環濠集落とチャシ
北海道でつくられたのは、環状集落ではなく、中期末葉ごろに登場する環濠遺跡だ
った。九州や本州で環濠集落つくられるようになるのは、弥生時代に入ってからで、そ
れ以前に、このようなものが、しかも西日本から遠く離れた北海道で発見されるなど、
誰も想像だにしていなかった。

(三内丸山遺跡 75p 朝日新聞社)
長さ約65m、幅約40mの台地をかこむ環濠は、深さ約1〜1.8m、上幅約2〜3
m、底で幅30cmほどのV字型になっている。敷地内には直径約8mの建造物跡が2
棟分見つかり、内部には炉を持たない。西側(図では左側)からは直径4〜5mほどの
竪穴住居跡33軒と墳墓、土器片囲炉(どきへんかこいろ)などが見つかっており、環
壕集落遺跡としての条件を整えている。
ただし、環濠が途中で三箇所切れていて、渡りがつくられており、単純に防御のため
の施設とはいえないとする説がある。その一方で、何らかの祭祀をおこなう場所とする
説もある。いずれにしろ、これだけのものを少人数でつくることはできず、力の集中が
できるようになったことを示す。サケの集団捕獲や阿久遺跡などの施設は、集団の労
働力を投下することによって成立するから、北海道でも同様の土木工事をおこなった
としても、なんら不思議でない。ところが堀をつくるのは、何らかの切断を目的にする。
大きさから考えて対人用と考えていい。人の力の集中を欲しながら、切断する、という
矛盾がある。
また、環濠内に人が常駐していると仮定すると、炉がないので食事をすることができ
ない。とはいうものの、西側で調理させて持ち込ませれば、食事はできる。この場合は
食事をつくり、運ぶ人間が存在することを前提にする。となれば、小規模といえども身
分制が確立している可能性がある。
静川環濠遺跡から20kmほど離れたところに丸子山環濠遺跡があり、こちらの方が
ひとまわり大きい。詳細な情報はわからないが、環濠から中期後半の土器が出土して
いるようで、丸子山環濠遺跡の方が古い。いまのところ環濠遺跡は、このふたつだけ
だが、成立のプロセスは、はっきりしない。唐突な感じは否めない。おそらく、これより
小規模のものがつくられて、やがて発展して登場すると考えた方が合理的だろう。
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関東における環状集落が世界構造を反映させ、この価値観のなかで先祖を祀ること
が位置づけられているのに比べ、東北では、先祖そのものが祭祀の対象であり、中心
に位置づけられる。ウエイトが先祖祭祀に移っているといってもいい。ところが北海道
では世界構造を反映させた環状集落がつくられていない。その一方で、円筒上層式の
分布圏でもある。
先祖祭祀はあるが、祭祀場としての環状集落が存在しない。環状集落をもたないが
故に、人間が社会の中心点にならざるを得ない。
トコロ5類では、口縁部に極端な段差をつけていて、上と下を区別する考え方があれ

ば、先祖祭祀と結びついて階層化社会をつくりだそうとするのは不思議ではないの
かも知れない。台地に環濠集落をつくるのは上に住むものという意味であり、このこと
は同時に、下に住むものがあることを前提にする。
前述の人類学者レウェレンは、首長制の宗教を先祖崇拝と規定する。首長制の定
義は学者によって違うが、アメリカのプェブロ・インデアンでは、部族制と首長制の中
間のような社会が営まれており、あるいは類似の社会だったのかも知れない。
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アイヌ語では城や砦のことをチャシといい、柵や囲い、垣根のことも、そう呼ぶ。静川
環濠遺跡や丸子山環濠遺跡も城のようなものと理解していいのだろう。彼らの英雄叙
事詩ユカラのなかでは英雄の常駐する館だとされていて、主人公はポンヤウンペとい
う。ポン(小さい)・ヤ(陸)・ウン(住む)・ペ(者)の合成であり、小さい陸に住む者とされ
るが、ヤにはおか≠フ意味もあり、おそらく丘に住む者≠フ意味だろう。ポンヤ
ウンペはチャシから戦争(ロルンペ)に出かけていく。
このロルンペは戦争や葬儀など重大な行事につかわれるもので、単純に戦争だけを
意味するのではない。ロルンペの原意ははっきりしないが、ロルンが上座のことであ
り、ペは物を指す。つまり上座の物、宝物ということだろう。
やや時代が下がるが、ポンチャシ(小さな砦)が各地につくられるようになる。ここに
サパネクル(酋長)の宝物を隠しておく。宝を奪われないようにするためである。この
宝という観念は、経済的意味ではなく、力の根源のようなもので、めずらしい物、宝石
などはそれ自体が魅惑的であり、力をもつとされる。サパネクル(酋長)は宝物が多け
れば多いほど、有力な人物とみなされる。逆に、これを奪い取れば、勢力を失い没落
する。だからロルンペを守ったり、奪ったりすることが、そのまま戦争を意味するように
なったのだと思われる。
したがって、@相手を殺害することを目的にしていない、A土地を奪うことを目的にし
ていないので、争乱が果てしなくつづく。弥生時代のように、統合あるいは統一という
考え方がないし、絶対性の確立もないから、紛争にケリがつかないのである。
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