米国の他殺率は欧州諸国と比較して格段に高いレベルとなっているが(図録2776a)、理由を考えるに当たって、米国における地域別の大きな違いを理解しておく必要がある。

 ここでは、米国の州別の人口10万人当りの殺人発生件数のマップを掲げた。北部は東から西に帯状に件数の少ないベルト地帯が広がり、南部もやはり東から西に件数の多いベルト地帯が続いていることが分かる。

 歴史的な暴力の低減過程を研究したスティーブン・ピンカーは「暴力の人類史」(青土社、原著2011年)の中で多くの者が何故だろうと思う米国の高い殺人発生率レベルの理由についてかなり多くのページを割いている(以下、引用は上巻)。

 国家が人民に武器を捨てさせた後に人民が国家を引き継いだ欧州諸国と異なり、米国では、国家が暴力を独占する前に人民が国家を引き継いでしまった。「アメリカ人、とりわけ南部と西部のアメリカ人は、合法的な武力行使を政府に独占させる社会契約にきちんと署名したことは一度もないのだ。アメリカの歴史の大半を通じて、合法的な武力は民警団や自警団、リンチを行う群衆、私設警察、探偵社、私立探偵によって行使され、そして何より個人の特権として守られてきたのである」(p.192)。

 それでもニューイングランド諸州、中央から北部の諸州ではヨーロッパと共通の脱暴力へ向かう国家主導の文明化のプロセスをたどっており、殺人発生率でも、人口10万人当り3件未満と米国の平均値を押し上げている南部の5〜10件という高いレベルに比べて非常に低く、海を隔ててヨーロッパと連坦(れんたん)している。上には「主要国における殺人発生率の地域分布」も掲げておいたが、この点が明確であろう。

 文明化のプロセスが及びにくかった南部には「名誉の文化」、すなわち「自力救済による正義」、「やられたらやりかえせ」に対する執着が残っているといわれる。「強盗にともなう殺人の件数は南部と北部で違いはなく、南部のほうが多いのは口論がエスカレートした結果の殺人だけである」ことを心理学の研究者がつきとめた。南部諸州の法律は、自分自身や財産を守るための殺人には寛容で、銃の購入に対する規制も緩やかである(p.193)。

 なぜ、名誉の文化が北部でなく南部に発達したのか。奴隷経済を維持するために暴力が必要だったという見方もあるが、もっとも暴力的な傾向が強いのは辺境地帯であり、こうした地域には奴隷プランテーションはなかったので、因果関係は薄いだろう。むしろ、新大陸米国へのヨーロッパからの入植者に地域性がある点が指摘される。

「北部の州に入植したのはイギリスのピューリタン、クエーカー、オランダ人、ドイツの農民であり、南部の入植者は主としてスコットランド系アイルランド人で、その多くは中央政府の目の届かないイギリス諸島周辺部の山間で暮らす羊飼いだった。(中略)牧畜民にとって、富の源泉は盗まれる可能性のある物的資産にあるだけでなく、その資産には(農民にとっての土地とは違って)足が生えていて、一瞬のうちにどこかに連れ去られてしまいかねない。このため世界中の牧畜民には、すぐに激して暴力的な報復に出るという性癖が見られる。スコットランド系アイルランド人の入植者が名誉の文化をアメリカにもち込み、南部の山間部の辺境で牧畜を営むなかでこの文化を保ちつづけたというのが、ニスベットらの考えだ。今日の南部人はもはや羊飼いではないが、文化的慣行はそれをもたらした生態環境がなくなったあとも長く保たれる。南部人は今日もなお、家畜泥棒を抑止できるほどタフであるかのようにふるまうというのだ」(p.196〜197)。

 西部劇映画でも、牛の大群を移動させる牧場主とカウボーイたちが私的制裁による殺人に何ら罪悪感がないのが異様に感じられる「赤い河」(1948年、ハワード・ホークス監督、舞台テキサス州)、牧畜業者が雇った無法者と連邦国家を支持する農民との対立を描いた「リバティ・バランスを射った男」(1962年、ジョン・フォード監督、舞台モンタナ州)、あるいは、牧畜業者から牛泥棒を始末する仕事を請け負ったかつての賞金稼ぎの末路を描いた「トム・ホーン」(1980年、スティーブ・マックイーン、舞台ワイオミング州)などは、こうした牧畜仮説をうかがわせる雰囲気に満ちている。

