世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」が1981年から、また1990年からは5年ごとに行われている(5年ごとといっても各国の調査年次は多少ずれている)。各国毎に全国の18歳以上の男女1,000サンプル程度の回収を基本とした個人単位の意識調査である。

 世界価値観調査は種々の研究調査に活用されているが、世界各国の国民の価値観を、伝統的か合理的かの軸と生存重視(言い換えると物的生活重視)か自己表現重視(言い換えると個性重視)かの軸とで分析・整理したイングルハートの研究が有名である。

 イングルハートらは、経済発展によって文化は同一方向に変化するとしたマルクスやダニエル・ベルと文化的な価値観は各々の社会に固有のものであり続けるとしたマックス・ウェーバーやサミュエル・ハンチングトンのどちらが正しいかを実証的に確かめるべく世界価値観調査の結果を分析した結果、一見、逆説的ではあるが、両方とも正しいとする次のような結論を得たとしている。「経済発展と平行して、絶対的な規範や価値から合理性、寛容、信頼、参加にもとづく価値へとますますシフトする傾向があるが、こうした文化的な変化は「経路依存的」(path dependent)である。近代化過程の中でも、プロテスタント、ローマン・カトリック、ギリシャ正教、儒教、共産主義といった大括りで捉えた社会的遺産は人々の価値観に痕跡を残し続ける。また、同じ国の中で異なった宗教を持った者がもつ価値観の差異は、国別の差異よりずっと小さい。いったん確立した国ごとの差異は教育機関やマスメディアによって受け継がれていくのである。我々の結論は近代化理論を幾分か改訂することになったと考える。」(Inglehart and Baker(2000))

 なるほど、各国のこの20年ぐらいの変化は、その国が属する大括りの文化圏グループの分布の範囲に収まっていることが図からうかがえる。図掲載国以外の国については、ページ末尾に掲げた2000〜05年データにもとづく配置図を参照されたい。ロシアなどスラブ系諸国が人種的には近いと思われるヨーロッパ諸国と、実は、X軸方向の価値観では対極的な位置にある点なども興味深い。

 なお、散布図のY軸(伝統←→世俗・合理)は近代化の第一ステップ、すなわち農業社会から工業化社会への工業化プロセスに対応し、X軸(物質←→自己表現)は近代化の第二ステップ、すなわちサービス経済化による脱工業化プロセスに対応する価値軸として捉えられている。実際、工業マイナス農業の就業比率は前者と相関が高いし、サービス業マイナス工業の就業比率は後者と相関が高くなっている(Inglehart and Welzel(2005))(注)。

 図録に示したのはこうした研究を主要国に限定して、時系列を最新調査結果にまで延長して示した散布図である。各国民の価値観や行動様式が大括りの宗教的背景によって異なる点は当図録の読者ならお馴染みかも知れない(図録3942a、図録3942e、図録2318、図録2775、図録2784など)。また同じ調査による同性愛許容度の設問に特化した分析を図録2783に掲げている。

 しかし、ここで興味を引くのは、主要国の変化の方向である。国別の1から5までの数字は1981, 1990, 1995, 2000, 2005年に対応している(国により調査がない年もある)。

 ヨーロッパ諸国はおおむね右上への方向をなお工業化、脱工業化と進展する近代化の王道に沿って進んでいるように見える(旧西ドイツ、オランダのように一時的な後退もあるが)。図上の位置から考えて、すなわち、ヨーロッパ諸国が一般的に向かっている方向の先に位置することから、もっとも「進んでいる」のはスウェーデンのように見える。

 日本は20世紀の間は位置の差はあるとはいえプロテスタント・ヨーロッパの各国と同一の方向へと変化を続けていたが、21世紀に入った2000〜05年には、世俗的・合理的価値への方向は継続していたが、自己表現的価値よりはむしろ生存的価値の方向に揺り戻しが起こっているのが特徴である。

 米国は英語圏の下半分の所に位置する。米国は伝統的な価値観を重視しているのである。「文化的な変化を「アメリカ化」と捉えると間違える。産業社会一般は米国のようにはなっていかない。実際、米国式生活に対する多くの観察者(Lipset 1990, 1996)が論じているように、米国は「逸脱」ケースのように見える。米国人は他の同等に繁栄している社会と比較してずっと伝統的な価値観や信仰を有しているのである(Baker 1999)。」(Inglehart and Baker(2000))もっともY軸方向には自己表現的価値に方向に徐々に進んできており、2013年には最高裁が同性婚を認める判決を下した(こうした米国の状況は同性愛の許容度に関する図録2783、同性婚への賛否に関する図録8807、及びリプロダクティブ・ヘルス意識に関する図録2304参照)。

