島、天草へんに終わった者の多いことを想えば、この言必ずしも単なる形容ではないかもしれぬ。

 土地の人と旅の人との間に区別を設けず、又内地人たると外国人たるとに由って情を二つにせぬ。つねに隔てなく、わだかまりなく、女の情を捧げる点に至っては全く長崎女の伝統的精神であって、これを証する異国人との情話は実に数かぎりなく伝えられている。然しながら、

『長崎の芸妓(げいしゃ)は、実に無愛想で、親し味がない。遊んでも少しも面白くない。』

 という批難はしばしば旅の人から聞く所である。私は、然りそれも亦事実であると言おう。長崎の芸妓は実際最初は他人行儀で、ブッキラ棒だ。それに就いて一つの挿話がある。私が二度目の長崎訪問−大正三年の秋の始め、私の友人のAのその又友人であるH中尉が、青島(チンタオ)へ出征するというので、Aと二人で送別会をやった。Aも私も旅の者だ。三人でさんざん廓内をうろつき廻った揚句、ある旗亭へ登って、芸妓を招んで午前二時頃迄飲んで騒いだ。そのときHは出征者だというので、芸妓達から大いに持囃されるべく予期して居たらしかった。私達も亦大いに持てさせてやりたかった。処が芸妓達は例のブッキラ棒で、とんと面白くない。それで先生頗る御機嫌斜めの態に見受けられたが、終いにはスラリと軍刀を抜いて、芸妓の鼻先へ突付けたりなどした。

 芸妓達はキャッと云ってわめくか、逃げ出すかと思ったら、もっとも何れも相当の年増芸妓ではあったが、眉毛一本動かさなかった。と言って別に啖呵を切る訳でもなく、

『冗談おしでないよ、此の小僧。』

と言った様な顔をして、済ましこんでいた。

『おとなしいが、矢張り「ばってん」芸妓の気概はある』と、私は非常に嬉しく、痛快にも感じたのであった。

初回は甚だ無愛想だが、裏を返して行けば殆ど別人の如く愛想よく、面白くはしゃぐのが長崎芸妓の一大特色で、その豹変の激しさに驚ろく者が多い。二度三度つづけて遊んでみなければ、長崎の花街情緒を味わうことは出来ぬ、もとより之を語るの資格はない。」