 ピンカーは、牧畜地帯は長く司法制度が及ばない無法地帯であり、牧畜文化というより、無政府状態こそが「名誉の文化」を育んだとしている。また、西部では、過酷で危険な仕事と大酒・ギャンブル・女・ケンカにうつつを抜かす給料日のあいだを行き来するカウボーイの生活が、無法状態とあいまって暴力的な気風を醸成した。

 独身者が多かった西部における文明化のプロセスは女性とキリスト教の力によるとされる。

「西部の暴力がやがて鎮まったのは、無情な保安官や厳しい判決を下す裁判官のせいばかりではない。多くの女性たちが入ってきたことの影響も大きかった。ハリウッドの西部劇映画に出てくるような「渓谷の町に到着するとりすました美人の女性教師」には、歴史的リアリティがあるのだ。(中略)彼女たちは西部にやってくると、取引できる立場を利用して周囲の環境を自分たちの利害に合致させるように作り変えていった。結婚と家庭生活と引き換えに男たちにケンカや酒浸りの生活をやめさせ、学校や教会を建てるよう説得し、酒場や売春宿、賭博場など、男の注意をそらす施設を閉鎖するよう働きかけた。男女が等しく所属する教会、規律の重要性を説く日曜日の朝の説教、禁酒の規範の美化などが、女性たちの文明化攻勢に制度的な力を与えた」(p.203〜204)。

 こうした歴史的経緯により、文明化のプロセスが異なる2つの地域文化が米国の特徴となったと考えられる。「アメリカ西部と南部田園地帯における文明化のプロセスについて吟味することは、今日のアメリカの政治的景観を理解するうえで役立つ。北部や東西沿岸地域の知識人の多くは、共和党支持層が銃の所持や死刑制度、小さな政府、キリスト教福音主義、「家族の価値」、性的厳格さなどを支持していることを理解できないと考え、一方の共和党支持者のほうも、民主党支持層が犯罪者や敵対国家に対して弱腰で、政府を信頼し、頭でっかちな世俗主義を支持し、性的放縦さに寛容であることを理解しがたいと感じている。私は、この「文化戦争」が、アメリカという国が二つの異なる文明化プロセスをたどった歴史の産物ではないかと考える。アメリカ北部はヨーロッパの延長であり、中世から始まった宮廷と商取引を原動力とする文明化プロセスを引き継いだ。これに対して南部と西部は、開拓時代に無政府状態にあった地域で生れた名誉の文化を維持し、行き過ぎた部分は教会や家族、禁酒といった独自の文明化の推進力でバランスを保ってきたのだ」(p.205)。

 ここで、文明化プロセスの原動力とされている「宮廷」とは、ヨーロッパの近代化の中で、地方に割拠し、いさかいを繰り返していた騎士が王を取り巻く宮廷における礼儀をわきまえた廷臣へと転身したこと、また、「商取引」とは、どちらかが得をするゼロサムゲームの土地経済から双方が同時に利益を得る商取引へと富の源泉が変化したことを指す。

 共和党支持者の生物進化を信じないようなナイーブすぎる宗教心(図録9492参照)が余りに暴力的な気風を矯めるための対抗手段としての意味を持っていたなんて気がつかなかった。荒くれ者が突如雷に打たれたようにキリスト教信仰に目覚める西部劇映画としては「ヨーク軍曹」(1941年、ハワード・ホークス監督、舞台テネシー州)がある。米国人でもこうした経緯に自覚的な者はいないようだ。「アメリカのレッドステート[共和党を支持する傾向の強い州]で宗教や「家族の価値」が神聖視されているのも、もとはといえばカウボーイの町や鉱山労働者の飯場でいさかいを起こす荒くれ者どもをなだめるための戦術だったからであることは、もはやすっかり忘れられている」(下巻、p.16)。

(2016年9月18日収録、10月15日引用追加)


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