比較文化史の試み 252


  貝殻文と縄文の類似点

  関東での撚糸文、つづいて関西で押型文が成立したあと、東北で貝殻(文)沈線文
 系土器群が隆盛するようになる。写真は青森県下田代納屋(しもたしろなや)B遺跡
 出土の尖底深鉢だが、前出の土器に比べて細長い。

(土器の造形 22p 東京国立博物館)

  貝殻文は、文字通り貝殻をつかって施文された文様の総称を指し、サルボウ・アカガ
 イ・ハイガイなどの二枚貝を使用する場合と、へナタリ・ウミニナなどの巻き貝によるも
 のがある。貝殻を押しあててつける文様を貝殻圧痕文というが、そのうち二枚貝の口(
 腹縁部)を押しあてて施した文様を貝殻腹縁文という。さらに、押しあてたまま引きずっ
 た場合は貝殻条痕文と呼ぶ。

上から順に、貝殻腹縁(ふくえん)文、貝殻圧痕(あっこん)文あるいは貝殻
押捺(おうなつ)文、貝殻条痕(じょうこん)文。表現の違いに学閥が関係し
ているのか、部外者なのでわからない。興味がないので、調べる気もない。

(縄文時代研究事典 43p 戸沢充編 東京堂出版)

  沈線文は木や竹、骨、あるいは貝殻などつかって施文したと考えられる窪んだ線文
 様の総称をいう。区画文や充填(じゅうてん)文としてつかわれることもあり、また沈線
 で幾何学文を描くことがある。

  余談だが、正式には貝殻文沈線文系土器群と表記する。これは貝殻文と沈線文の
 ある土器群という趣旨に他ならない。ただ、どうも最近では貝殻沈線文系土器群という
 場合が多いように思われる。もちろん貝殻をつかった沈線文という意味ではなく、単に
 貝殻文の文を省略しているだけである。貝殻・沈線文系土器群あるいは貝殻/沈線
 文系土器群の方が適していると思うが、どうだろうか。

  下は口縁部を拡大させたものだが、

(土器の造形 22p 東京国立博物館)

 隆起線文土器の口縁部と似ていることがわかる。この意味で、西日本に比べ、東北の
 方が伝統色がつよいといえるだろう。関東での撚糸文、関西あるいは西日本で押型文
 が成立したことにより、対抗するために伝統が掘り起こされたという感じに思える。

  写真だけでは断定できないが、垂直な三本の線が四方に配置されているように思わ
 れる。これは前述の室谷下層式の箱作り法と関連があるようだが、意味性がはっきり
 しない。現時点ではわからない。

  もうひとつ。二枚貝の口がつくる貝殻腹縁文は、隆起線文土器あるいは縄文とおなじ
 ように小さな波をつくる。ここでも伝統色がつよく出ているといえるだろう。

  貝には二枚貝と巻き貝があるが、巻き貝が時間構造の渦巻きとおなじことは指摘す
 るまでもない。古事記では葦牙(葦の芽、タケノコ)だが、考古学史料では巻き貝であ
 る。巻き貝は洞窟のように穴であり、ぐるぐると螺旋状に巻きあがりながら頭頂部で行
 き止まる。しかし、そこから折り返して逆走すれば、ふたたび洞窟から出ていくことにな
 る。これを繰り返す。自然は、この世界構造を準備していた、そのように理解しても不
 思議ではないだろう。こちらの方が伝統的な解釈に沿うものに違いない。

  つまり北極星が点であることはおなじだが、

  @ 貫通穴説

  A 折り返し点説

 のふたつが存在したようだ。

  このことは食べ物が単なる栄養補給に終わっていないことも意味する。信仰の対象
 であり、それを食べるには宗教上の理由を必要とする。もともと狩り自体がマンモスや
 ナウマン象に対する信仰であり、畏怖の対象でもあった。これら大型動物が絶滅する
 ことにより、イノシシやシカに移行せざるを得なくなる。

  ここを起点にすれば、旧石器時代の終わり、あるいは縄文時代の初頭にサケ・マス
 を食べるようになった理由がわかる。サケは生まれた川にもどってくる。川で生まれ、
 川を下って海で成長する。2年から5年ぐらいを海で過ごし、逆走して川にもどる。この
 行動が当時の価値観にピタリ一致していたのである。もちろん実際は飢餓などが存在
 したはずで、かまわず食べたこともあったろう。ただし、それは例外であって、常食され
 ていたということではない。正当な行為としてみなされていない。

  つまり貝塚が出現するのは、二枚貝の腹縁が縄文とおなじ構造をもっているからに
 他ならない。だから、食べることが正当と考えられるようになったことに原因がある。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その26


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最終更新日2007年6月12日