宮崎市定は孔子の思想を考える材料として論語に出てくるキーワードの回数を示している(「論語の新しい読み方 」岩波現代文庫、2000年)。

 「仁」は「さすがに孔子の教育の目標でありますから非常に多く」、97回とトップとなっている。「礼」は「孔子の職業に最も深く関係しますから」次に多くなっている。信頼の「信」は「君主に対して使えないこともないがむしろ人民と人民との間、国民同士の間の道徳」として、3番目に多い。親孝行の「孝」と忠節の「忠」は同じ18回だが、「君に対して忠と言った場合は、わずかに3回だけであります。他の15回は忠信とか忠恕とかいうふうに、むしろ一般的な道徳として使われております。」

 孔子を葬儀屋集団のリーダーと位置づけたのは白川静であるが(『孔子伝』)、古来より伝わった儀式(常に音楽を伴う)の指南役として俸給、謝礼を得る職業集団を率いていた孔子は、この儀式のしきたりや精神、すなわち「礼」について「学んで時に之を習う。亦悦ばしからずや」だった訳である。

 紀元前5世紀から紀元前後にかけて、新しい宗教運動が世界各地で起こった。知性に目覚めた人類は、当時、知性をコントロールできず、復讐、残虐、杞憂、迷信、淫蕩、煩悩といった諸悪から抜け出せなくなって社会が成り立たなくなる程度にまで達していた。この時期に及んで、偉大な宗教家が愛や解脱を説いて人類救済に乗り出したが、孔子も「礼」を拡大適用する方式で人々に人生の指針を与え、不要な混乱から社会を救い出すこととなったのだと考えられる。

 他の宗教に比較して世俗的な人の道で混乱から人類を救い出した儒教は各種の道徳項目を人々に教えたが、のちに国家体制の秩序原理としては重要性を増す「忠」は、もっと深刻な局面が多い精神救済ジャンルの中でその一部分を占めるに過ぎなかったといえる。

 宮崎市定(1977)「中国史 」にはこう述べられている。論語は「忠孝を柱として道徳を説いたように考えられているが、実際は孔子の忠はそんな意味ではなかった。忠とは君に対してのみならず、特定の知人に対して誠実なることの謂であった。(中略)孔子が最も力説したのは信であった。信は一般的人間生活、特に(孔子の生きた時代に支配的であった)都市国家における市民間の信頼関係であった、正に社会道徳の根幹たるべきものであった。」(カッコ内は引用者による)

「都市国家時代の社会には、士族と庶民との階級対立があった他に、奴隷も存在した。男を臣と称し、女を妾と称した。(中略)君主に側近の奴隷群があり、その中の有能な者が政治上の顧問となって君主を助け、君主の愛顧を受けて地位が高まり、権力が強大となると、身は奴隷でありながら世上からも尊敬の念を以て遇せられるようになる。すると自ら進んで彼等の群に身を投ずる者も現れて官僚群を形成するに至ったのであろう。そこでこの官僚たちは、君主に対して自ら臣と称した。君臣の関係が此処に成立したのであって、それはもともと君主と人民との間の関係とは異なるものであった。」

 日本で人民を臣と位置づけ、君臣の間の「忠」が儒教道徳の中でとりわけ重要視されるに至った理由は以下のように考えられる。

 日本の現代の映画監督が儒教の言葉で、映画づくりのテーマを語ることはまずないが、韓国の映画監督はそうではない。アジア・フォーカス福岡映画祭で韓国映画『祝祭』(1996)が上映されたときの林権澤(イム・グォンテク)監督はこう述べた。「儒教の徳目のうち、中国では仁がいちばん重んじられ、日本では忠が強調されてきたと思われますが、韓国ではあくまで孝が大切にされてきました。」(佐藤忠男(2000)「韓国映画の精神―林権沢監督とその時代 」岩波書店)

 佐藤忠男(2000)によれば、韓国が「孝」を最重視するにたったのは、隣接する大国中国に対して、道徳をテコにした独立維持意識が働いたためだとする。「いまや韓国にこそ、儒教本来の祖霊崇拝の思想は最も純粋かつ強固に保持されている。朝鮮は中国から儒教を学んだが、その結果、本家の中国以上に忠実に儒教を受け入れ、実践した。朝鮮は超大国である中国に隣接する小国であり、武力で対立すれば負けるのが当然だった。負けてもしかし、決してその一部に吸収されてしまうのではなく、独立を保った。武力ではかなわない代り、中国が中国文化の根幹とする儒教をしっかりと学び、学問と道徳において中国に劣らないというところに民族の誇りをうちたてた。」

 他方、日本が「忠」を最重視するに至ったのは、明治維新後に列強に対して、武力をテコにした独立を維持しようとする意識によるものだと考えられる。日本の江戸時代の儒教は「民百姓向きの孝第一と、武士向きの忠第一とに解釈が分裂」していた。明治国家は、富国強兵へ向かう国民教化のため「孝を忠の思想体系の下部組織に組み込む」に至った。自国防衛戦争であれば、孝でも足りる。家族を守るために戦うという論拠づけが可能だからだ。他国への侵略戦争の場合はそうはいかない。国家や君主への忠が強調されなければ成り立たない。韓国の場合は、どこまでも防衛戦争が主であったので孝で足りた。日本の場合、朝鮮、台湾、満州、中国、アジア太平洋とうち続く在外戦争を忠が支えたともいえよう。すなわち「忠」は封建時代の名残りではなく、近代日本の産物だということを意味している。

 こうして、古来よりの注釈家の迷妄を払って、歴史的に論語を解釈するという立場の宮崎市定から、「忠」を孔子がそう重視していたわけではないことが示されると日本人としては意外であり、また新鮮な感じがすることになる訳である。

 現代では、孔子が最重要視した「仁」を重視しているのは中国ではなく、むしろ、日本であるということを示すデータがある。子どもに教えたい徳目で「思いやり」をトップにあげているのは日本人だけなのである(図録8068)。このデータを収集した政治学者の猪口孝氏によれば、

 子どもに教えたい徳目に関する東アジア諸国の意識比較において、「鍵となる違いは、前者(中国、香港、台湾、韓国など−引用者)が個人の徳である独立、勤勉、正直を強調するのに対して、後者(日本−引用者)は他の人間を考慮する徳を説いている。前者を儒教的、後者を非儒教的と呼ぶとしたら、間違う。...孔子のあげる徳の中でひとつを選ぶとすれば、後者である。思いやり、他人への注意、関心、寛容など、孔子のおそらくもっとも重要な教えである。中国語では仁である」(「データから読む アジアの幸福度」岩波現代全書、2014年、p.26)。

 荻生徂徠も中国の朱子学が個人の道徳的完成を目指しているのは勘違いした見方だとして、もともと人間は社会的存在、類的存在なのだから、お互いに仲良くしようとすればそれでうまく行くと言っている(荻生徂徠「政談」 講談社学術文庫、解説)。

 道徳観におけるこうした日本人の独特のスタンスは、仏教の肉食禁止など東アジアの古代精神をもっとも保持していた(いる)のは日本であるということの一例をなすものだろう(図録0214参照)。

 子どもに教えたい徳目の日米韓比較を扱った図録9464では論語の一条との関連で礼と和のどちらを重視するかの日韓比較を試みたので参照されたい。

(2013年7月2日収録、2014年11月6日猪口引用など追加)


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