比較文化史の試み 255


  尖底土器の思想

  前述の千葉県三里塚56遺跡の住居跡の柱は3本である。これはまた、1と2のn乗
 の組み合わせでもある。北極星がひとつであり、双極の世界のはじまりが2になるか

 ら、1+2=3となり、1:2の対構造をもつ。3が再定義されたということであり、5と
 9……はおなじ枠組みで理解される。2のn乗が2・4・8……だからである。

  田面木平遺跡出土の貝殻文土器には、口縁部に四方に2対の突起があり、さらに
 突起は山形をした三つの小突起をもつ。全体として12個の突起があることになるが、
 三つの小突起の意味は、住居跡の柱3本とおなじである。

  また、多摩ニュータウンbV2遺跡出土の土器は、口縁部に8個の突起があり、それ
 ぞれ2個の小突起が組み合わされる。16まで数えられるようになったと理解して問題
 ない。

  東北に貝殻文沈線文系土器群が隆盛した影響を受けて、関東では三戸・田戸式土
 器が成立し、撚糸文から移行する。

(縄文時代研究事典 194p 戸沢充則編 東京堂出版)

  尖底土器は底部の突起が大きくなる傾向がある。しかし、この田戸下層(たどかそう
 しき)式の器形は一種異様な印象さえ与える。いったいなぜ、ここまで突起を長大にす
 る必要があるのだろうか。

  この回答は、前隆起線文土器文化期の窩文まで遡る。窩文は棒で突くことでつくら
 れる。ところが貫通させない。このことから、穴と、その向こうに穴のない粘土があり、
 それが対になっていることがわかる。これが隆起線文土器文化期になると貫通穴に変
 化する。貫通穴では、表から穴を通って、裏側にいく。

  穴と棒は対になっており、空間から棒を抜き取ったものが、穴に他ならない。この思
 想を踏まえてつくられたのが、田戸下層式である。

  北極星は穴でもあり、同時に棒でもある。穴と棒は一体化しなければならない。

  このときに古事記がいう宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこじのかみ)が
 成立する。宇摩志(うまし)は穴のことであり、比古遅(ひこじ)とは棒のことである。穴と
 渦巻きと棒が組み合わされ、表の棒は裏の穴に組み込まれ、裏の棒は表の穴に挿入
 される。だから、葦牙だけでなく、三つの要素を必要とする。

  死んだあとに人はどこにいくのか。

  旧石器時代では、一生という考え方がなく、また空間の多重性も発見されていなかっ
 た。仮の死と死も分離していない。いわば夜の世界にいくのであり、闇にとらわれる。
 現象というべきか、状態とするべきか。ここから太陽のように再生される。明暗の繰り
 返しである。

  しかし、尖底土器文化になると死後の世界観が成立する。死後には、別の、裏の世
 界にいくと理解されるようになる。縄文時代を通してだいたい屈葬されるのは、向こうで
 生まれ変わる考えられていたからで、死んだ姿のままで死後の世界に行くと理解され
 るようになると、体をのばした伸展葬に変化する。

  この文様を一筆書きで辿ると、左側は左回り(反時計)になるが、右側もおなじように
 左回り(反時計)になる。すでに誕生から死までの一生という考えが存在するから、反
 対側では、老人から子供に若返るという説もあったと考えられる。では、老人はどこか
 ら来るのだろうか。出産を経て人間は登場するのであり、この仮説はすぐに却下され
 たものと思われる。従って、裏の世界で誕生するのが正しい。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その29


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最終更新日2007年6月18日