比較文化史の試み 277


  器と食事

  前期になると深鉢だけではなく、台付きの土器や浅鉢も出現する。木製品でもおなじ

(土器の造形 26p 東京国立博物館)

 ような盛りつけの器がつくられるようになる。上下にわける考え方が成立することで、
 神々のいる天に向かって高く掲げるようにする。そのあとで、家族あるいは部族などの
 集団と共食(あいたげ)することで、宗教というか価値を共有する。

  神によって再分配されるということであり、ことばとおなじように人間の外部にあるも
 の(食物)を神が保証し、保証されたものを構成員がいっしょに食すことによって共同
 体を形成できる。つまり、人間どうしの平行関係によって集団が構成されるのではな
 く、神を保証人にするからこそ共同体がつくれるのである。共食自体は旧石器時代か
 ら存在するものだが、明確に上という思想が出現する。かみ(神)とは、かみ(上)に御
 座(おわ)すということに他ならない。

  ただし、弥生時代のように神々によって監視されているとは考えていないことに注意
 が必要で、この意味で神と人間のあいだに断絶はない。神と人間の断絶を反映させ
 て、人間と家畜、人間と道具という考え方が成立するようになる。中世あるいは現代の
 陶工のように、気に入らない製品を勝手に割ったりすることはできない。

  アイヌの伝統的な結婚式は簡素といっていいもので、ひとつの器(うつわ)に盛られた
 ものを新郎と新婦で半分づつ食す。

  古事記では、火の神を生むことによって死んだ伊邪那美命(いざなみのみこと)を、
 伊邪那伎命(いざなみのみこと)が黄泉の国に迎えにいく話がある。伊邪那美命はい
 ちどは断るが、黄泉神(よもつかみ)と相談するという。断る理由としてあげているのが
 「黄泉戸喫(よもつへぐい)しつ」であり、黄泉の国の食物をたべてしまったということで
 ある。喫茶店の喫は、契約の契に口がついたものに他ならない。契は約束とか契(ち
 ぎ)りという意味だが、もとは大きな割り符のことを指す。これをふたつに切る。喫の契
 には噛むという意味があり、さらに飲むに転化する。

  早期後半になると赤く塗った土器がつくられるようになる。最初はベンガラ(酸化鉄)
 をぬったあとで焼成させる方法が出現し、のちに焼成後の土器に漆を塗る方法と平行
 していく。ベンガラは埋葬時につかわれることから、また、器形が浅鉢であることから、
 先祖に対しての供物をのせる食器である可能性がある。ただし、これは北白川下層
 式が分布する西日本に限定される。福井県鳥浜貝塚では漆塗りの櫛がみつかってお
 り、焼成したベンガラと漆の顔料としてのベンガラをつかいわけていたのかも知れない。

  世界が上下に分割されれば、人間は死んだあとに、向こう側にある下の世界にいく
 はずである。また、ベンガラをまく葬式法は伝統的なものであり、すでに成立していた。
 上下にわける考え方からすれば、人間の上と下、つまり上半身と下半身をわけるよう
 になっても不思議ではないだろう。頭はもっとも天に近く、さらに髪の方が近い。上は
 神であり、髪でもある。さらに、この時代の櫛は、現代のような横櫛ではなく、木串を束
 ねたような縦櫛になっている。つまり、棒を組み合わせたものだといえるだろう。これを
 漆で塗り固める。赤は裏の世界をつなぐ色であり、これが切断された上下の世界をつ
 なぐことに転用されて登場するのだと考えられる。

  一方、諸磯式では、漆などの樹脂で塗り固める方法で彩色する。その意味では、北
 白川下層式が焼成前の着色であるのに比べ、諸磯式は焼成後に着色する。東関東
 の浮島式は焼成前であり、諸磯式とは異なる。このこだわりの理由は、はっきりしな
 い。

  太陽と火が分離したとはいえ、縄文土器は野焼きでつくる。少なくとも竪穴住居内で
 つくったりしない。これは土器を焼成する行為と、食べ物を煮る行為が分離したという
 ことでもある。焼成前に着色するのは太陽に捧げるためだろう。諸磯式のように樹脂
 で塗り固めると、焼成はおろか火にかけることさえできない。このことは、太陽や火に
 関係がないということであり、土器としての焼成と調理と食器が分離している。

  これは蓄積という考えが成立したことと関係がありそうに思える。調理は一連のプロ
 セスのなかで成立する。連続体であり、現在とともに成立しうる行為に他ならない。完
 成品としての食べ物は、これをもっていない。いわば静止した状態であり、時間的に向
 こう側にある。調理器具としての深鉢から、食器としての浅鉢や皿に移し替えるのは、
 世界の移動と関わって理解されているようだ。

  土器にものが入っている状態をアリとすることにしよう。

 

移動前

移動後

 調理器具

アリ

ナシ

 食器

ナシ

アリ

  調理器具を家に、食器を墓にそれぞれ置き換えて、人がいるかどうか考察すると以
 下のようになる。

 

生前

死後

 家

アリ

ナシ

 墓

ナシ

アリ

  これを合成すると、調理器具内は食べ物(神々)が活動している場所であり、調理の
 終了は、死によって生が完成するように、一生の終了でもある。人が家と墓を要するよ
 うに、神々も調理器具と食器を要請する。さらに、竪穴住居にある掘り込みが、仮の死
 からの再生であるように、皿もまた仮の死を転化して生にする、という理解なのだろう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その51


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最終更新日2007年7月23日