 旧共産圏のロシアや社会主義的計画経済からの改革開放を進めた中国は共産主義の考え方が権威を失ったためであろうが、もともとは高かった世俗的・合理的な価値から旧式の伝統的な価値へとむしろ戻っている。非共産主義の儒教圏についても、韓国では、顕著な経済発展を実現したにもかかわらず、最近になって、左下の方向への大きな揺り戻しが起こっている。台湾でも韓国と同様に生存的価値へと揺り戻しが起こっている。価値観が揺れているのは日本だけではないのである。

 ロシア人の価値観が大きく揺れている点については【コラム】を参照されたい。2000年から05年にかけては、Y軸はマイナス(伝統方向)、X軸ではプラス(自己表現方向)に向かっており、カトリック・ヨーロッパに近づいている。

 ウクライナとロシアは兄弟国家と言われていただけあって、ウクライナ人の価値観はソ連崩壊から間もない1995年にはまだロシア人に近かったのであるが、2000年から05年にかけては、旧共産圏の中ではもともとヨーロッパ化の程度がより高かったハンガリーの位置を越えて、ロシア以上に大きくカトリック・ヨーロッパの方向にシフトしたことで目立っている。2005年には1981年のイタリア人とそう変わらない位置にまで変化しているのである。2014年の2月にウクライナで顕在化した親ロシア派を拒絶する親EU派の突出行動の背景にはこうした価値観シフトのギャップがあると思われる。

 旧ソ連諸国のうち、ロシア、ウクライナに加えて、同じくスラブ系のベラルーシ、及びラテン系のモルドバ、さらにバルト3国のエストニア、ラトビア、リトアニアのイングルハート価値空間における位置変化を示し、図録8975で相互に比較した。

 神の存在・死後の世界を信じているか(図録9520)で、エジプト人は世界の中でも最もこれらを信じている国民である。エジプトをはじめアフリカ諸国は、イングルハート価値空間上、X軸上の位置はあまり変わりがないが、Y軸上の位置は、世界の中で最も世俗的な日本の対極に位置する最も伝統的(宗教的)な地域と言える。

(注)「工業化は自己表現価値の上昇を促進しない(中略)このことが、工業化は普通選挙権をもたらすが、必ずしも民主主義をもたらさなかった理由である。普通選挙権は共産主義中国やソ連のような権威主義的な国家で採用されうるし、またしばしば採用され、自由民主主義が達成したのよりずっと高い投票率を一般的に生み出した。個人の自律や解放を強調する価値は初期の工業化社会では広がっておらず、そこでは、歴史的に民主主義制度とほとんど同じぐらいファシスト、共産主義が採用されたのだった。工業化社会の価値システムは「権威からの解放」というよりは「権威の合理化」を強調するのである。工業化が解放エートスを支持しないという事実は工業化と民主化が強く結びついてはいない理由を説明する。すべての工業化社会は大衆を動員し、普通選挙権やその他の様々な形態のエリート志向の参加を導入する。しかし、工業化は、民主主義的な形態と同じぐらい権威主義的な形態の大衆参加を生み出しがちなのである。(中略)脱工業化社会は伝統的権威と世俗的権威の両方からの解放をもたらし、解放エートスを勃興させる。これが脱工業化社会では自由民主主義が支配的となる理由である。サービス・セクターの勃興と自己表現価値の強化とは産業レベルでむすびついている。どんな社会でも、高所得、高学歴、サービス・セクター職業の労働者はその他の労働者よりも自己表現価値を強調する傾向があり、散布図上の右上の位置を占めることになる。」(Inglehart and Welzel(2005))

 図の中で位置変化をたどっている国は、以下の通りである。

プロテスタント・ユーロッパ 旧西ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、オランダ
カトリック・ヨーロッパ フランス、イタリア、スペイン
英語圏 英国、オーストラリア、米国
儒教圏 日本、韓国、台湾、中国
旧共産圏 ロシア、ハンガリー、ウクライナ
ラテンアメリカ メキシコ、ブラジル
南アジア インド、インドネシア
アフリカ モロッコ、ナイジェリア、ガーナ、エジプト

【コラム】ロシア人の揺れる価値観

 この図録で紹介した2次元マップについては、「イングルハート-ヴェルツェル図」と呼ばれたり、当人達によって「世界文化マップ」と呼ばれたりしているが、ここでは、国連開発計画のロシアに関する報告書(UNDP(2011))が、このマップを"R. Inglehart Value Space"と呼んでロシア人の揺れる価値観を分析したのに倣って、「イングルハート価値空間」と呼んでいる。このコラムでは、ロシア人の価値観の揺らぎについて、2つの側面から、すなわち、X軸方向と関連する同性愛への態度の問題、そしてY軸上と関連する宗教観の変貌についてふれておこう。

