縄文人と弥生人〜日本人のルーツをさぐる

◎ 日本人とはどのように成立したのでしょうか?まず縄文時代人の骨から彼らの特徴や生活を考え、次に弥生時代人との比較をしてみましょう。そこに日本人のルーツに関わるヒントを見つけることができるかも知れません。

1 噛み合わせにみる縄文人の特徴
 現代日本人の約9割の歯の噛み合わせは、上の歯が下の歯より前にあってハサミのような形ですが、縄文人の場合は全て上と下の歯がきちんとかちあう毛抜きのような形になっています。

(問1) なぜこのような違いがあるのでしょうか?
<ヒント> 現代の食べ物というのは縄文時代の食べ物より…

                             (問1の答へ)

2 「貝塚」にあまり貝はない!?
 福井県の鳥浜貝塚の出土品から、以下のそれぞれの食べ物にどの程度の割合で縄文人が頼っていたか、調べてみますと…
 @ (      )類=43%   A (      )類=23%   B (        )類=17%
 C 貝  類=17%

(問2) 上の@〜Bにはどのような食べ物が入るでしょうか?
<ヒント> 当時は基本的に自然に採れるものを食べていました。

                             (問2の答へ)

(問3) このように貝は縄文人にとって主要なカロリー源ではありませんでした。しかし、食料としての貝のいい点もあります。それはどんなことでしょうか?
<ヒント> たとえば獣(けもの)などと比べると…

                             (問3の答へ)

3 縄文人の平均寿命と女性の位置づけ
(問4) 骨からわかる縄文人の男の推定平均寿命は次のうちどれだと思いますか?
 
       ア) 19歳    イ) 31歳    ウ) 45歳   エ) 58歳 

                             (問4の答へ)

(問5) 実は(問4)の正解の数字は、実際にはもっと下がる可能性があります。それはなぜでしょうか?
<ヒント> 平均寿命は発掘された骨から調べたのです。

                             (問5の答へ)

(問6) こうした寿命の中で、縄文人たちが人口を維持していくためには、女の人はズバリ1人平均何人の子供を産まなければならないでしょうか?
<ヒント> 現代日本の女性は1,5人程度でしたっけ?これではとてもとても…

                             (問6の答へ)

 日本人はどのように成立したか?
(問7) 鈴木尚という学者は日本の各時代の骨を数多く調べて、その平均身長を発表しました。身長の高い順に正しく並べたものは、次のうちどれだと思いますか?

    ア) 弥生ー鎌倉ー現代ー縄文ー江戸         イ) 現代ー鎌倉ー江戸ー縄文ー弥生
    ウ) 現代ー弥生ー鎌倉ー縄文ー江戸         エ) 鎌倉ー現代ー弥生ー江戸ー縄文

            (問7の答へ)               

 「弥生人は朝鮮半島から新しい文化をたずさえて北九州・山口に渡来した」〜金関丈夫(かなせきたけお)説
 
考古学者の金関丈夫さんは、山口県土井ヶ浜遺跡から出土した人骨が日本の中で唯一、中国黄河流域や朝鮮で出土したものと同じく高顔であることに注目しました。そして鈴木尚さんの作成したグラフ(問8の答の上の部分にあります)を用いて「縄文時代晩期、北九州・山口に朝鮮半島から新しい文化をたずさえた高顔・高身長の人々が渡来し、土着の人々と混血することによって、土井ヶ浜人のような体質を生み出した。しかしその渡来は一時的であり、数も在来の縄文人に比べはるかに少数だったため、古墳時代には早くも身長と顔高に逆高現象が起きてしまった」という考え方を公表しました。
(問8) グラフをみて、この金関説に反対する意見が言えますか? 

<ヒント> このグラフには、大きく2つの変化がありますね。そのうち新しい時代の方の変化の理由を考えて下さい。


                             (問8の答へ)

答と解説
〔問1〕
 答は、
縄文以降、歯でよくかんで食べる習慣が減少し、長い間にあごの骨と歯そのものが退化してしまったため(現代人に乱杭歯や八重歯が多いのもそのため)です。柔らかいものを食べるようになったのは、土器による煮炊きの始まりがそのきっかけとされています。
                               (次へ)

〔問2〕
@はクルミ、栗、ドングリ、ヒシなどの木の実類、Aは魚類、Bは獣(けもの)類です。
                               (次へ)
〔問3〕
 
安定した採集ができるという点です。
                               (次へ)
〔問4〕
 15歳以上の男子133体の平均は31,1歳で、同じく女子102体の平均は31,3歳です。したがって
答はイです。
                               (次へ)
〔問5〕
 
答は、幼児の骨は弱くて残りにくい、という考古学上の制約があるからです。このことをあわせ考えれば、問4での数字はさらに下がることになるでしょう。なお、障害を持つと思われる人骨の中にも30歳以上の命を保ったことがわかるものがあり、こうした人々への縄文人の暖かい配慮がうかがえます。
                               (次へ)
〔問6〕
 
答は8人です。この数字は、生殖年齢の全期間を生き続けたと仮定したときの、女子の平均出産児数に相当する、ということです。
                               
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〔問7〕

 
答はウです。現代人166p、弥生人158p、鎌倉時代人157p、縄文人156p、江戸時代人155,5p。弥生人が意外にすらりとしていたこと、予想通り(?)江戸時代人が最も背が低い点が注目されます。
                               
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○ 日本人の身長の変化  

 時代・世紀 身長
縄文時代(全期) 156p
弥生時代初期 156p
弥生時代末期 160,5p
古墳時代(全期) 160,5p
14世紀 157p
16世紀 156p
18世紀 155,5p
19世紀末 161,5p
20世紀 166p

                               (問8の問題へ戻る)

〔問8〕
 上の表を見ると、日本人の身長が急激に変化したのは、問題の弥生時代と、あと明治以降です。このうち後者は、金関さんが弥生期において主張する混血はまったくといっていいほど関与せず、急速な都市化や食事など生活様式の変化が原因になっていることは明らかです。したがって、弥生期の変化も、農耕文化の成立という、やはり生活・文化上の大変化があったためであり、異質の人類が入って混血したことのよるものとは言えないと反論できるわけです。

 これらの問題と答・解説は、佐原真『大系日本の歴史1日本人の誕生』(小学館、1987年)、鈴木公雄編『争点日本の歴史1原始編』(新人物往来社、1990年)、歴史学研究会・日本史研究会編『講座日本歴史1原始・古代』(東京大学出版会、1984年)をもとにして作成しました。

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