 以下に、図で取り上げた花街の一覧表を掲げる。三都と同様に芸妓のみの花街もあれば、娼妓がいる遊廓で芸妓が営業している場合もある。

全国の花街(三都以外、昭和初期)
  花街名 芸妓数 備考
青森 弘前(橡の木) 70 外に寿町・北横町の遊廓あり
八戸(小中野遊廓) 70 娼妓73名。湊川港の洗濯婦が私娼となりこの流れで出来た遊廓
八戸(鮫見番) 10 鮫港・蕪島・一大漁港
山形 山形 150 芸妓は料理屋の抱え制度
湯田川 10 娼妓30名
湯の浜 16 芸妓は料理屋の抱え制度
酒田 110  
秋田 横手(阿桜花街) 70  
角館 10 芸娼妓併置制
秋田(川端) 149 舞妓41名(川端花街の特色)。外に常盤町遊廓、娼妓70名
土崎港(新柳町) 45 小芸妓は舞妓。娼妓10名。外に古い花街の稲荷町に酌婦40余人
能代港(柳町) 58 外に新柳町に遊廓、酌婦50〜60名
岩手 花巻温泉 10 酌婦30人
宮城 仙台 304 このほか私娼窟ゴケ町に私娼100余名あり
石巻 47  
気仙沼 10 酌婦全盛の土地
鳴子温泉 25 「お酌」70余名(元「草餅」の後身)
神奈川 二子神明町 40 高津村字二子
東京 調布 25 布田五宿
青梅 50  
八王子 150  
埼玉 松山 30  
浦和 44 浦和の花柳界は高等学校でもつ
大宮 92  
秩父 70 酌婦100名(定期検黴対象)
千葉 木更津 96  
鴨川 20  
松岸 4 娼妓40名。銚子駅隣駅
茨城 潮来 30 娼妓18名
水戸(大工町) 111  
水戸(竹隈町) 38  
下館 60  
栃木 宇都宮 150  
足尾 50 私娼130名。鉱山花街
大田原 60  
群馬 伊香保 20  
下仁田 50  
磯部 10 酌婦16名
山梨 甲府 280 穴切遊郭あり
長野 下諏訪(湯田町) 98  
下諏訪(御田町) 20 娼妓27名
木曽福島 15  
新潟 高田(田端) 100 スキー踊
高田(栄町遊郭) 10 娼妓120名
柏崎 151 石油都市。本町花街の他、芸娼混交の新花町遊郭もある
三条 81 娼妓59名
新潟(古町) 403  
新潟(北郭) 60 娼妓500名
新潟(沼垂) 70  
愛知 名古屋 2500 17花街(五連妓、十三連妓、十七連妓)
犬山 130  
岡崎(東遊郭) 70 娼妓153名
岡崎(松本町) 170 別名松栄連
岡崎(板屋町) 60 別名龍城連
岡崎(羽根) 63 別名停車場・羽柱連
岐阜 岐阜 528 このほか金津遊郭(娼妓439名)
静岡 浜松 317  
浜松(二葉遊郭) 10 娼妓250名
静岡(両替町) 181 このほか安倍川遊郭(別名二丁町、娼妓数205名)
伊東温泉 25  
三重 宇治山田(新古市) 143  
宇治山田(古市廓) 38 娼妓地域
石川 山中 50  
片山津 60  
富山 高岡 143  
高岡(羽衣新地) 50 娼妓28名
高岡(郊外和田) 33  
高岡(郊外大門) 18  
富山(桜木町) 45  
富山(東新地) 300 別名遊郭。娼妓103名
滑川 74 娼妓23名
魚津(町方) 26  
魚津(旭新地) 70 娼妓地域
小川温泉 30 遊郭地(泊市街神田新地)
京都 宇治(旭検) 34  
宇治(都検) 8  
奈良 元林院検番(旧検) 135 このほか木辻遊郭(妓楼42軒)
奈良検番(新検) 57 幇間1名、やとな73名(酌人(やとな)検番に属す)
広島 西地方本券 200  
西地方新券 160  
東券番 170  
宇品券 50  
三篠券 30  
己斐券 90  
宮島 30  
愛媛 伊予松山 160  
道後温泉(湯之町) 65  
道後温泉(松ヶ枝町) 45 二枚鑑札の芸者のみ
鳥取 鳥取 86 このほか瓦町遊郭(娼妓100名)
島根 松江(新地遊郭) 45 芸娼妓併置(和田見遊郭)。娼妓68名
松江(橋北) 84 四券(下村券、平江券、松江券、赤松券)
美保関 26 娼妓ほぼ同数
福岡 中洲券 400  
博多券 110 博多名物やとな発祥の地のやとな券番が昇格して博多券となる
水茶屋・水券 120  
相生町券 130  
新柳橋遊郭 40 娼妓580名、芸者は柳町券番に属す
熊本 熊本(塩屋町・熊券) 101 熊本にはこのほか町芸者(土手券)という芸者とやとなの中間の存在がある
熊本(練兵町・旭券) 90  
熊本(二本木遊廓) 60 娼妓650名
大分 中津(中津券番) 180 耶馬渓は中津花街の勢力範囲
中津(桜町券番) 120  
別府検番 180 政争の激しい土地で政友系芸妓と民政系芸妓がいる
別府(浜脇遊廓) 若干 娼妓370名
大分芸妓検番 70  
大分(遊廓) 16 かんたん遊廓。娼妓170名。この他、近くに下之江遊廓(娼妓18名)
佐伯 50 芸妓の外、やとな式の酌婦あり
日田 28 豆田検3名、隈検25名。美貌・服装に秀でた仲居本位の土地
宮崎 延岡検番 50 このほか、延岡の外港東海港の「ノスカイ」遊女の流れの麦原遊廓(娼妓16名)あり
延岡桜検番(堤検) 2 堤(どて)検。酌婦20名。このほか鮮妓9名(朝鮮料理屋2軒、鮮工相手)
長崎 丸山東検番 170  
丸山南検番 40  
丸山南廓検番 40 丸山廊遊郭には娼妓300名
稲佐検番 50 稲佐遊廓
出雲町検番 30  
戸町検番 30  
長崎町検番 70 市街中心部、本紙屋町を中心に古町、麹屋町、新橋町にわたる芸妓町。町芸者と称す
(注)三都(東京、京都、大阪)を除く。第1期の調査・踏査結果とされ、全国主要花街を網羅したリストではない。新橋の項には昭和3年12月末調査とある。
(資料)松川二郎「全國花街めぐり」(1929年誠文堂)


(参考文献)

・西山松之助編(1979)「日本史小百科〈9〉遊女 」近藤出版社
・松川二郎(1929)「全国花街めぐり」誠文堂

(2011年2月9日収録)


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