比較文化史の試み 261


  シュブノツナイ式・綱文式・網走式

  北海道東北部に分布するシュブノツナイ式(シブノツナイ式とも)の器形は、平底の深
 鉢で、口縁部にゆるやかな波状をもつ。胎土に砂粒が混ぜられ、植物繊維が入ってい
 ることは、ほとんどない。オホーツク海沿岸や旭川周辺の道北部から出土し、文様構
 成の違いなどから、系統の異なるものとして扱われている。7世紀から13世紀にかけ
 てオホーツク文化が成立した場所でもあり、どうも、樺太やカムチャツカ半島を経由し
 た大陸の文化や道南部からもたらされる文化に違和感をもっているらしい。

  もともと旧石器時代にはナウマン象やマンモスあるいはオオツノジカなどを狩猟対象
 としていたが、これらが絶滅したとき、あたらしい対象に移行せざるを得なくなる。イノ
 シシやシカが有力な候補だろう。ところがイノシシの分布には北限がある。北海道には
 イノシシがいない。イノシシにかわって畏怖の対象となるのは、クマだろう。

  オホーツク海沿岸部にいるのはイノシシはおろか、クマさえあやしい。となれば、トド
 やアザラシ、シャチやイルカを対象とせざるを得ない。この転換がどのようにして正当
 化されたのか今となっては知る由もない。おそらく、シャーマンによる託宣なのだろう。
 とはいうものの定住していないから、他の地へ移住すればよさそうなものだが、そうは
 いかなかったらしい。これは考えてみればあたりまえのことで、魚河岸の冷凍マグロの
 ようにトドやアザラシが寝そべっているのに、食料があるかどうかわからない他の土地
 への移住は選択できないだろう。そんな判断をすればリーダーとしての資質を疑わ
 れ、誰にも相手にされなくなるだけである。

  もどろう。

  シュブノツナイ式は前期後半に登場するもので、前期前半には尖底の押型文系土器
 群である朱円(しゅえん)式がある。朱円式の胎土には大量の植物繊維が含まれ、共
 伴することの多い中野式とおなじように底部に黒曜石の破片が埋め込まれている。な
 ぜ黒曜石を埋め込んだのかは、わからない。尖底土器文化期に石刃鏃文化という系
 統の異なる文化が存在し、やがて東北の貝殻文沈線文系土器群に含まれるようにな
 る。繊維土器の出土も、道南部および東北の影響を伺わせる。黒曜石の破片から砂
 粒へと移行したということだろうか。

  もうひとつ。

  北海道には、綱文(つなもん)式と網走(あばしり)式という特異な土器型式がある。

(縄文時代研究事典 329p 戸沢充則編 東京堂出版)

  綱文式は前期前半に出現する土器であり、文字通りふとい縄をまきつけるようにし
 て施文される。これも繊維土器のひとつで、図のように尖底深鉢でもある。分布は中
 野式とほぼ重なるらしい。

  前期後半になると、北海道東部に網走式が出現する。

  網走式は無文土器だが、口縁部からやや下がったところに隆帯文をめぐらす。器形
 は平底の深鉢になる。ところでこの隆帯、どこかでみたことがないだろうか。

(同上 198p)

  北海道の隆起線文土器文化期では、有舌尖頭器をもつ文化が存在し、土器が出土
 していなかった。尖底土器文化期になると、道央部に暁式などの北海道平底土器が
 出現し、北東部には浦幌式の石刃鏃文化が登場する。つまり、北海道にはもともと土
 器をつくる縄文文化が存在していなかったということである。やがて東北とおなじ貝殻
 文沈線文系土器群をつくるようになる。

  綱文式は縄文だけが極端に表現される。網走式の様式は、隆起線文土器にそっくり
 だろう。隆起線文土器文化期において、まず隆起線文が出現し、そのつぎに縄文があ
 らわれる。ところが北海道の場合、これが逆転する。縄文の意味性を発見したあと、
 隆起線文に到達するのである。

  つまり土器をつくることが大陸あるいは本州から伝わったが、縄文文化そのものは
 一緒に伝わっていなかったということであり、意味性が再発見される。それが装飾とし
 て出現する。綱文式と網走式のありようは文化の問題を考える上で、ひじょうに興味深
 い。

  弥生・古墳時代の日本は、農耕を開始することによって、古代文明化のプロセスを経
 験する。他の古代文明とまったくおなじとはいえないが、だいたいなぞるようにして体験
 する。体験することによって身に付くのであり、導入しただけでは、それを支える基盤
 が存在していないから、いずれ機能しなくか、変質するかのどちらかだろう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その35


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最終更新日2007年6月30日