時代区分と歴史家
いままで考察してきたように、古事記の冒頭は、ほぼ歴史順にならんでいる。身を隠
したまひき、とはあたらしい思想によって、背後に後退するということであり、考えよう
によっては時代区分になり得ることがわかるだろう。
もともと天武天皇の改革によって天皇教が誕生する。安万侶たちは、リアルタイムで
知っていて、あたらしい時代がはじまったと理解している。日本書紀が持統天皇で終
わるのは、改革を実行しましたが倒れました、では、お話にならないからで、だから血
統を維持、あるいは正統を維持するという諡号(しごう)にする。間違いなく、ここに時
代区分を置き、断絶があると認識している。日本書紀よりあとは、天皇の時代だからで
ある。すなわち、
宗教が時代区分としてつかわれている。
空前絶後であり、破天荒でもある。人類史上、未曾有のできごとである。どれほど強
調しても、強調しすぎることなどない。世界に類例を見ない巨大な思想であり、どうし
て、こんなものが読み落とされてきたのか、不思議でならない。記紀は登場以来さまざ
まに読みつがれてきた。だが、この問題を指摘した者は、ひとりとていないだろう。古
代天皇制が失われてから、日本では学者など存在したことがない。
宗教が時代区分としてつかわれるぐらいだから、宗教が相対的に見えていても何ら
不思議ではない。神道や儒教、仏教などを相対的にみる視点は、もともと天武天皇の
改革に内在しているものだが、天皇の創出と日本書紀の完成によって決定的になる。
副島 『日本教の社会学』の中では、山本さんと小室さんは、この日本教を支える空
気に対して、たとえば次のように言っています。日本古来の神は空名だが、一応役目
を果たして機能しているのだからそれでいいのだ。これは石田梅岩にもあるように、外
国から伝来した諸宗教は全部薬なのだから、全部うまく調合して飲んでしまえばいい
のだということです。
(小室直樹の学問と思想 橋爪大三郎・副島隆彦著 199p 弓立社)
石田梅岩の思想は、ここから派生している。
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もうひとつ重要な点は、歴史家とは何かという問いの回答にある。これは聖徳太子
がはじめた歴史書の編纂や、天智天皇の漏剋(ろうこく・水時計)による時刻報知など
といった一連の流れのなかで、収斂(しゅうれん)され、意識化されていく。
よく歴史は科学(サイエンス)であるなどという妄言を吐く学者がいるが、だったら科
学だけを教えればいいのであり、歴史学など不要だから、ただちに廃止すべきだろう。
税金の無駄であり、学者はただの泥棒でしかない。
数学と科学はまったく違うが、なぜ違うのかというと、数学には数学しか解けない問
題があるからに他ならない。おなじように科学でしか解けない問題もある。つまり科学
は万能ではなく、歴史学もしかりである。要約すると、歴史学でしか解けない問題があ
り、それを解いたときに歴史学の存在理由があるのであり、無条件に存在価値がある
のではない。歴史は科学である、とは歴史学の存在価値を否定する。
インターネットで歴史研究と歴史学研究を検索閲覧すると、内容がほとんど一緒にな
っている場合が多い。歴史研究と歴史学研究は、決定的に違う。この違いのわからぬ
者に、歴史は不可能である。歴史は高度な抽象概念であり、日本人のほとんどは理解
していない。理解できない。
アイヌには歴史が存在しない。中国もまたしかりである。インド人はイギリスに行って
インド史を学ぶ。歴史哲学が存在していないから、そうならざるを得ない。つまり歴史
あるいは歴史書は結果であって、原因ではない。歴史という表現のなかに歴史哲学を
含むから混乱を招いているが、歴史哲学こそ、歴史の本体なのである。方法論を含め
てあたらしい歴史哲学を構築、提示した者が歴史家に他ならない。この意味で安万侶
を歴史家と呼べるかどうかを考察すれば、安万侶は歴史家ではない。古事記の序文
にあるように、夜の水(かわ)に投(いた)りて基(もとゐ)を承(う)けむことを知りたま
ひき≠ナあり、天武天皇が発案者だからである。滝は地面の切断によって生じるが、
水は流れつづける。この発想により、あたらしい歴史哲学が構築される。
以上。古事記は歴史書、とは人口に膾炙(かいしゃ)したことばだが、彼らがいってい
ることと、意味内容がまるで違うことがわかるだろうか。
歴史をちゃんと理解している者だけが、古事記を解読する資格をもっている。なぜな
ら、それを前提に話が組み立てられているからである。そしてマックス・ウェーバーのよ
うに比較宗教学、さらに宗教史、宗教の発展過程という観点で、日本史を捉えなおそう
とすると、古事記とおなじところに到達する。到達せざるを得ない。古事記が、すでにや
ってしまったことだからである。
想像を絶したおそろしい知能だとは思わないか。
古事記が現代的なのではなく、現代が古事記に近づきつつある。
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先に進もう。
三島由紀夫が天皇をまってたように、安万侶もまた古事記が解読されるのをまって
いるからである。
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