顔と個別性
ここで古事記の冒頭を引用しよう。
天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成りし神の名は、
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ
)、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)と
成りまして、身を隠したまひき。
次に国稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あ
しかび)の如く萌(も)え騰(あが)る物によりて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅
神(うましあしかびひこじのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。この二柱
の神もみな独神と成りまして、身を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は別天(ことあま)つ神。
次に成りし神の名は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(とよくもの
のかみ)。この二柱の神もみな独神と成りまして、身を隠したまひき。
次に成りし神の名は、宇比地邇神(うひじにのかみ)、次に妹(いも)須比智邇神(すひ
じにのかみ)。次に角杙神(つのぐひのかみ)、次に妹活杙神(いくぐひのかみ)。次に
意富斗能地神(おほとのぢのかみ)、次に妹大斗乃弁神(おほとのべのかみ)。次に於
母陀流神(おもだるのかみ)、次に妹阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。次に伊
邪那伎神(いざなきのかみ)、次に妹伊邪那美神(いざなみのかみ)。
上の件の国之常立神より下(しも)、伊邪那美神より前(さき)を、并(あわ)せて神世(
かみよ)七世(ななよ)といふ。
(古事記 上 36p 次田真幸著 講談社学術文庫)
旧石器時代編で考察したように宇比地邇神(うひじにのかみ)以降の神々の基本的
な思想は、すでに存在していたと考えていい。本来なら、「次に国稚く浮ける脂の如く
海月なす漂へる時」の前になければならない。ところが性の発見によって再構築され
てしまうのである。順番を勝手に入れ替えてしまう。豊雲野神(とよくもののかみ)以前
は、みな独神つまり1であり、宇比地邇神以降は組み合わせだから2になる。千葉県
三里塚56遺跡の住居跡にある柱とおなじ構造であり、三つ栗の思想とおなじもので
もある。
つまりあたらしい思想にしたがって神話を作り替えてしまっている。ここが神話と歴史
の決定的違いであり、神話を解きほぐすのは容易ではない。もっとも当時の人々とって
行動様式を変えていく手段のひとつであり、神話なくしては行動の保証ができないか
ら、やむを得ないところがある。神話を再構築するのは、現代風にいうなら法改正に
相当するのである。ただ、神話を整備しはじたのが、いつごろなのかわからない。これ
も土器とおなじような一種の記憶媒体であり、物語りとして継承されるようになっていく。
物語には登場人物が必要なはずで、性の発見以降で成立するのだと思われる。古
事記の冒頭には、「身を隠したまひき」とか、「別天つ神」などの記述があり、神の名前
以外に記述がない。これが物語性が抜き取られて神の名前だけになったものか、もと
もと伝えられていなかったのか判断がむずかしいが、「次に国稚(わか)く浮ける脂(あ
ぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時」と、伊邪那伎神(いざなきのかみ)と妹伊
邪那美神(いざなみのかみ)がする国生みは時期的に重なるから、断片的な話は伝え
られていたらしい。
アイヌのユカラやフィンランドのカレワラにみるように、神話は類似のフレーズを二度
繰り返すという構造をもっており、双極の世界観を前提にする。南九州では双極文様
がすでに出現しており、神話の構築が開始されていても不思議ではない。そして、それ
が確実になるのは、土偶にふたたび顔がついたときであり、このときにいわゆるキャラ
クターをつくることが可能になったためと推定できる。
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一方、旧石器時代あるいは縄文時代のはじまりごろの石偶は顔を表現する。

大分県岩戸遺跡
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鹿児島県栫ノ原遺跡
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(日本の美術2 土偶 19p 原田昌幸著 至文堂)
なぜ顔を表現するのかというと、太陽を連続したものとして考えるようになり、人も連
続したものと理解されるようになったからで、有り体にいえば、私の一生は人とおなじ
ではない、ということである。子供から大人になって、やがて老人になる。連続しつつ、
自分とは違う。それを端的にあらわしているのが顔の違いであり、他者性の再発見と
いってもいい。これは同時に排他性を生むことになる。さらに、死が個別のものとして
理解されるようになっていく。
冠をつけるようになったり、シャーマンが登場する背景には、この他者性の再発見が
関係してくる。特殊な能力をもつ者は、顔にしるしをつけることが要請されるようにな
る。他者と区別するためである。少なくとも顔に対する意識がひじょうに高まった時期
だとはいえるだろう。
そうすると、これ以前は動植物の個体識別がむずかしいように、人間というものの個
体を明確には意識していなかった可能性がでてくる。それぞれが遊動生活をしてお
り、おなじ小集団がふたたび出会う確率はかなり低いはずである。それでも問題なくマ
ンモスやナウマン象、オオツノジカなど大型獣の狩りができたのは、排他性が存在しな
かったことを想定できる。もちろん即興的に集団形成をなしえたのは、共食と、均等な
分配、狩りの宗教性などの価値を共有していることもある。とはいうものの社会として
の安定性を欠くのは否めない。いわば個別性の発見によって、ゆるやかな集団が解
体される。
世界を連続体として理解するようになることが定住化への道しるべとなり徐々に安定
した社会が形成されるようになる一方、他者を敵対視するようなこともおきてくるよう
だ。現時点で殺傷痕のもっとも古い事例は、愛媛県上黒岩岩陰遺跡から出土した。壮
年男性の骨盤に、骨角器の槍先が突き刺さったままで発見され、治癒した様子がまっ
たく見られないことから即死したと考えられている。骨角器が骨盤を貫通して臓器まで
到達していることから、至近距離での力投によって殺害されたようだ。
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