同性愛への態度の問題

 2014年2月に開催されたロシアのソチ冬季五輪の開催式には、米、英、ドイツ、フランスなど欧米の主要国はロシアの同性愛宣伝禁止法や人権状況を問題視し、欠席を決めた陸上女子棒高跳びで五輪2連覇のエレーナ・イシンバエワ選手は、2013年8月、「同性愛者はロシアの伝統に反する」と発言し、欧米諸国から批判されたが、開会式で聖火ランナーの一人をつとめており、ロシアも譲れない立場にある。欧米と対照的に、アジアの近隣国、日本や中国などは出席に踏み切った。その背景には、同性愛に対する欧米とロシアやアジア諸国との意識差があると考えられる。

 ロシアでは、同性愛の合法化が進む欧米とは対照的に、2013年6月に「同性愛宣伝禁止法」が成立した。「この法律は「未成年者に対する非伝統的な性的関係のプロパガンダ(宣伝)」を禁止。同性愛者の人権擁護を求めるパレードやネットへの記載などを取り締まる。街頭での宣伝に対しては最大5000ルーブル(約1万4800円)、ネット宣伝には10万ルーブル(約29万5000円)以下の罰金が科される。外国人も罰金や国外退去などの処分の対象だ。(中略)この法律の制定にオバマ大統領は「私ほど怒りを覚えている人間はいない」と批判。ソチ冬季五輪ボイコットこそ「適切ではない」としながらも反発を強めている。ただ、ロシア社会の同性愛者への偏見や反発は根強い。全ロシア世論調査センターが法成立の直前に実施した調査によると、法案への支持が88%と大半を占め、反対はわずか7%にとどまった。」(東京新聞2013年8月22日こちら特報部)

 ロシアの反同性愛世論の背景としては、ロシア農民の伝統、ロシア正教会の反対、旧ソ連時代に犯罪、精神疾患と見なしていた経緯、少子化対策の思惑などが挙げられる(同紙)。こうした精神風土が同性愛ばかりでなく、一般的な価値観において、図のX軸上の左方向へのバイアスを生んでいると思われるが、問題は、方向性である。反同性愛の動きがX軸上をマイナス方向に向かっている表れであるとすれば、ロシアの価値観上の「ゆらぎ」を示していることになり、日本もまた例外ではなかろうという気がする。そうした意味からは、同記事がこう結ばれているのは興味深い。「同性愛者であることをカミングアウトしている前参議院議員の尾辻かな子氏は「日本の同性愛者は中ぶらりんの状況に置かれている」と語る「日本の主な政治家から、オバマ大統領のようにロシアの人権侵害を批判する発言が出てこないことも問題だ。国内の同性愛者の地位の向上にしっかりと取り組んでもらわなければならない」」

ロシア人の宗教観の変貌

 2014年2月、ソチ冬季五輪のフィギュアスケート男子個人ショートプログラムの直前、金メダル候補のロシアのプルシェンコ選手(31)は、「神が終わりを告げた」と述べ、ケガの痛みにより試合を棄権、同時に引退を表明した。神を引き合いに出すのが現代ロシア人の流儀となったのだろう。

 実は、社会主義体制の崩壊により、ロシア人の宗教回帰が進んでいる。米国のピュー・リサーチ・センターは、冬季五輪で関心が高まったロシアに関する報告書(2014年2月)で、ISSP調査の結果を整理している。属する宗派について、1991年には、61%が無宗教、31%がギリシャ正教と答えていたのが、2008年には、無宗教は18%、ギリシャ正教は72%と大きく逆転した。イスラム教徒も5%まで増加している(別の資料だと12%−図録9034)。

 また、同期間に、神を信じる者が38%から56%へ、宗教心があるとする回答が11%から54%へと大きく増加している。

 他方、米国人には意外なことだと思われるのか、こうした宗教心の高まりにもかかわらず、教会に月1回以上行くロシア人はなお7%と高くはない。ピュー・リサーチ・センターの報告書の表題も「ロシア人の宗教回帰、ただし教会へは行かない」である。


【参考文献】

・Inglehart, Ronald and W. E. Baker(2000),"Modernization, Cultural Change, and the Persistence of Traditional Values"(American Sociological Review)
・Inglehart, Ronald and C. Welzel(2005), "Modernization, Cultural Change and Democracy", Cambridge University Press
・UNDP(2011), Human Development Report for the Russian Federation 'Modernization and Human Development.'


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(2013年6月25日収録、6月26日加筆、8月22日ロシアの反同性愛の動きを紹介、8月25日原資料をこの図録のタイトルの元となったUNDPロシア報告書掲載図からWVSサイト・数値データに変更、8月29日エジプト追加、2014年1月17日旧文化地図を自作の世界91カ国図に差し替え、2月17日コラム追加、3月2日・5日ウクライナ追加・含コメント)


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