木偶と高御産巣日神
旧石器時代では、死と生は現在空間のなかに定位されていた。おそらく左が死だろ
う。これが太陽を観察することで連続体のなかに位置づけられ、生と死を連続として理
解するようになる。空間から抜き取られ、空間と時間に分離することによって、死は時
間のなかのひとつの現象として位置づけられる。さらに死後の世界観の成立は、死が
ふたたび空間と結びついたことを意味する。
はじめは左に死を定位させ、やがて死後の世界が確立される。では、この中間で
は、死は空間を必要としなかったのだろうか。どうも、そうではないらしい。

当時は西に沈んだ太陽が地下トンネルを通って東から出てくると考えられていた。こ
の地下トンネルが夜であり、死そのものだからである。この意味で、死後の世界という
空間は、すでに内包されている。ここを徹底的に追及していけば、死後の世界に到達
する。死が時間である以上、つねに空間を必要としたのだ。
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石川県真脇(まわき)遺跡からは、トーテムポール状の木偶(もくぐう)が出土してい

(縄文時代研究事典 176p 戸沢充則編 東京堂出版)
る。もともと尖底土器文化期での棒が、死後の世界を結ぶトンネルと、裏表一体の関
係になっていて、前期にはいると、環状集落をつくる中心点として機能するようになる。
アイヌでは墓標は木でつくるが、後述する大湯環状列石(後期)などでは石で組み合
わせた祭祀場としてつくられる。ここは土器棺の出土や、発掘時の残存脂肪酸分析か
ら、すでに墓であることが確定している。この意味で阿久遺跡とおなじといっていい。ア
イヌとは違い、本州では墓と石が密接な関係をもっている。
古事記では、木を高御産巣日神(たかみむすひのかみ)といい、石を神産巣日神(か
むむすひのかみ)と呼ぶ。このことは使い分け、というか役割分担をしていた可能性を
示唆する。頭より髪の方が神に近いが、その点では、木の方がさらに天に近い。

阿久遺跡では、環状にめぐる集石群があり、これが墓でもある。中央にある三つの
要素のうちひとつを、先祖の特殊な墓として仮定した。これは間違いかも知れない。窪
みが再生を意味するものであり、同時に太陽を暗示させる。立石はトンネルであり、こ
の世と死後の世界とを結ぶ特殊な装置である。これは上下に二分化された世界の横
方向をつなぐ。となれば、木偶が上下を結ぶもの、天と地を接続する物理的な神学装
置として解釈されている可能性がある。

もともと石や木は、道具をつくる道具、あるいは素材ということであり、安万侶は意図
的に産≠ニか巣≠ニいう漢字をあてている。その一方で、むすひ≠ニいう意味
が、道具と道具をつなぐというだけでなく、空間を結ぶものとして再定義されている。
安万侶は、元明天皇によって古事記を編纂する命令を受けており、別のいい方をす
れば、安万侶だけが伝承者と直接面談していて、細かな話を聞くことができる。その意
味で情報源にもっとも近い。もちろん、ひとりの伝承者であり、ある地方に伝わってき
た情報という偏りがあることは否めないが、日本書紀より古事記の方が正確だといっ
ていい。
安万侶にとって大切なのは、天武天皇がつくりあげた天皇制にあることは間違いな
い。他の神が信仰されては困るのである。なるべく教えつつ、なるべく教えないという矛
盾した態度があるのは、天皇制が維持されているときは真実を明るみに出さず、打倒
されたならば、真実をつたえなければならないという、要請による。これが一方で、神
々の空洞化を招いている。神々が空洞化/形骸化すれば、最終的に天皇制が空洞
化するのは否めない。
もどろう。
櫛がどのように誕生したのか、精神上の解析は完全にはできないが、何となく神に
見られているといった意識が生じたらしい。双極文様は渦巻きをふたつ組み合わせた
ものであり、パターン認識すれば眼のようにも思える。前述の諸磯式の装飾は、フクロ
ウあるいはミミズクの顔によく似ている。薄闇のなかで、音をたてずに獲物を狩るフク
ロウの能力は、驚異的に感じられたろう。
余談だが、ローマ神話にでてくるミネルヴァは、のちにギリシア神話のアテナと同一
視されるようになる。このアテナが従えていたのがフクロウで、ミネルヴァのフクロウと
は知恵のことを指す。アイヌといえばイオマンテ(熊送り)が有名だが、他にフクロウを
称える祭りもある。おそらく、本州でも似たようなところに到達しただろうが、伝承として
は残っていない。残っていないが、生まれながらにして世界構造を知るものという解釈
だと思われる。
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