比較文化史の試み 280


  縄文時代の装身具

  日本の旧石器時代での装身具は、わずかながら出土している。上は北海道の湯ノ里

(縄文時代の装身具 土肥孝著 2p 至文堂)

 4遺跡、下はおなじく北海道美利河T遺跡からの出土物である。細石器を共伴してお
 り、旧石器時代末ごろのものと思われる。この時代に貝殻などを加工した装身具があ
 ったかどうかは、はっきりわからない。酸性土壌の日本では、石製品しか残らず、骨角
 器なども、ほとんど溶けてしまうからである。

  縄文時代にはいると、多少出土物が増えてくる。長野県栃原(とちはら)岩陰遺跡は
 日本有数の遺跡であり、奇跡的に古い時代の装身具が出土した。栃原岩陰遺跡は、
 岩から石灰が滲(し)みだしていて、土壌が中和されることで、貝や骨などの遺物が残
 った。隆起線文土器文化期(草創期に相当)ごろから尖底土器文化期(早期に相当)
 に及ぶ遺跡だが、出土品の緻密な変遷はわからない。(発掘報告書にはあると思わ
 れる)

(同上)

  上 ツノガイ管状品、下 イモガイ製品

  そもそも、なぜ装身具をつけるようになったのか正確にはわからないが、技術的には
 旧石器時代と類似の穴を穿(うが)つ方法であり、首飾りあるいは胸飾にしたのだろ
 う。材料となっている貝は暖かい海に生息するものであり、相当の距離を運ばれてい
 る。ただ、それが身につけた状態で人が移動したものか、交易による材料の入手なの
 かは、判然としないところがある。

(同上 一部改変)

  二枚貝の腹縁が縄文とおなじ波状になることがわかれば、形状をそのまま残すこと
 は当然だし、巻き貝の構造が葦牙(あしかび)だから、これも不思議ではない。ただし、
 二枚貝は装身具ではなく、穴に棒を差し込んだ匙(さじ)の可能性もある。さまざまな出
 土品のうち、鏃(やじり)や銛(もり)などのように、機能と形状が明確なものは、先に抜
 き取って、残った意味不明なもの、使用法がわからないものが装身具として扱われて
 いる感じがする。装身具とは呼ばれていても、あくまでも仮説であることを忘れない方
 が賢明だろう。

(同上 一部改変)

  管状の貝製品。尖底土器文化期において棒は、重要な役割を果たしており、思想的
 な裏付けもとれる。  

(同上 一部改変)

  よくわからないのがタカラガイの貝製品で、右下の三つは意図的におなじ場所で切
 断・加工してある。たぶん、こちら側が正面になるのだろう。このふくらんだ場所に、螺
 旋(らせん)状に貝の身が入っているはずで、それを取り除いてある。意味性を想定す
 るなら、螺旋を繰り返す、ということだろう。世界構造の表現ということか。

(同上 一部改変)

  @〜Cのうち、Bについては穿孔があり、糸を通してつかったと考えられるから胸飾
 なのだろう。残りは櫛なのだろうが、なぜこのような形状になっているのか説明できな
 い。@とAは、凸と凹の対になっているような気もするが、偶然かも知れない。そもそ
 も櫛などではなく、何かしら糸をつかう道具(一種の針)のような感じもするが、定かで
 はない。Fはクマの牙で、Dとおなじような刻みが入れてある。これは縄文や貝の腹
 縁とおなじ。Eはサメの歯だが、まったく加工した様子がみられない。ナイフとしてつか
 った可能性も残しておいた方がいいのかも知れない。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その54


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最終更新日2007年7月27日