フランスの人口ピラミッドを日本と対比させて掲げた。

 おおまかには日本と似ているが、フランスの人口ピラミッドは典型的な釣り鐘型であり、日本と比べ、凸凹が少なく年齢層による人口規模の違いが小さい点、日本のような末つぼまり(少子化の影響による)が見られない点がことなっている。学校の生徒児童数の変化も小さく、日本のような空き教室の活用といった問題も小さいのではと想像される。

 詳しく見ていくと、安定しているとはいえ、ピラミッドに2つの断層が認められる。1つ目は65〜69歳(1940年代前半生まれ)と60〜64歳(1940年代後半生まれ)との間であり、人口が急増している。2つ目は、35〜39歳(1970年代前半生まれ)と30〜34歳(1970年代後半生まれ)との間であり、逆に、人口が急に減少している。

 1つ目の断層は、第2次世界大戦の終了に伴うものである。2度にわたる世界大戦でフランスは多くの若者を失い(第1次世界大戦では労働人口の1割超の犠牲者が出たといわれる)、社会の混乱とあわせて、出生数が伸び悩んでいた。終戦後は、その反動でベビーブームが起こった。これは日本と同様である。日本と異なるのはベビーブームが1940年代後半から1960年代まで長く継続した点である。このため、日本のような前後に比べ特段人口の多い団塊の世代は生まれず、また従って団塊ジュニア層のような出っ張りもない。

 日本と比べベビーブームが長く継続した理由には3つの要因が考えられる(出生率が長く高い水準を続けていた点については図録1550参照)。

(1)政府による家族手当の支援...戦後すぐ創設された家族手当は、2人目以降の子どもから支給され、財源は雇用主負担の保険料であった。1950年代には社会保障給付の40%を占めるに至ったといわれる手厚いものであった。

(2)戦間期には一人っ子が多かった反動で子沢山を国民が望んだ。

(3)出生率が高かった外国人世帯の貢献があった。フランスは移民の受入を積極的に行っており、戦前は欧州からが多かったが、戦後はアフリカ諸国からの移民が増加した(フランスの外国人労働者については図録38303835参照)。

 家族手当等による家族支援の割合は当初非常に大きかったが年を追う毎に徐々に縮小していったといわれる。家族手当が給与所得に占める割合は1946年には16%であったのが1971年には9%に低下した。

 第2の断層を生んだのは、3つの要因によると考えられる。

(1)家族政策の見直し。徐々に家族支援の程度は低下していたが、1970年代からは、所得制限、1人目の子どもから給付、といった変更があった。家族政策の主たる眼目が、出生促進政策から再配分政策への変更された。

(2)1970年代半ばから出生率が停滞しはじめた。これは国民の生き方の変化が影響している。すなわち、結婚年齢を戦後早めていたのを改め、再度、遅くした。また家族計画により出生間隔を長くするようになった。1960年代後半からの学生運動やウーマンリブの運動なども影響しているといわれる。

(3)1974年以降の移民政策の変更。単純労働者の受入を原則停止した。

 出生数の減少は、フランスの場合、日本のようにどんどん減るという形でなく、いったん減ってからその水準を継続する形で安定した。これは、子供のいる世帯への税制上の優遇、いったん下がった家族向け給付を再度上げたり、年金支給とのリンクなど子どもを生んだ世帯への支援と高齢者支援とのバランスをとったりするなど、種々の工夫をこらしてきたためである(図録15501582参照)。それだけ、フランスの場合、隣国ドイツとの長い対抗の歴史などをふまえ、人口規模を維持するための習性が身に付いているためとも考えられる。

 かくしてフランスの人口ピラミッドは日本と比較して凸凹の小さい安定的な釣り鐘型のパターンが形成されたといえよう。また、日本ばかりでなく、ドイツ、イタリアと比較しても高齢化率の上昇はそれほどではない状況が生まれていると考えられる(図録1157)。

(参考資料)
社団法人 エイジング総合研究センター「フランスの出生動向と家族政策−少子・高齢化に関する国際研究−」(平成9年度)

(2009年11月26日収録、2015年4月6日更新)  


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