比較文化史の試み 241


  スロープ説とトンネル説

  細石刃期の長野県上ノ原遺跡では、ブロック群が5個形成されていて、おそらく5より
 大きい場合が、たくさん≠ネのだろう。盟神探湯の要素数も火・木・石・水・土の5個
 であり、意味のないことではない。少なくとも、この時点ではということであり、前述のよ
 うに隆起線文土器文化期での数はわからない。

  神奈川県の上野遺跡出土例では、横走隆起線文のあいだに漁網のような隆起線文
 が表現されているが、口縁部を除くと、上が5段、下が5段となっていて、対の構造に
 なっていることがわかる。これを5本・5本と数えるべきか、あわせて10本とすべきか
 は判断できない。前述のように隆起線文は増える傾向にあり、7本とか10本が横走す
 る土器片もあり、一概にはいえない。

  さらに青森県表館遺跡出土の土器では、30本以上の横走隆起線文が確認でき、そ
 のまま世界の多重性を表現したものではないらしい。これについては、あとで考察しよ
 う。

  もうひとつは、横走する隆起線文が小さな波を打っているとはいえ、基本は直線であ
 り、この直線をつなぐものが斜線や縦走する隆起線文だからということもある。微隆起
 線文土器が出現する直前ごろに、箸が成立したと解釈するのが順当だろう。あいだに
 あるものだからであり、挟(はさ)まれたものだからでもある。

  これも箸の成立に関係しているものと考えられる。

  ちなみに、旧石器時代もそうだが、隆起線文土器文化期が成立するまで数千年を要
 しており、文章の一行が数十年ないし数百年に該当する。簡単に言えるが、莫大な時
 間と試行錯誤を繰り返して成立するのであり、タイムスケールが根本的に違うことを正
 確に認識してもらいたい。今日ある地点に到達し、明日実現できる、という世界ではな
 い。

  実際のところ、鏃の形状もはじめから決まっていたものではない。

  だいたい、三角・四角、五角形というのが基本だろう。ただし、五角形といっても正五
 角形ではなく、台形と三角形の合成と考えるのが正当だろう。

  太陽と星を気にするようになると、月の運行が気になってくることは、あたりまえかも
 知れない。月は満ち欠けをするだけでなく、夜も昼間に見えることがある。その意味
 で、昼の太陽と夜の星のあいだにあり、昼と夜を行き来する、どちらにも属さない中性
 に位置する。世界各地に、古くから月と植物の関係が伝えられている。おそらく、動か
 ない石や土と、動く動物や人との、あいだにある植物という、対の構造で理解されるよ
 うになったのだろう。

  ただ、こういった理解には、植物の栽培あるいは農耕が基本にある感じがする。隆
 起線文土器文化期には、はっきりした植物栽培の痕跡は見られないし、遊動生活が
 基本なので可能性は低いと思われる。ただし、婚姻によってゆるやかな繋がりのある
 社会が形成されており、さらにサケ・マス漁による半定住化が進んでいる。バンド社会
 には、家族を中心にする例外的なものから、父方居住、混成集団などの亜類型が存
 在する。隆起線文土器の分布は、この社会構造をそのまま反映させたものではない
 だろうが、大きな思考の枠組みが存在することを提示していて興味深い。バンド社会と
 部族社会の中間、あるいは初期部族社会に位置づけられるのかも知れない。

  定住のはっきりした痕跡である家が普及するのは、立体装飾文化期(縄文前期以降
 に相当)だが、もちろん家と定住とは必ずしも同時期に成立する必要はない。家が出
 現するのは、つぎの尖底土器文化期と考えられてきた。この話は細石器文化期の説
 明と矛盾するが、近年まで日本の先土器文化の存在が否定されていた上に、どうした
 わけか縄文初頭の遺跡が発見される場所が、巨石の岩陰や洞窟などに偏っていて、
 家の痕跡が見られなかったことによる。だから、まず洞窟などに住んでいた人々が、
 やがて平地に家を建てるようになった解釈されていたのである。ところが旧石器時代
 の発見と、家らしき遺跡の発掘によって定説が覆る。とは言うものの、この理由は、は
 っきりとわからない。

  おそらく、太陽は地底にあるトンネルを抜けて移動すると考えられていたことが原因
 のひとつにあげられるだろう。ところが竪穴式住居は地面を掘り下げてつくる。これ自
 体がトンネルの模倣であり、理念的には問題がクリアされて、わざわざ洞窟に住むこと
 を補完できない。別の問題により、洞窟や岩陰を選択したと判断せざるを得ない。氷
 河期が終わり、日本海に暖流が流れ込むようになって森林が繁茂するようになったこ
 とも関係があるらしい。洞窟は今でいう避難シェルターのようなものだったのかも知れ
 ない。いずれにしろ、一時的とはいえ洞窟が生活の場所になっていたことは間違いな
 く、原因究明には、もう少し史料が揃うのを待つほかない。*************************************

考古学からみた古代 (縄文時代編) その15


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最終更新日2007年5月14日