比較文化史の試み 267


  阿久遺跡と田戸下層式

  地面に穴を掘っただけの墓のことを土壙墓(どこうぼ、墓壙とも)というが、これが群
 在するようになるのは、尖底土器文化期末葉ごろになる。つまり、環状集落が形成さ
 れる前の段階で、群集墓が形成されるということである。一方の環状集落も、中央に
 位置しているのは広場であり、貯蔵施設や埋葬施設、祭祀用考え得る施設などがあ
 る。必ずしも墓を中心に据えているわけではない。もともとは、墓地と環状集落は別々
 と理解するのが順当である。

  阿久(あきゅう)遺跡を例に、もう少し考察しておこう。

(縄文時代研究事典 405p 戸沢充則編 東京堂出版)

阿久遺跡景観復元図

  長野県阿久遺跡は前期から中期にわたる遺跡で、堀立柱建物跡が最初に発見され
 た遺跡でもある。中央に立石と列石をもち、周囲に円形状の集石群がめぐり、そのさ
 らに外側に集落をもつ。この下層には、関山式土器と併行する馬蹄(ばてい)形集落と
 方形柱穴列群が発掘されている。

  数百に及ぶ土抗と集石群がなにを意味するか確定していないが、土抗が墓である可
 能性は高い。集落の規模から換算して墓が異常に多く、祖霊崇拝の聖地の役割を担
 っていたという説が提示されている。

  ここでは立石と集石群に着目して、考察してみよう。

  尖底土器文化期において重要な役割を果たしたのは棒だった。当然、この棒が祭祀
 対象として祀られることがあっても不思議ではない。田戸下層式の尖底部が長大にな

 るのは、ひとつのありようであって、尖底土器文化期においてすべての土器がこのよう
 な器形を示したわけではない。別のいい方をすれば、渦巻きと棒が必ずしも合成され
 たのではない、ということである。

  穴の反対は棒であり、棒の反対が穴になる。上の世界に北極星、つまり穴があるの
 だから、地上世界に棒がなければならない、という発想が生まれても不思議ではない
 だろう。

  もともと発端になっているのは、夜空を観察しはじめたことにある。夜空には動かな
 い中心点の北極星と、そのまわりをめぐる星々がある。この構造を地上世界に再現し
 たものが阿久遺跡の景観に表現されている。立石が北極星で、まわりの集石群が星
 々ということなのだろう。だが、よくよく見ると、立石が中心にあるとはいえない。ずれが
 ある。復元図からは断定できないが、立石の左側に窪みがあるように思える。さらに、
 立石と窪みを一辺にする三角形を想定した場合、反対側には平らな空間が存在す
 る。あるとすれば墓だろう。墓ならば、祖先とされる人物あるいは標識である動植物も
 あり得る。

  日本の家紋はほとんどが植物だが、アイヌではクマやシャチなどの祖霊神をつかう。
 先祖が人間だと規定するのは家系が成立して以降の話であり、この時点で先祖=人
 間を仮定するのは、危険かも知れない。

  いずれにしろ、集石群は三つの要素のまわりをめぐっていて、必ずしも夜空を反映さ
 せたものではない。ただし、環状集落との共通点がある。墓や立石などを中心にして、
 整地して集落や祭祀空間をつくりだす、ということではおなじである。

  次に国稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如くして、海月(くらげ)なす漂へる時、葦牙(あ
 しかび)の如く萌(も)え騰(あが)る物によりて成りし神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遅
 (うましあしかびひこじのかみ)、次に天之常立神(あめのとこたちのかみ)。この二柱
 の神もみな独神と成りまして、身を隠したまひき。

  上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は別天(ことあま)つ神。

  次に成りし神の名は、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、次に豊雲野神(とよくもの
 のかみ)。この二柱の神もみな独神と成りまして、身を隠したまひき。

古事記 上 36p 次田真幸著 講談社学術文庫

  天之常立神と国之常立神は読めばすぐにわかるように、対の概念になっており、国
 之常立神は、いわば地上の北極星とでもいえる存在でもある。どうも、この中心点を
 基準にしてつくられた環状集落のことを国と呼んでいたらしい。近代国家や古代国家と
 も違うが、意図的に計画された人造物であることは間違いない。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その41


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最終更新日2007年7月10日