比較文化史の試み 253


  南九州の貝殻文土器と北海道平底土器

  話が前後するが、ここで南九州の貝殻文土器と、北海道平底土器に言及しておこ
 う。関東に撚糸文、西日本・北海道南部と東北に押型文が盛行していたころの話であ
 る。北海道平底土器は暁(あかつき)式を代表とするが、この土器の底面に二枚貝(ホ
 タテ貝)の表面圧痕文が施されたものがあり、ひじょうに珍しい。また、器形もマグカッ
 プあるいは植木鉢のようでもあり、本州の尖底土器とは違った様相をみせる。現代の
 器物(うつわもの)とおなじような足つきになっていることに注意してもらいたい。

(縄文時代研究事典 194p 戸沢充則編 東京堂出版)

  一方、北海道東北部に分布する石刃鏃(せきじんぞく)文化の中心となるのが浦幌(
 うらほろ)式土器で、暁式とおなじように細石器を共伴する。石刃鏃文化は、名前どお
 り石刃(せきじん)の形状をした鏃(やじり)をもつ文化のことで、ロシア極東地域に分
 布している。

(同上 223p 一部加工)

  図ではわかりにくいかも知れないが、底面に木葉痕が残っているものが多い。おそら
 く葉の上で造形をしたのだろう。暁式がホタテ貝であり、北海道南部と東北には尖底の
 押型文土器が分布するから、暁式は両方の文化が接するところに誕生した。器形は
 石刃鏃文化と類似のものでありながら、葉ではなく貝をつかうところに押型文土器文化
 圏の影響をみることができる。

  この平底土器は、東北の貝殻文沈線文土器群が誕生することにより、消滅する。尖
 底土器は北極星を含む世界観によって形成されたものだから、北極星があることが
 伝わったのだろう。北極星や星々の位置関係は、ふるくから航海術につかわれてお
 り、徐々に長距離の移動が可能になったものと思われる。あたりまえだが、肉眼で確
 認できる島は確実に存在する。これをつなげていけば、島伝いに長距離を移動でき
 る。ところが視認できない場合、そこが限界点になる。そこで終わってもよさそうなもの
 だが、遊動生活の伝統が色濃く残っており、さらに行動域をひろげていく。

  南九州に分布する加栗山・栫ノ原(かこいのはら)・岩本遺跡などの九州貝殻文土器
 も平底であり、西日本の押型文土器と対をなす。ちなみに北海道平底土器や九州貝
 殻文土器も、土器形式としては、一般的につかわれていない。「九州貝殻文円筒土器
 様式」などといった表現はあるが、参照している『図解・日本の人類遺跡』に固有の記
 述であるように思われる。九州の押型文系土器群は川原田式を最古とし、田村式・早
 水台(そうずだい)式に引き継がれる。

  図は前平(まえびら)式土器だが、

(同上 378p)

 左が平底の円筒形、右が平底の角筒形になる。それぞれ出土した遺跡が異なるが、
 円筒形の土器のなかに角筒形の文様が施されたり、角筒形の土器のなかには底部
 が円形になっているものもあり、完全に分離しているものではない。それで同一型式に
 まとめられている。

(同上 398p)

  ほぼ同時期の吉田式も同様であり、左が円筒形、右が角筒形になる。

  要は、直線と曲線のどちらに重点が置かれているかの違いとみていい。円形と四角
 形を合成させれば、隅丸方形になる。これは前述の千葉県三里塚56遺跡の住居跡
 とおなじといえるだろう。

  九州貝殻文土器は、直線と曲線という相反するものをどのように扱うかといった問題
 と格闘しているように思える。そのひとつの回答なのだろう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その27


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最終更新日2007年6月14日