阿玉台式と羽状縄文
近代まで、アイヌの成人女性は口のまわりに入れ墨をする風習を残していた。これを
パキサラといい、パは口、キサラは耳のことを指す。口で話し耳で聞き、耳で聞いたこと
を口で語り継ぐ、という暗示なのだと思われる。前述のように、部族社会ではイニシエ
ーション(通過儀礼)をおこなうことが知られており、この時期におなじような入れ墨をし
ていた可能性がある。

Aの土器では、渦巻きと循環思想が合成される。もともと世界構造としての渦巻きが
ゼンマイやワラビに仮託されていて、密接な関係があるとされていた。ゼンマイ・ワラビ

はシダ植物であり、どちらも成長すると、葉柄(ようへい)の左右両側に小葉(しょうよう
)をもつ羽状複葉(うじょうふくよう)になる。西日本では、正月の鏡餅に、ウラジロ科の
常緑シダであるウラジロを添える風習があるが、名残りと考えて問題ないだろう。ウラ
ジロは名前どおり、葉の裏が白い。表の緑と裏の白という対の構造になっており、葉緑
素をもつ植物では特異な存在だといっていい。この裏白(うらじろ)ということばは、裏
が白というほかに、内側が白、あるいは底が白い、という意味があり、人間の視覚では
直接的に観察できないものをいう。
Bの胴部装飾では、三角形を交互に表現する。
羽状縄文から発展して左右、上下をそれぞれ対として理解されるようになると、羽状
縄文の解釈に変化をもたらす。おそらく、以下のプロセスで成立したものと思われる。

一方で、四角はAの組み合わせの段階で出現する。だが、問題はそこではない。多
重世界の構造のなかで、右へ昇っていくという一定方向で理解されていたものが、右
へも左へも、どちらでもいいというように解釈された。大きな思想的変化がおきている
ものと考えていい。Cの土器にある菱形は、このプロセスのうちEで成立する。四角い
が垂直ではなく傾斜している、という理解だろう。
また、Bの土器にある三角形の内側の装飾は、木の葉と三角形が合成されてつくら
れる。直線のなかにある曲線の三角形ということであり、いわば直線の三角形は表象
であり、曲線の三角形が本質でもある。見えるものと、見えないもの。表にあるものと、
背後にあるもの。そういった思想が全盛を極めている。

大木式が複雑な要素を組み合わせて単純化する傾向があるのに比べ、勝坂式はよ
り複雑になる、というか混乱の極みにあるようにも思える。下図は勝坂式土器のひとつ

をぐるりと展開させたものだが、およそ考えられる要素を組み合わせて表現されている
ことがわかる。X字型の中央に口をもち、全体として、おそらくタコをモチーフにしている
のだと考えられる。タコの足は8本あって、四つではない。ところが8は4×2でもある。
もともと2×2が4であり、8は2×2×2でもあり、4の裏表で8となる。立体化と関係して
再解釈されているということである。それから循環思想がタコの足にある吸盤として表
現されていることに注意してもらいたい。
前述のフクロウとおなじように、タコも世界構造を体現化した神、すなわちイノシシや
ゼンマイなどのように扱われる。つまり祭祀対象となるが、同時に人間に食われる。
フクロウを食べていたかどうかはハッキリわからないが、弥生時代では、これが逆転
し、人間は山の神に食われる存在になる。この決定的な違いが、絶対性の確立に関
わっているのは言うまでもない。それが、この時代では存在していない。
海に近いところに住むアイヌでは、タコを神として扱うことが報告されていて、残念な
がら原意がわからないがアッコロカムイと呼ばれる。カムイは神であり、神の名をもつ
特異な存在であることが伺える。
さらに話が飛ぶが、古事記にある八俣大蛇(ヤマタノオロチ)は生贄(いけにえ)を要
求する。もちろん、八俣大蛇は山の神のことであり、英雄によって打倒されたときに、
神から怪物に転落する。絶対性をもちつつ、現人神(人間)が勝利する。これは縄文
時代の伝統があればこそであり、実は裏表の関係にある。なぜなら、まれにイノシシ
やシカ、クマなどによって人間が殺されることがあったからであり、畏怖の対象でもあ
ったからである。世界構造を体現するものが神として扱われるようになると、畏怖の意
味が徐々に変質していくようになる。フクロウやタコ、あるいはゼンマイでは、死に直結
しない。身の毛がよだつような恐怖を感じないだろう。
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