比較文化史の試み 250


  竪穴式住居と洞窟

  東北の対岸にある北海道南部を除く北海道と、南九州については独自の文化をもっ
 ていて、撚糸文と押型文という枠組みでは括れないところがある。隆起線文土器文化
 期には、北海道では土器が出土していない。有舌尖頭器という特徴的な石器をもった
 文化が存在していた。おそらく、ここに土器の製法が伝わったのだろう。札幌を含む西
 南部には北海道平底土器(暁式)、それ以北には石刃鏃文化(浦幌式)がそれぞれ成
 立する。共通点は、器形が平底であることにあり、本州の尖底土器とは好対照をな
 す。また、九州南部にある九州貝殻文土器もおなじように平底であり、押型文文化域
 とは異なる様相をみせる。これらについては、後述しよう。

  ところで舟が移動手段であるなら、その対極にあるものは何だろうか。

  静止を意味するものであり、家以外に考えられないだろう。このころになると、家の
 遺跡が発見されるようになる。主柱や梁・炉などもつ、いわゆる伏屋(ふせや)式の住
 居は尖底土器文化期末ごろに成立し、一般化する。尖底土器文化期の床の平面形は
 方形ないし円形、あるいは不定形なものだが、だいたい円形に近い。立体装飾土器文
 化期以降になると方形から円形、円形から方形へと変遷する。

(図解・日本の人類遺跡 92p 東京大学出版会)

  図は千葉県三里塚56遺跡の住居跡と復元図であり、基本的な構造が、前述の葦牙
 とおなじになっていることがわかる。柱や屋根を束ねると一点に集中する。この点が北
 極星であり、円錐形を形作る。ただ、三里塚56遺跡の平面図は隅丸方形のような感
 じであり、世界構造の円と家の四角という対構造になっているように思われる。

  竪穴住居は、世界構造が反映されたものと見ることができるだろう。

  そして、これはそのまま逆位の土器扱いとおなじでもある。

  したがって、旧石器時代編で使用した大阪府はさみ山遺跡の復元図は誤りである可
 能性が高い。地面を掘って丸く窪みをつける思想は旧石器時代に成立するが、この遺
 跡が家である可能性はほとんどない。ひとつは定住していないからであり、もうひとつ

 は思想的な背景が存在していないからである。この遺跡は、太陽の再生を願う祭祀に
 つかわれたと解釈するのが正しいだろう。いわば太陽が沈むトンネルの模倣であり、
 太陽が昇る穴の入口という設定である。

  ここから逆算すると、縄文時代の初期に洞窟に住んでいた理由がわかる。

  太陽が沈むとともに洞窟にもどり眠る。眠りは仮の死であり、目覚めは再生である。
 朝日が昇ると洞窟から出て活動する。洞窟に入ることは日の入りの模倣であり、出る
 ことは日の出をなぞらえることに他ならない。違うのは、縦の穴か、横の穴かということ
 だが、太陽は地面の穴に入ってすぐに横移動すると考えられていたから、この横穴に
 通じている穴が洞窟という発想だろう。

  このことは入口と出口の同一化が起きていることを示す。

  前述のように、土器をつかって煮るという行為は、盟神探湯を逆走することによって
 成立する。

  しかも弓矢は円を四分割する。洞窟に入ることで半分、そこから逆走して出ていくこ
 とで完成すると理解されたのだろう。また、前隆起線文土器文化期の窩文(凹)は、粘
 土に棒を刺して、貫通させずに抜き取るという操作を必要とする。

(土器の造形 21p 東京国立博物館)

  ところがこの注口土器では、内容物を流しだす貫通穴になっている。北極星が発見
 されることによって、穴が再評価されるようになる。それとともに世界観が変質し、死と
 仮の死(眠り)が分離する。死の場合は、太陽が再生するように、遺体を穴に埋める。
 仮の死は、この世界で目覚め、再生しなければならない。留まりつづけなければならな
 い。別の表現をするなら、穴に入ったまま帰ってこないのが死であり、もどってくるのが
 睡眠である。竪穴式住居で窪みをつけるのは、この理由からで、洞窟とおなじ役割を
 果たす。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その24


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最終更新日2007年6月8日