比較文化史の試み 266


  環状集落と時間の共有

  漁業に関していえば、前期になると釣り針が全国で出土するようになる。

  上川名遺跡から出土した土器の渦巻きがあまり巻いていないのは、釣り針の形状と
 関連が深い。旧石器時代のマンモスやナウマン象からイノシシやシカに転換し、折り返
 しという思想によってサケ・マス漁が可能となり、さらに世界構造からドングリやクリな
 どの堅果類、巻き貝、タケノコ、時間構造から二枚貝、渦巻きからゼンマイやワラビ、
 棒からツクシ、性の発見から、アケビやキノコなどを食すことが可能になった。この渦
 巻きから釣り針をつくるという、いわば反転した現象がおきている。

  これは環状集落をつくる思想とおなじである。

  性の発見によって夫婦や子供が意識されるようになる。子供をつくり、育てるという考
 え方が成立するようになる。これとおなじように自然界に関わって、木を切り倒し、地面
 を整地して、環状集落をつくるようになる。

  もうひとつ大きな流れとして、石皿に食物を置いて磨石(すりいし)でコツコツと叩く加
 工法が確立したことがある。堅果類や植物を上下に叩いて、細かく破砕する。

  もちろん、この上下運動は、羽状縄文の上下でもある。それまでにも焼いたり煮た
 り、あるいは切ったり、刺したりしていた。切り身にしろ、姿焼きにしろ、自然の形状を
 どこかに残していたはずである。枝など植物を細かく粉砕すると繊維状となってあらわ
 れる。ところが堅果類を粉砕すると、粒あるいは粉状になる。このことによって、人間
 が関わり、自然を変えていくという思想が生まれるのである。この帰結が、環状集落や
 釣り針を登場させる。

  もっとも釣り針は、そのままでは使用できない。釣り糸と結び、さらに釣り竿に結んで
 完成する。竪穴住居も、この意味でおなじ。柱や梁、屋根材などを組み合わせてつく
 る。福井県の鳥浜(とりはま)貝塚からは、浅鉢や弓、丸木舟、櫛(くし)などの木製品
 が出土した。石川県真脇(まわき)遺跡では、トーテムポール状木製品や、皿状容器、
 櫂(かい)なども出土している。

  木という素材をつかって皿や片口、あるいは容器をつくるのは、先に計画が存在し、
 それに従って削り出すという工程を必要とする。これは丸木舟をつくる方法とおなじだ
 が、丸木舟と同時期に、これらの容器をつくるようなことがおきていないようだ。つま
 り、丸木舟と製造法は伝わったが、その思想が意味するところを理解できなかったと
 考えられる。

  いずれにしろ、土器の器種が分化するとともに、食器類が登場することとなり、家財
 道具が一気に増える。鳥浜貝塚からは、三足付桶状容器がみつかっており、現在で
 いうところの宝石箱あるいは金庫のようなものだろうか。

  足が三本なのは1+2ということであり、渦巻きの装飾を上下にもつ。基本的な思想
 は上川名遺跡出土の土器とおなじと考えていい。

  積極的に自然と関わり景観を変えていく、という基調はこの時代の特色といってよく、
 もっとも端的に示す証拠品は多量の石斧だろう。石斧は作り方によって磨製と打製に
 二分できる。さらに使用法により、伐採斧と加工斧に大別できる。前期後葉になると手
 間の掛かる磨製石斧から、打ち欠いてつくる打製にウエイトが移っていく。需要が増大
 し、対応したものと考えていい。開拓するために木を切り倒し、家を造るために木を切
 り倒し、木工品をつくるために木を切り倒す。石斧の需要がうなぎ登りにのぼっても、
 不思議ではない。

  この時代は、水産資源の開発も活発におこなわれた時期でもある。釣り針だけでな
 く、魚などを突く銛(もり)やヤスは東北に多い。漁網のおもりとしてつかわれた石錘(
 せきすい)は全国から出土する。これらが集約的漁業の一翼を担ったことは間違いな
 い。

  ところが、これには重大な問題がある。

  構成員それぞれが勝手気ままに活動していては、多人数の労働は効果がない。つ
 まり時間を共有する必要がある。前述の大型住居にしても、ぽつぽつと二三人が来た
 り、帰ったりしていては、そもそも大型住居をつくる必要はない。一堂に会するからこ
 そ、大型にする。

  ここに性の発見が関係してくる。男女間のセックスは時間を共有するからである。

  アイヌの古老の話によると、葬儀をとり行わなければならなくなった場合、若者という
 か子供をつかいに出している。連絡係であり、別の村まで歩いていく。社会的な儀礼を
 学ばせるという面もあるが、情報を共有し、共有することによって人々が集まり葬儀に
 参列する。サケ・マス漁などの集約的漁業をすることによって、時間を共有し、時間を
 共有するすることによって、集約的漁業が可能となる。相互的プロセスによって、時間
 を共有することを学んでいったのだろう。

  集約的漁業をするころには、一種の社会的な時間(時刻)が存在する。

  もうひとつ重大な変化は、上野原遺跡のように屋外にあった炉が竪穴住居内に入っ
 てくることがあげられる。これにも羽状縄文が関係している。

  旧石器時代編でみたように、太陽と火はつねに一緒のもとして理解されていた。とこ
 ろが上下に分ける考え方が成立すると、分断され、別々のものとして解釈されるように
 なる。もうひとつは動と静の対比構造であり、動く丸木舟と動かない家、狩猟のために
 動く男と、育児のために動けない女。この理解を前提に再解釈される。動く太陽と、動
 かない火。アイヌのことばで火の神をカムイフチといい、カムイは神、フチはおばあさん
 を意味するから、直訳するとおばあさん神≠ニなる。おばあさん、というのは敬称だ
 ろう。本質的には女性ということである。これは性の発見を前提にする。それとともに、
 縄文文化がこれからどうなるか、おおよそ推測できるだろう。

  ところで居炉裏(いろり)が、なぜ四角いのかわかっただろうか。

  2×2であり、双極をより強調したものだから、である。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その40


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最終更新日2007年7月9日