比較文化史の試み 276


  双極と二霊群品

  いままで考察してきたように天と地をわける考え方は、立体装飾文化期において成
 立する。ただ、それ以前に太陽や北極星を観察し、空間の多重性を発見していて、地
 上との対比で理解されたこともある。この時点では、n対1であり、二分法ではない。

  天地(あめつち)初めて発(ひら)けし時、高天原(たかまのはら)に成りし神の名は、
 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ
 、次に神産巣日神(かむむすひのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)
 成りまして、身を隠したまひき。

  古事記に最初にでてくる天之御中主神が太陽だから、この時点で天と地をわける考
 えがあると安万侶は判断したのだろう。この問題は、実際のところよくわからない。旧
 石器時代に対構造でものごとを捉える考え方があり、太陽を見上げて地面に炉をつく
 ることをしているのであり得る。安万侶説が正しいのかも知れない。少なくとも史料的
 に裏がとれるのは前期だが。

 

  古事記の冒頭は、まず独神(ひとりがみ)を列挙し、つぎにペア神がつづく。独神(性
 別なし)<ペア神<系譜の順になっていて、これは安万侶の判断である。系譜のある
 ものと、ないものを比較すれば、ない方が古いだろうという仮定が成り立つ。当然、独
 神とペアを比較すれば、独神の方が古い。そういう理解で歴史として組み立てなおして
 いる。

  ちなみに日本書紀では、いくつかの異論が併記されていて、古事記のように整理さ
 れていない。もともと神話が歴史順にならんで伝承されているはずもなく、日本書紀の
 ようにばらばらに語り伝えられている。稗田阿礼が稗田の我になっているのは、安万
 侶が再構成した説だからなのである。

  序文には以下の記述がある。

  (しん)安万侶(やすまろ)(まを)さく、夫(こ)れ混元既に凝りて、気象未(いま)
 (あらわ)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰か其の形を知らむ。然れども乾坤(けん
 こん)初めて分れて、参神造化の首(はじめ)と作(な)り、陰陽斯(ここ)に開けて、二霊
 群品の祖(おや)と為(な)りき。所以(このゆえ)に幽顕(ゆうげん)に出入して、日月目
 を洗ふに彰れ、海水に浮沈して、神祇身をすすくに呈(あらわ)る。故(かれ)、太素(た
 いそ)は沓冥(えいめい)なれども、本教に因りて土(くに)を孕(はら)み島を産みし時を
 (し)り、元始は綿ばくなれども、先聖に頼(よ)りて神を生み人を立てし世を察(し)
 る。(以下略)

(古事記上 次田真幸 17p 講談社学術文庫)

  乾坤は八卦(はっけ)の乾(天)と坤(地)のことであり、参(三)神は天之御中主神(あ
 めのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かむ
 むすひのかみ)を指す。二霊群品は、宇比地邇神(うひじにのかみ)、妹(いも)須比智
 邇神(すひじにのかみ)以降の神々のことだろう。つまり天と地がわかれることで件の
 三柱がうまれ、陰陽が成立することで二霊群品が登場する。

  どうもはっきりわからないのだが、安万侶は、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあし
 かびひこじのかみ)と豊雲野神(とよくもののかみ)、天之常立神(あめのとこたちのか
 み)と国之常立神(くにのとこたちのかみ)がそれぞれペアだということを知っていたよう
 な感じがする。ただ発生する時代が異なることも知っている。宇摩志阿斯訶備比古遅
 神が渦巻きであり、豊雲野神が双極文様ならば、渦巻き単体である宇摩志阿斯訶備
 比古遅神が先に成立する。ここに時代区分があると判断してもおかしくはないが、対
 構造としての二霊群品とは違ってくる。何度も経験していることだが、古事記はデリケ
 ートな情報操作がしてあり、踏み外したまま深読みすると迷宮にはいる。確証が得られ
 ないときは捨てろ、が鉄則である。

  写真は諸磯c式土器で、同方向の渦巻きをふたつ接合するような装飾である。この

(土器の造形 30p 東京国立博物館)

 装飾がつくられた理由はハッキリわからないが、北極星と星々の関係は、北極星を中

 心にした場合、北極星より下では、左から右(西から東)へと移動し、反対に上では、
 右から左(東から西)へとめぐることになる。反時計回り(左まわり)である。この運動
 方向から考えると、北極星からぐるぐるまわりながら広がっている。

  これは星々は北極星のまわりをぐるぐるまわりながら収束する考えと矛盾する。

  穴に入っていくのか、穴から出てくるのか、という問題である。

  ただし、縄文時代研究事典にある諸磯式の図版(出土した遺跡が異なる)では時計
 回り(右回り)になっていて、印刷時に、誤って写真を左右反転させた可能性がある。

  両方信用できないが、

  @ 右回りの土器と左回りの土器がある。
  A 右回りと左回りの装飾を面によって使い分けている可能性もある。

  現在の研究者には、器形や装飾によって背後の思想を読むという発想がないので、
 史料として不完全なものが多く、けっこう骨を折るのだ。サンプル数も少ないし。しかし
 @あるいはAであれば問題はない。ここでは写真が正しいものとしておこう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その50


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最終更新日2007年7月21日