環状集落
いわゆる縄文文化をひとことで定義するなら、旧石器時代からの文化に南方由来の
文化が加わって再構築されたものといっていい。日本はユーラシア大陸の果てにあり、
海よって守られている安全な場所でもあるが、同時に停滞をもたらす危険性をつねに
抱えている。まれびと(賓客)が来ることによって、あたらしい情報がもたらされ、活性
化される。それを何度か繰り返しており、民族的にも多様である。これを統合する上位
概念が日本に他ならない。
もどろう。
中期になると、環状集落が整備されるようになる。

(図解・日本の人類遺跡 93p 東京大学出版会)
図は岩手県にある西田遺跡だが、墓地を中心にして、堀立柱建物、竪穴住居を同
心円状に配置させる。これが環状集落の典型的な構造であり、貯蔵穴や廃棄帯など
が付属することもある。

前期の環状集落と比較すると、@堀立柱建物と竪穴住居に分離し、A貯蔵穴が付
属するようになっていることがわかる。貯蔵穴については、件の蓄積という考え方が成
立しているので、当然といえば当然のことだろう。堀立柱建物についは、はっきりした
ことがわからない。@賓客をもてなすための建物という説、A平地建物が東日本に分
布することから、サケを干すための施設とする説がある。
概念的には上下にわけるという考え方が成立しており、堀立柱建物が上、竪穴住居
が下を意味しているだろうことは想像できる。また、上が天に近いということでは、祭祀
色のつよい建物であり、竪穴住居が日常生活に近いものという位置づけだろう。た
だ、具体的にどのように使用した建物なのかはっきりしない。石や木、あるいはそれら
からつくられた弓などの道具、世界構造を体現したドングリなどの堅果類などなど。す
べてが神として扱われていれば、どれが祭祀に関係したものかはっきりしない。いわゆ
る政教分離など起きていないからである。しかし、上下を発見して以来、徐々に区別す
るようになったらしい。世界が上下に分かれているのだから、社会でも上下にわかれ
る必要があると解釈されたらしい。
前述のように部族集団として社会が再構成されるようになると、ときどき集まって部
族としての結束を高める必要が生じる。それは葬儀であったり、共同でサケを捕獲す
ることだったり、共に飲み食いする共食(あいたげ)であったりしたろう。どうもそういっ
た目的でつかっていた感じがする。
もうひとつの変化は住居跡の形状が変化することで、前期の竪穴式住居は方形だっ
たのに比べ、中期になると堀立柱建物が方形、竪穴住居が円形というように明確に
区別される。これは土器の装飾の分析からもわかるように、四角や四つが尊いと考え
られたためである。隅丸方形から方形を抜き取れば、円形となる。その意味で伝統に
回帰したものと判断できる。
実は環状集落は、はじめから環状なのではない。通常規模の遺跡では数軒程度の
集落であり、長期にわたる営みの結果、環状あるいは馬蹄形を呈する。下図は神奈
川県神隠丸山遺跡のものだが、中期と後期を比較すると左から右に移動していること
がわかる。反時計まわりであり、また北極星を中心とした天空の動きとおなじになって
いるのである。

(同上)
この例では墓群も移動しており、必ずしも墓が中心になっていないことに注意しても
らいたい。上述の岩手県西田遺跡とは違っている。別の中心点が存在すると考えてい
い。中心点は、前述の長野県阿久遺跡とおなじ、あるいは類似の思想によるものと推
測できる。

ところが東北では違っている。中心点があるという点ではおなじだが、東北では先祖
を中心として集落が形成されている。これは同時に社会の構成点が異なるということ
であり、やがて人間に収束していくようになるのは必定だろう。
環状集落の分布は青森県を除く東北から沖縄まで広がっているが、超大型の竪穴
式住居は、やはり青森県を除く東北から関東北陸までに分布する。土器の型式でいう
と円筒上層式分布域の南半分、大木式、阿玉台式、勝坂式、上山田・天神山式の分
布にほぼ重なる。一方、超大型の堀立柱式建物は、青森以南の円筒上層式、大木
式、上山田・天神山式の分布域とほぼ重なる。豪雪地帯の日本海側にあるともいえる
が、関東のように、先祖が環状集落の中心になっていないところではつくられていな
い、ともいえる。
そして環状集落は、北海道ではつくられていない。
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