比較文化史の試み 279


  御幣と装身具

  見られるといっても、この時代では神の擬人化がおきていないから、人間の囚人化
 はおきない。もうひとつ、原因として考えられるのは、社会が部族集団化することによ
 り、会合が頻繁におこなわれるようになったことがあげられる。一種の差別化だが、身
 なりを整えたり、装身具をつけたりすることで、部族内で指導的役割を果たすことが求
 められるようになったのだろう。

  縄文時代初頭のシャーマンは、頭に石製円盤などの装飾をつけていた。これがどの
 ように発展していったのか知ることはできない。できないが、ある程度の推測は可能で
 ある。アイヌのサパンペ(冠)には、後部にイナウと呼ばれる飾りがつけられる。これは
 ヤナギやミズキを刃物で薄く削ったもので、いわゆる削りかけ≠ニ呼ばれる。

  木を薄く削ると、くるくると巻きがでる。この構造が、葦牙(あしかび)とおなじになる。

 おそらく植物を加工して縄のように編み、ところどころに削りかけをつけたものだった
 ろう。注連縄(しめなわ)に近いものだが、イネがないから、ヤナギとかニワトコなどを
 材料としていたようだ。これは削掛(けずりかけ、はな・ほだれとも)として、アイヌのイ

日本の古典 89p 集英社

アイヌ語辞典 萱野茂著

 352p 三省堂

 ナウの他、石川県や埼玉県などでも残っていて、その材料を想定したものだが。削掛
 の形状は、棒の先端に刃物で削りだすもので、神官が祓(はら)えのときに左右に振
 る幣(ぬさ)に似ている。現代の幣は白い紙でつくられていて、紙を大量につくる方法
 は、聖徳太子の時代に伝えられる。紙以前を想定するなら、アイヌのイナウとおなじも
 のがふさわしいだろう。削掛の方は、小正月(正月十五日)に神仏に供える。その意味
 では幣とは違うが、いずれにしろ削掛もイナウも、棒と螺旋状の飾りをもつことではお
 なじであり、思想的な背景はすでに存在する。この時期に登場しても不思議ではない。

  もうひとつ気になるのは、アイヌのイナウには上下を意識して二段の削りかけをもつ
 ものがある。図では左端だが、石川県の輪島にも、同様に二段になっている削掛があ
 り、現在では失われてしまったが、広範囲に分布していたものと考えられる。これも思
 想的なものは存在する。

  ここを起点にすれば、木串を複数集めた堅櫛(たてぐし)が登場する前に、小さな削
 掛を髪にさしていた可能性はある。櫛というより簪(かんざし)、あるいはヘアピンに近

(縄文時代の装身具 土肥孝著 16p 至文堂)

 いかも知れない。福井県鳥浜貝塚から見つかった木製の櫛は、上部にU字型の装飾
 をもつが、おそらく双極文様のバリエーションのひとつと考えられる。この櫛の歯は、根
 元から折れている一本を含め、全部で9本ある。髪をすくためにつけられているので
 はなく、むしろ高く掲げる役割をもっているものと推定する。髪をすくのなら横櫛(よこぐ
 し)の方が利便性が高い。土器の足とおなじ役割だろう。

  全体としてはシカの頭部を模してあり、前述のフクロウとおなじように、シカが双極を
 もつものとして再評価されているようだ。考えようによっては、双極文様でもなければ、
 シカでもないような、奇妙な形状であり、判断しづらいところがある。

  いままでみてきたように土器の器形や装飾は一定の法則をもち、勝手気ままにつくら
 れたものではない。それは土器が、家族ないし部族という集団のなかで共有されるべ
 きものであり、集団内での公共性をもっている、という性格による。ところが装飾品にな
 ると公共性をもちつつ、最終的に個人の判断、個人の趣味という色調が強くでてくる。
 その結果、普遍なのか、特殊なのかがわからない、という問題を残す。あとは分布か
 らの判断で、多地域にまたがって存在するなら普遍性があると理解すべきだが、一遺
 跡のみの出土品であっても思想的背景があれば、ある程度の普遍性をもっていると了
 解すべきだろう。

  そういった視点からみれば、鳥浜貝塚の堅櫛は、櫛としての普遍性をもちつつ、装飾
 としては特殊な事例と考えられるが、どうだろうか。

  尖底土器文化終末期ごろから前期初頭にかけて、石製の(快−小+王)状耳飾(け
 つじょうみみかざり、以降ケツ状耳飾で代用)が登場する。ケツ状耳飾は蛇紋岩(じゃ

(同上 9p)

 もんがん)や滑石(かっせき)などを素材とし、扁平に加工する。前期に東日本に盛行
 し、やがて中期になると西日本でも見られるようになる。

  耳飾り自体は上野原遺跡でもみられたものだが、腕輪や首飾りなどとは違って人体
 を加工する。耳たぶに穴をあけないと取りつけることができない。

*************************************

考古学からみた古代 (縄文時代編) その53


前ページへ          次ページへ


最終更新日2007年7月26日