南九州の貝殻文土器と北海道平底土器
話が前後するが、ここで南九州の貝殻文土器と、北海道平底土器に言及しておこ
う。関東に撚糸文、西日本・北海道南部と東北に押型文が盛行していたころの話であ
る。北海道平底土器は暁(あかつき)式を代表とするが、この土器の底面に二枚貝(ホ
タテ貝)の表面圧痕文が施されたものがあり、ひじょうに珍しい。また、器形もマグカッ
プあるいは植木鉢のようでもあり、本州の尖底土器とは違った様相をみせる。現代の
器物(うつわもの)とおなじような足つきになっていることに注意してもらいたい。

(縄文時代研究事典 194p 戸沢充則編 東京堂出版)
一方、北海道東北部に分布する石刃鏃(せきじんぞく)文化の中心となるのが浦幌(
うらほろ)式土器で、暁式とおなじように細石器を共伴する。石刃鏃文化は、名前どお
り石刃(せきじん)の形状をした鏃(やじり)をもつ文化のことで、ロシア極東地域に分
布している。

(同上 223p 一部加工)
図ではわかりにくいかも知れないが、底面に木葉痕が残っているものが多い。おそら
く葉の上で造形をしたのだろう。暁式がホタテ貝であり、北海道南部と東北には尖底の
押型文土器が分布するから、暁式は両方の文化が接するところに誕生した。器形は
石刃鏃文化と類似のものでありながら、葉ではなく貝をつかうところに押型文土器文化
圏の影響をみることができる。
この平底土器は、東北の貝殻文沈線文土器群が誕生することにより、消滅する。尖
底土器は北極星を含む世界観によって形成されたものだから、北極星があることが
伝わったのだろう。北極星や星々の位置関係は、ふるくから航海術につかわれてお
り、徐々に長距離の移動が可能になったものと思われる。あたりまえだが、肉眼で確
認できる島は確実に存在する。これをつなげていけば、島伝いに長距離を移動でき
る。ところが視認できない場合、そこが限界点になる。そこで終わってもよさそうなもの
だが、遊動生活の伝統が色濃く残っており、さらに行動域をひろげていく。
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南九州に分布する加栗山・栫ノ原(かこいのはら)・岩本遺跡などの九州貝殻文土器
も平底であり、西日本の押型文土器と対をなす。ちなみに北海道平底土器や九州貝
殻文土器も、土器形式としては、一般的につかわれていない。「九州貝殻文円筒土器
様式」などといった表現はあるが、参照している『図解・日本の人類遺跡』に固有の記
述であるように思われる。九州の押型文系土器群は川原田式を最古とし、田村式・早
水台(そうずだい)式に引き継がれる。
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図は前平(まえびら)式土器だが、

(同上 378p)
左が平底の円筒形、右が平底の角筒形になる。それぞれ出土した遺跡が異なるが、
円筒形の土器のなかに角筒形の文様が施されたり、角筒形の土器のなかには底部
が円形になっているものもあり、完全に分離しているものではない。それで同一型式に
まとめられている。

(同上 398p)
ほぼ同時期の吉田式も同様であり、左が円筒形、右が角筒形になる。
要は、直線と曲線のどちらに重点が置かれているかの違いとみていい。円形と四角
形を合成させれば、隅丸方形になる。これは前述の千葉県三里塚56遺跡の住居跡
とおなじといえるだろう。

九州貝殻文土器は、直線と曲線という相反するものをどのように扱うかといった問題
と格闘しているように思える。そのひとつの回答なのだろう。
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